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【12】
「はははは、君の話しは本当に愉快だな。」
和やかなテーブルに兄の笑う声が響く。
「お兄様、笑い過ぎです。」
「クリスティナ、堅いのはお仕着せを着ている時だけで良い。こんな旨い酒を飲んで、良く笑わずにいられるものだ。」
イワンに案内されたレストランは、王都暮らしのクリスティナも初めて知る店であった。
大通りから一本裏手にある為に、貴族令嬢のクリスティナが足を運ぶ事は無かった。
王城勤めのクリスティナは、引き籠もり気味の寂しい令嬢であったから、それも原因であったかもしれない。
古くからある老舗らしく、店内には平民も見掛けるが、皆衣服の仕立てが良い事から富裕層が出入りする店なのだろう。
調度品も質が良いし、派手な装飾も無く落ち着いた品格を感じさせた。
そこでイワンお勧めの、クローム領産のモルトウイスキーを楽しんでいた。
料理はコースではなくて、少しずつつまんで楽しめる酒肴の様な物が多い。
女性の舌には辛いだろうからと、それらとは別に熱いスープの上にパイ生地で蓋をしてそのまま焼いたものを、イワンはクリスティナの為に頼んでくれた。
パイを崩してスープを食すのは初めてで、パイ生地がポロポロとテーブルに溢れるのも気にしないで食べるのだと言う。
パイを崩せば中は玉葱のスープであった。
飴色になるまで煮詰めた玉葱が甘い。スプーンで掬うととろりと形を無くするほど柔らかい。
上に乗せたチーズが蕩けて、これがまたトロトロと食欲を誘う。
はしたなくも、ふうふう息を吹きながら啜るスープは驚くほど美味であった。
護衛と一緒なら令嬢だけでも来れるかしら。
そんな事を考えながら、勧められるままにウイスキーに口を付ける。
鼻腔を刺激する燻したような濃い香り。
舌先にピリリと感じる苦みは喉元を刺激しながら胃の腑に落ちると、後味に深みのある甘さが残る。
これはきっと旨い酒なのだろう。
酒に疎いクリスティナにも解る。
兄は今、クローム領地での話しに笑いのツボを刺激されたらしく、フォークが転んでも可笑しい乙女世代と同じである。
イワンは実直そうな見目からは分からなかった、ウィットに富んだ話術で兄妹を楽しませてくれた。
領地での酒造りの苦労や販売する上での失敗談を、ユーモア混じりに楽しく聞かせてくれる。
あはあはと、兄はまるっと貴族の仮面を捨て去って、実の弟と話す様にイワンにすっかり馴染んでしまった。
兄が一緒で良かった。
むかしむかしの確執を、次世代を担う兄とイワンが溶かしてくれた。長い年月がそうさせたのだろうけれど、切っ掛けは間違いなくこの二人であろう。
今晩、邸に戻ったら、きっと父も兄から話しを聞いて笑うだろう。そうして笑いが伝播して、いつか違えた過去のしこりも解けてくれたら良い。
思い掛けず蒸留酒の美味しさに目覚めて、少しばかり飲み過ぎたのだろうか。
頬が火照って熱い。
やだわ、恥ずかしい。良い歳をして酔ってしまうなんて。
そう思って俯いたのを、
「クリスティナ、眠くなったかい?」
イワンが気付いて案じて問うてくる。
親戚なのだから敬称は互いに外そう。
そう言われて、クリスティナ、イワンと名呼びする事になった。
では私はトーマスと呼んでくれ。
それには兄もすかさず追随したのである。
「そうだな、明日も早かろう。そろそろ御開きとするか。イワン、今宵は楽しかった。今度、我が邸にも来てくれないか。君の話しを母に聞かせてやりたい。」
母上のことだ、笑い転げて止まらないぞ、などと兄が軽口を言う。
「先にクリスティナを城まで送ろう。」
父と兄はクリスティナの様に城住まいではない。自邸から通いの勤めである。
王城に遅く返す訳にはいかないと、クリスティナは先に送ってもらうことになった。
帰りの馬車でも笑いは絶える事が無かった。終いにはクリスティナまで大口で笑い転げてしまった。
互いが笑うのを互いに温かな眼差しで見られる楽しさ。
こんな軽やかな心持ちになったのはいつぶりだろう。多分、姉が嫁ぐ前であったろうから、随分前の事だ。
持ってきたハンカチは涙に濡れた。
笑い転げた末の涙である。
笑いの涙を吸ったハンカチ。
記念に取っておきたいくらいね。
そんな事を考えながら、馬車を降りた。
イワンとは、また会おう、今度はルース家でと次の約束をして別れた。
新月を過ぎた月は今は上弦を迎えて、灯りの少ない王城の回廊も仄明かりが灯されたようである。
夜風が酒精に染められた頬を撫でて心地よい。時刻はそれ程遅くはない。身体を清めて夜着に着替えたら、毛布に包まって今日の話しを思い出そう。
涙が出るほど笑い転げた話の余韻を楽しもう。そうしてゆっくり眠りに就こう。楽しい夢がみられるだろう。きっと明日は、気持ち良く目覚められるだろう。
そんな事を考えながら自室へ向かう。
女性ばかりが住まう空間は、人気も無く静かであった。
まだ勤めの途中にいる者、クリスティナの様に外出許可を取って城下で楽しむ者、早々に入眠した者もいるだろう。
昨日のクリスティナは、「早々に入眠組」であった。
昨日の自分に教えてあげたい。
明日は楽しい夜になるわよ。
浮かれて警戒心が解けたのは、苦くて仄かに甘いウイスキーのせいか。
自室の鍵を開けて部屋に入って、扉を閉めようとしたその隙間から、腕が伸びて来て扉を掴んだ。大きな物がするりと中に滑り込むと、後ろ手にカチリと鍵を掛けた音がした。
「随分とご機嫌の様だな。クリスティナ。」
真逆ここに来るだなんて。
クリスティナは、罠に掛かった兎と同じであった。
和やかなテーブルに兄の笑う声が響く。
「お兄様、笑い過ぎです。」
「クリスティナ、堅いのはお仕着せを着ている時だけで良い。こんな旨い酒を飲んで、良く笑わずにいられるものだ。」
イワンに案内されたレストランは、王都暮らしのクリスティナも初めて知る店であった。
大通りから一本裏手にある為に、貴族令嬢のクリスティナが足を運ぶ事は無かった。
王城勤めのクリスティナは、引き籠もり気味の寂しい令嬢であったから、それも原因であったかもしれない。
古くからある老舗らしく、店内には平民も見掛けるが、皆衣服の仕立てが良い事から富裕層が出入りする店なのだろう。
調度品も質が良いし、派手な装飾も無く落ち着いた品格を感じさせた。
そこでイワンお勧めの、クローム領産のモルトウイスキーを楽しんでいた。
料理はコースではなくて、少しずつつまんで楽しめる酒肴の様な物が多い。
女性の舌には辛いだろうからと、それらとは別に熱いスープの上にパイ生地で蓋をしてそのまま焼いたものを、イワンはクリスティナの為に頼んでくれた。
パイを崩してスープを食すのは初めてで、パイ生地がポロポロとテーブルに溢れるのも気にしないで食べるのだと言う。
パイを崩せば中は玉葱のスープであった。
飴色になるまで煮詰めた玉葱が甘い。スプーンで掬うととろりと形を無くするほど柔らかい。
上に乗せたチーズが蕩けて、これがまたトロトロと食欲を誘う。
はしたなくも、ふうふう息を吹きながら啜るスープは驚くほど美味であった。
護衛と一緒なら令嬢だけでも来れるかしら。
そんな事を考えながら、勧められるままにウイスキーに口を付ける。
鼻腔を刺激する燻したような濃い香り。
舌先にピリリと感じる苦みは喉元を刺激しながら胃の腑に落ちると、後味に深みのある甘さが残る。
これはきっと旨い酒なのだろう。
酒に疎いクリスティナにも解る。
兄は今、クローム領地での話しに笑いのツボを刺激されたらしく、フォークが転んでも可笑しい乙女世代と同じである。
イワンは実直そうな見目からは分からなかった、ウィットに富んだ話術で兄妹を楽しませてくれた。
領地での酒造りの苦労や販売する上での失敗談を、ユーモア混じりに楽しく聞かせてくれる。
あはあはと、兄はまるっと貴族の仮面を捨て去って、実の弟と話す様にイワンにすっかり馴染んでしまった。
兄が一緒で良かった。
むかしむかしの確執を、次世代を担う兄とイワンが溶かしてくれた。長い年月がそうさせたのだろうけれど、切っ掛けは間違いなくこの二人であろう。
今晩、邸に戻ったら、きっと父も兄から話しを聞いて笑うだろう。そうして笑いが伝播して、いつか違えた過去のしこりも解けてくれたら良い。
思い掛けず蒸留酒の美味しさに目覚めて、少しばかり飲み過ぎたのだろうか。
頬が火照って熱い。
やだわ、恥ずかしい。良い歳をして酔ってしまうなんて。
そう思って俯いたのを、
「クリスティナ、眠くなったかい?」
イワンが気付いて案じて問うてくる。
親戚なのだから敬称は互いに外そう。
そう言われて、クリスティナ、イワンと名呼びする事になった。
では私はトーマスと呼んでくれ。
それには兄もすかさず追随したのである。
「そうだな、明日も早かろう。そろそろ御開きとするか。イワン、今宵は楽しかった。今度、我が邸にも来てくれないか。君の話しを母に聞かせてやりたい。」
母上のことだ、笑い転げて止まらないぞ、などと兄が軽口を言う。
「先にクリスティナを城まで送ろう。」
父と兄はクリスティナの様に城住まいではない。自邸から通いの勤めである。
王城に遅く返す訳にはいかないと、クリスティナは先に送ってもらうことになった。
帰りの馬車でも笑いは絶える事が無かった。終いにはクリスティナまで大口で笑い転げてしまった。
互いが笑うのを互いに温かな眼差しで見られる楽しさ。
こんな軽やかな心持ちになったのはいつぶりだろう。多分、姉が嫁ぐ前であったろうから、随分前の事だ。
持ってきたハンカチは涙に濡れた。
笑い転げた末の涙である。
笑いの涙を吸ったハンカチ。
記念に取っておきたいくらいね。
そんな事を考えながら、馬車を降りた。
イワンとは、また会おう、今度はルース家でと次の約束をして別れた。
新月を過ぎた月は今は上弦を迎えて、灯りの少ない王城の回廊も仄明かりが灯されたようである。
夜風が酒精に染められた頬を撫でて心地よい。時刻はそれ程遅くはない。身体を清めて夜着に着替えたら、毛布に包まって今日の話しを思い出そう。
涙が出るほど笑い転げた話の余韻を楽しもう。そうしてゆっくり眠りに就こう。楽しい夢がみられるだろう。きっと明日は、気持ち良く目覚められるだろう。
そんな事を考えながら自室へ向かう。
女性ばかりが住まう空間は、人気も無く静かであった。
まだ勤めの途中にいる者、クリスティナの様に外出許可を取って城下で楽しむ者、早々に入眠した者もいるだろう。
昨日のクリスティナは、「早々に入眠組」であった。
昨日の自分に教えてあげたい。
明日は楽しい夜になるわよ。
浮かれて警戒心が解けたのは、苦くて仄かに甘いウイスキーのせいか。
自室の鍵を開けて部屋に入って、扉を閉めようとしたその隙間から、腕が伸びて来て扉を掴んだ。大きな物がするりと中に滑り込むと、後ろ手にカチリと鍵を掛けた音がした。
「随分とご機嫌の様だな。クリスティナ。」
真逆ここに来るだなんて。
クリスティナは、罠に掛かった兎と同じであった。
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