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「クリスティナ。私が君を欲しているのは分かっているね。」
フレデリックは徐ろに核心めいた質問を投げ掛けた。
「いいえ。つい最近まで存じ上げませんでした。けれども、三月ほど前に。」
「ローレンに聞いたんだね?」
「はい。」
「ローレンは、君にどこまで話した?」
「殿下が仰るどこまでが何を意味しているのかは解りませんが、私が知ったのは学園での件とアンソニー大公令息の事でしょうか。」
「私を軽蔑する?」
「軽蔑は致しません。けれどもご婚約者様とのいざこざに巻き込まれた結果には傷付きました。」
「うん。あれは申し訳無かったと思っているよ。君を無碍に傷付けた結果、それでローレンに君を奪われてしまった。」
「ローレン様とは、あの事で心が通じ合った訳ではございません。」
「特別な関係ではあったろう。人目を忍んで逢瀬を重ねるほどには。」
「殿下の仰るような逢瀬と言うようなものではございませんでした。」
「けれども結果は同じだろう?」
「それは、」
フレデリックの緩やかな追求に、クリスティナは言葉に詰まる。
「クリスティナ。君とローレンの事は理解しているつもりだよ。あのローレンが君を手離さなかったからね。私に交渉を持ち掛ける程に。」
言葉を発せず足元に跪くクリスティナをフレデリックが見下ろす。引き寄せた手は、未だクリスティナの手首を掴んだままである。
フレデリックはその手を離し、それから今度は両の手でクリスティナの両手を握った。
初めて触れる王太子の高貴な御手は、思いの外大きな手であった。剣を握り鍛えているのが容易に分かる程に手の平は硬く剣だこがある。
何事も卒なく熟しあらゆる事の裏側まで見通して安々と立ち回るフレデリックが、実際は、一つ一つの物事に実直に取り組み励んでいる結果なのだと、クリスティナはその掌に思った。
「クリスティナ。」
名を呼ばれて、クリスティナはフレデリックを見上げた。
ここにいるフレデリックが、王太子の身分を脇に置いて、一人の青年としてクリスティナに語りかけている様に思えた。
「君に聞いて欲しい事があるんだ。」
「私が耳にしてよろしい事であれば。」
「うん。君にだから話したい。」
何故かは分からないが、今フレデリックの言葉を聞かなければ、後で後悔するのではないだろうか。
ローレンと偽って誘い込まれたにも関わらず、クリスティナはフレデリックを咎める気持ちになれずにいた。
フレデリックはクリスティナの言葉を聞いて、握っていた手をやんわりと引き寄せる。それにつられてクリスティナもゆっくり跪いた格好から立ち上がった。
立ち上がったクリスティナを、フレデリックは尚も引き寄せ、椅子に腰掛けたままクリスティナを抱き寄せた。
クリスティナは、一旦はそれにあがらう様に身体を強張らせるも、それも緩やかに引き寄せる力につられてフレデリックの為すがままに任せた。
フレデリックは今、まるでクリスティナに縋るようにその腰に抱き付いている。
「君は温かいね。」
フレデリックの吐息がお仕着せの上からも感じられた。
「君を得たいと思った。陳腐な言葉であるが、私は君が好きなんだ。学園で初めて君を見た時から惹きつけられていた。君の父と兄に影響されて君に興味を得た筈なのに、君はやはり君であったよ。何故なのかな。実のところ私にも分からない。ただ、君に惹かれた。誰かに心惹かれるのに理由など無いだろう。それが分かったら誰も悩みはしないだろう?」
「殿下、」
「今だけ名で呼んでくれないか。」
「フレデリック様。」
「ああ、良いね、それ。」
言葉の掛け合いを戯れ合う様に、フレデリックがクリスティナとの会話を楽しんでいるのが分かった。
「マリアンネに君を認めさせる為に、私は卑怯な手段を選んだ。焦っていたのだろうね。君にクローム男爵家との縁談が持ち上がっていたのは知っていた。奪われる位なら私の側妃に得たいと望んだ。父からマリアンネに承知させられるのならと許しを得て、それで策を講じて、そうして結果はマリアンネから手酷くしっぺ返しを受けてしまった。君が、私の命じた男に傷付けられるだなんて。」
フレデリックは、クリスティナの腰を抱き締める。熱い体温が伝わる。
傷を付けられたのはクリスティナ自身であるのに、クリスティナはフレデリックに硝子細工のような儚い脆さを感じた。
それで、なぜだか彼の為に涙が滲むのを止められなかった。
「私は、仮にマリアンネを汚させたとしても、彼女を王妃にすると決めていた。彼女ほど共に国を治めるのにふさわしい女性は居ないと思っている。彼女もそれを分かっていたから私の企てを許した。
そうでなければ、彼女はきっと君を殺めただろう。分かるだろう?それが王家のやり方だ。」
「ええ。お蔭で命は残りました。けれども令嬢としての尊厳は死にました。どうぞこれからは、喧嘩をなさるならお二人でなさって下さいませ。」
「はは、全くだ。君の言う通りだよ。初めからマリアンネに打ち明ければ良かったのかな。」
フレデリックの告白は、不思議な程にクリスティナの心に届いた。嘘も偽りも無い真実の告白を受けている。
クリスティナは気がついたら、フレデリックの髪を優しく梳いていた。
フレデリックはその手に為すがまま、クリスティナに身体を預ける。
クリスティナの腰に抱き付くフレデリックは、幼子が縋り付いて悪戯を詫びて許しを請う姿そのものであった。
フレデリックは徐ろに核心めいた質問を投げ掛けた。
「いいえ。つい最近まで存じ上げませんでした。けれども、三月ほど前に。」
「ローレンに聞いたんだね?」
「はい。」
「ローレンは、君にどこまで話した?」
「殿下が仰るどこまでが何を意味しているのかは解りませんが、私が知ったのは学園での件とアンソニー大公令息の事でしょうか。」
「私を軽蔑する?」
「軽蔑は致しません。けれどもご婚約者様とのいざこざに巻き込まれた結果には傷付きました。」
「うん。あれは申し訳無かったと思っているよ。君を無碍に傷付けた結果、それでローレンに君を奪われてしまった。」
「ローレン様とは、あの事で心が通じ合った訳ではございません。」
「特別な関係ではあったろう。人目を忍んで逢瀬を重ねるほどには。」
「殿下の仰るような逢瀬と言うようなものではございませんでした。」
「けれども結果は同じだろう?」
「それは、」
フレデリックの緩やかな追求に、クリスティナは言葉に詰まる。
「クリスティナ。君とローレンの事は理解しているつもりだよ。あのローレンが君を手離さなかったからね。私に交渉を持ち掛ける程に。」
言葉を発せず足元に跪くクリスティナをフレデリックが見下ろす。引き寄せた手は、未だクリスティナの手首を掴んだままである。
フレデリックはその手を離し、それから今度は両の手でクリスティナの両手を握った。
初めて触れる王太子の高貴な御手は、思いの外大きな手であった。剣を握り鍛えているのが容易に分かる程に手の平は硬く剣だこがある。
何事も卒なく熟しあらゆる事の裏側まで見通して安々と立ち回るフレデリックが、実際は、一つ一つの物事に実直に取り組み励んでいる結果なのだと、クリスティナはその掌に思った。
「クリスティナ。」
名を呼ばれて、クリスティナはフレデリックを見上げた。
ここにいるフレデリックが、王太子の身分を脇に置いて、一人の青年としてクリスティナに語りかけている様に思えた。
「君に聞いて欲しい事があるんだ。」
「私が耳にしてよろしい事であれば。」
「うん。君にだから話したい。」
何故かは分からないが、今フレデリックの言葉を聞かなければ、後で後悔するのではないだろうか。
ローレンと偽って誘い込まれたにも関わらず、クリスティナはフレデリックを咎める気持ちになれずにいた。
フレデリックはクリスティナの言葉を聞いて、握っていた手をやんわりと引き寄せる。それにつられてクリスティナもゆっくり跪いた格好から立ち上がった。
立ち上がったクリスティナを、フレデリックは尚も引き寄せ、椅子に腰掛けたままクリスティナを抱き寄せた。
クリスティナは、一旦はそれにあがらう様に身体を強張らせるも、それも緩やかに引き寄せる力につられてフレデリックの為すがままに任せた。
フレデリックは今、まるでクリスティナに縋るようにその腰に抱き付いている。
「君は温かいね。」
フレデリックの吐息がお仕着せの上からも感じられた。
「君を得たいと思った。陳腐な言葉であるが、私は君が好きなんだ。学園で初めて君を見た時から惹きつけられていた。君の父と兄に影響されて君に興味を得た筈なのに、君はやはり君であったよ。何故なのかな。実のところ私にも分からない。ただ、君に惹かれた。誰かに心惹かれるのに理由など無いだろう。それが分かったら誰も悩みはしないだろう?」
「殿下、」
「今だけ名で呼んでくれないか。」
「フレデリック様。」
「ああ、良いね、それ。」
言葉の掛け合いを戯れ合う様に、フレデリックがクリスティナとの会話を楽しんでいるのが分かった。
「マリアンネに君を認めさせる為に、私は卑怯な手段を選んだ。焦っていたのだろうね。君にクローム男爵家との縁談が持ち上がっていたのは知っていた。奪われる位なら私の側妃に得たいと望んだ。父からマリアンネに承知させられるのならと許しを得て、それで策を講じて、そうして結果はマリアンネから手酷くしっぺ返しを受けてしまった。君が、私の命じた男に傷付けられるだなんて。」
フレデリックは、クリスティナの腰を抱き締める。熱い体温が伝わる。
傷を付けられたのはクリスティナ自身であるのに、クリスティナはフレデリックに硝子細工のような儚い脆さを感じた。
それで、なぜだか彼の為に涙が滲むのを止められなかった。
「私は、仮にマリアンネを汚させたとしても、彼女を王妃にすると決めていた。彼女ほど共に国を治めるのにふさわしい女性は居ないと思っている。彼女もそれを分かっていたから私の企てを許した。
そうでなければ、彼女はきっと君を殺めただろう。分かるだろう?それが王家のやり方だ。」
「ええ。お蔭で命は残りました。けれども令嬢としての尊厳は死にました。どうぞこれからは、喧嘩をなさるならお二人でなさって下さいませ。」
「はは、全くだ。君の言う通りだよ。初めからマリアンネに打ち明ければ良かったのかな。」
フレデリックの告白は、不思議な程にクリスティナの心に届いた。嘘も偽りも無い真実の告白を受けている。
クリスティナは気がついたら、フレデリックの髪を優しく梳いていた。
フレデリックはその手に為すがまま、クリスティナに身体を預ける。
クリスティナの腰に抱き付くフレデリックは、幼子が縋り付いて悪戯を詫びて許しを請う姿そのものであった。
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