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第十六章
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レベッカは、思わず声を漏らして笑ってしまった。
「旦那様、旦那様、ストップ、ストップ」
「駄目だ、まだまだこれからだ」
旦那様はダンス狂なの?
今なら、その気持ちがわかる。童話の踊り子。赤い靴を履いて死ぬまで踊らねば止まれない。止まりたかったよね。
「きゃー」
思わずはしたない声が出てしまった。ダンスとは「疾走」なのか。
頑張り屋さんのダンスは競技並みのスピードとキレと技の連続だった。ワルツの三拍子が二倍速になっている。なのに、ターンから背を反らす場面では、レベッカにまるで口づけでも迫るように覆い被さって、
「旦那様、ここではダメよ」
レベッカは、つい場違いなほど甘い声を漏らしてしまった。
子を成すことが出来ぬまま、離縁された元王太子妃。離縁の後は、手っ取り早く側近に下賜された。
そして今宵、前夫の幸福な婚礼の祝いの場に現れた、哀れな元王太子妃。
周りはそう思いながら好奇の目で見ていたのだろう。この場には、レベッカが外交で何度も顔を合わせた近隣諸国の賓客も多く招かれていた。
みんなレベッカの過去も現状もわかって、憐れんでいた筈なのに、
「きゃー、旦那様、だめ~」
なんだ、あの楽しそうな馬鹿ップル。
公衆の面前で、王太子の晴れの舞台で、ぴったりくっつき合って頬を寄せる。瞳には互いしか映らない。見つめ合う二人が「競」なのか「狂」なのか分からないスピードダンスを踊っている。
演奏する楽団まで、ノリノリになってしまったではないか。
何を見せられているんだろう。そう思う観衆に見守られて、激しいダンスが終わった。
「ふふ、旦那様ったら、もう駄目じゃない」
駄目はお前たちだ!
誰もが不幸だと思っていた伯爵夫人は、超絶楽しそうだった。
「ははは」
あの側近、今、笑った!?
無愛想で有名な男が笑っている。そんな夫とと微笑み合うレベッカは幸せそうだった。
どこからともなくパチパチと拍手が起こった。やがてそれは大きくなって、一緒にホールで踊っていた他のカップルまで伝播した。
心まで躍るようにレベッカが眩しい笑みを浮かべている。終いには、レベッカもアルバートも二人揃って拍手をした。
幸せなら手をたたくのだと、東国の詩歌にあった気がする。
なんて素敵な言葉だろう。
一つ手を打つたびに心が軽くなる。アルバートと見つめ合って可笑しくて楽しくて、思わず声を出して笑ってしまった。
こんなに笑えたのは久しぶり。高貴な微笑みなら得意だけれど、お腹がよじれるほど笑うなんて。
息が切れるほどのスピードダンスも初めてだった。いいえ、幼いころにもこんなことがあった。
レベッカは、懐かしく思い出した。
まだ少年だったエドモンドが、こんなふうにレベッカを振り回して、ダンス講師にお小言を言われていた。あの時のエドモンドも、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
エドモンド様。私はちゃんと幸せよ。
優しい夫はこんなに心を砕いてくれる。私は楽しませてもらっているの。この夫と一緒に、これからの人生を踊るから、何も心配いらないわ。
アルバートがレベッカの腰を抱き寄せ、そのままダンスホールから外へ出た。途端に見知った貴族たちが寄り集まって、アルバートに挨拶をする。
彼は王太子の最側近で、重鎮たちの覚えもめでたい。そして意外なことにモテるのだ。
男やもめが長かったアルバートは、落ち着いた見目もあってかご令嬢がたに密かに人気がある。
当然です。今宵の旦那様は爽やかな風ばかりか、スピードまで加速しているんですもの。爽やかなんて通り越して、台風並みの旋風よ。
「レベッカ、久しぶり。ようやく地上に降りたのね。また貴女と会えるのが嬉しいわ」
仲の良かった友人が現れて、彼女はきっと今の今まで遠慮をしていたのだろう、こんな場面でレベッカが不遇を晒す姿を見るまいと、少し奥まったところに控えていた。
それが睦まじいアルバートとの姿に安堵して、声をかけてくれたようだった。
それからも、同じような友人から声をかけられた。友人たちと気楽に言葉を交わすのも三年ぶりのことだった。
レベッカは王族だった。彼女に背中から声をかけるのは、執務で関わる文官か王城の古狸くらいだろう。
あとは、
「レベッカ」
そうよね。貴方くらいだったわ。
友人たちとの歓談を終えて、アルバートに腰を取られながら二杯目のシャンパンで喉を潤した。ほろ酔いにほんのり頬が染まり、アルバートを見上げたその時に、背中から名を呼ばれた。
誰かなんてすぐにわかる。アルバートが笑みを引っ込めた。周囲から衣擦れの音がして、それが波のように辺りに響く。婦人がたがカーテシーで礼をするドレスが広がる。
レベッカは、声のした方へと振り返り微笑みみを浮かべて青い瞳を見つめた。それから、ゆっくりと根性込めて渾身のカーテシーを披露した。
「面を上げてくれないか。君を傅かせたいわけではない」
エドモンドが、妃となったシンシアを連れて立っている。
何しちゃってるの?エドモンド様。ほら、お妃様の目尻が吊り上がっちゃってるわ。それって元からのお顔かしら?
若干失礼なことを考えているレベッカに、アンネマリーの才能がなくてよかった。あんなに心の声がダダ漏れては、不敬に問われてしまうだろう。
面を上げて姿勢を正したレベッカの、その腰に手が添えられた。
大きくて温かな手。さっきまで全力疾走で妻を振り回していたのだから、まだ熱が籠もっている。
大丈夫だ、側にいる。手の平からアルバートの言葉が伝わるようだ。
やだわ、旦那様。目の前にいるのは貴方が忠臣を捧げている主君ですよ。
寄り添う夫の熱に安堵を覚えて、レベッカの笑みが深くなる。その表情をエドモンドは見落とすことはしなかった。
「レベッカ。一曲、お誘いしてもよろしいか」
もう夫人になったというのに、彼はレベッカを名呼びした。周囲を多くの目が取り囲んでいるというのに、エドモンドは、あの少年の日のようにレベッカをダンスに誘った。
「旦那様、旦那様、ストップ、ストップ」
「駄目だ、まだまだこれからだ」
旦那様はダンス狂なの?
今なら、その気持ちがわかる。童話の踊り子。赤い靴を履いて死ぬまで踊らねば止まれない。止まりたかったよね。
「きゃー」
思わずはしたない声が出てしまった。ダンスとは「疾走」なのか。
頑張り屋さんのダンスは競技並みのスピードとキレと技の連続だった。ワルツの三拍子が二倍速になっている。なのに、ターンから背を反らす場面では、レベッカにまるで口づけでも迫るように覆い被さって、
「旦那様、ここではダメよ」
レベッカは、つい場違いなほど甘い声を漏らしてしまった。
子を成すことが出来ぬまま、離縁された元王太子妃。離縁の後は、手っ取り早く側近に下賜された。
そして今宵、前夫の幸福な婚礼の祝いの場に現れた、哀れな元王太子妃。
周りはそう思いながら好奇の目で見ていたのだろう。この場には、レベッカが外交で何度も顔を合わせた近隣諸国の賓客も多く招かれていた。
みんなレベッカの過去も現状もわかって、憐れんでいた筈なのに、
「きゃー、旦那様、だめ~」
なんだ、あの楽しそうな馬鹿ップル。
公衆の面前で、王太子の晴れの舞台で、ぴったりくっつき合って頬を寄せる。瞳には互いしか映らない。見つめ合う二人が「競」なのか「狂」なのか分からないスピードダンスを踊っている。
演奏する楽団まで、ノリノリになってしまったではないか。
何を見せられているんだろう。そう思う観衆に見守られて、激しいダンスが終わった。
「ふふ、旦那様ったら、もう駄目じゃない」
駄目はお前たちだ!
誰もが不幸だと思っていた伯爵夫人は、超絶楽しそうだった。
「ははは」
あの側近、今、笑った!?
無愛想で有名な男が笑っている。そんな夫とと微笑み合うレベッカは幸せそうだった。
どこからともなくパチパチと拍手が起こった。やがてそれは大きくなって、一緒にホールで踊っていた他のカップルまで伝播した。
心まで躍るようにレベッカが眩しい笑みを浮かべている。終いには、レベッカもアルバートも二人揃って拍手をした。
幸せなら手をたたくのだと、東国の詩歌にあった気がする。
なんて素敵な言葉だろう。
一つ手を打つたびに心が軽くなる。アルバートと見つめ合って可笑しくて楽しくて、思わず声を出して笑ってしまった。
こんなに笑えたのは久しぶり。高貴な微笑みなら得意だけれど、お腹がよじれるほど笑うなんて。
息が切れるほどのスピードダンスも初めてだった。いいえ、幼いころにもこんなことがあった。
レベッカは、懐かしく思い出した。
まだ少年だったエドモンドが、こんなふうにレベッカを振り回して、ダンス講師にお小言を言われていた。あの時のエドモンドも、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
エドモンド様。私はちゃんと幸せよ。
優しい夫はこんなに心を砕いてくれる。私は楽しませてもらっているの。この夫と一緒に、これからの人生を踊るから、何も心配いらないわ。
アルバートがレベッカの腰を抱き寄せ、そのままダンスホールから外へ出た。途端に見知った貴族たちが寄り集まって、アルバートに挨拶をする。
彼は王太子の最側近で、重鎮たちの覚えもめでたい。そして意外なことにモテるのだ。
男やもめが長かったアルバートは、落ち着いた見目もあってかご令嬢がたに密かに人気がある。
当然です。今宵の旦那様は爽やかな風ばかりか、スピードまで加速しているんですもの。爽やかなんて通り越して、台風並みの旋風よ。
「レベッカ、久しぶり。ようやく地上に降りたのね。また貴女と会えるのが嬉しいわ」
仲の良かった友人が現れて、彼女はきっと今の今まで遠慮をしていたのだろう、こんな場面でレベッカが不遇を晒す姿を見るまいと、少し奥まったところに控えていた。
それが睦まじいアルバートとの姿に安堵して、声をかけてくれたようだった。
それからも、同じような友人から声をかけられた。友人たちと気楽に言葉を交わすのも三年ぶりのことだった。
レベッカは王族だった。彼女に背中から声をかけるのは、執務で関わる文官か王城の古狸くらいだろう。
あとは、
「レベッカ」
そうよね。貴方くらいだったわ。
友人たちとの歓談を終えて、アルバートに腰を取られながら二杯目のシャンパンで喉を潤した。ほろ酔いにほんのり頬が染まり、アルバートを見上げたその時に、背中から名を呼ばれた。
誰かなんてすぐにわかる。アルバートが笑みを引っ込めた。周囲から衣擦れの音がして、それが波のように辺りに響く。婦人がたがカーテシーで礼をするドレスが広がる。
レベッカは、声のした方へと振り返り微笑みみを浮かべて青い瞳を見つめた。それから、ゆっくりと根性込めて渾身のカーテシーを披露した。
「面を上げてくれないか。君を傅かせたいわけではない」
エドモンドが、妃となったシンシアを連れて立っている。
何しちゃってるの?エドモンド様。ほら、お妃様の目尻が吊り上がっちゃってるわ。それって元からのお顔かしら?
若干失礼なことを考えているレベッカに、アンネマリーの才能がなくてよかった。あんなに心の声がダダ漏れては、不敬に問われてしまうだろう。
面を上げて姿勢を正したレベッカの、その腰に手が添えられた。
大きくて温かな手。さっきまで全力疾走で妻を振り回していたのだから、まだ熱が籠もっている。
大丈夫だ、側にいる。手の平からアルバートの言葉が伝わるようだ。
やだわ、旦那様。目の前にいるのは貴方が忠臣を捧げている主君ですよ。
寄り添う夫の熱に安堵を覚えて、レベッカの笑みが深くなる。その表情をエドモンドは見落とすことはしなかった。
「レベッカ。一曲、お誘いしてもよろしいか」
もう夫人になったというのに、彼はレベッカを名呼びした。周囲を多くの目が取り囲んでいるというのに、エドモンドは、あの少年の日のようにレベッカをダンスに誘った。
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