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【36】
「真逆、君、それで殴られたのか?」
死んでしまった(仮)クリスティナに代わって、イワンがローレンの青痣を指摘した。
「ああ、そうだな。二発程。二発目は蹴りであった。」
そう言って鳩尾(みぞおち)の辺りを擦った。
「お父様が暴力を?!」
「いや、トーマス殿だ。」
「お兄様まで同席していたの?!」
「当たり前だろう。君が出立はトーマス殿から聞いたのだから。」
当たり前なのだろうか。
「貴様、よくもクリスティナを!」
「思い違いは止してくれ。クリスティナは初めから私のものだ。まあ貴様には感謝している。クローム男爵家からの縁談話が齎されたから殿下は策を講じられたのだ。
ああ、解らなくて結構。寧ろその方が良かろう。家を失いたくなければ深入りは止めた方が良い。」
しれっと貴様に貴様で返したローレンは、そこでしっかり釘を刺した。
「ローレン様、」
死んでしまった(仮)クリスティナは、僅かに残った生気を振り絞って、一番大切な事を確かめる。
「父は、本当に受け入れたのでしょうか。」
「だから私がここにいる。」
「クリスティナ。」ローレンは続ける。
「クリスティナ、私は夫婦関係に於いて隠し事は望まない。情報を開示した明るい夫婦関係を望んでいる。喩えそれが些事だとしても、私の耳には入れて欲しい。例えば、縁者との旅とか。」
クリスティナはもう何も言えなかった。
侍女は、息をしているのかどうか分からない程青くなって微動だにしない。
そうしてイワンも項垂れたまま、ひと言も発する事は無くなった。
ローレンだけが、暮れなずむ車窓の景色を堪能していた。
その手は、クリスティナの手を固く繋いで、離す気配は無かった。
葬儀の様な晩餐を終えて、クリスティナはイアンが用意してくれた部屋へ戻った。
あれから半刻の後、宿のある町に着いた。
侍女と護衛は何かを察して、私達は何も見ません聞きませんに徹して、クリスティナの荷を運び身繕いをしてくれた。
当然の様に夕食の席に現れ、当然の様にクリスティナの隣に座って食事を摂るローレンに、イワンはもう何も言わなかった。
まるで砂を噛んでいる様な顔をして、ひたすら料理を口に運んでいた。
いつの間に手配したのか、自身の部屋も頼んだらしいローレンは、湯浴みをしたらしくスッキリとした表情が凛々しく見えた。
左頬と口元の青痣すら彼の美貌を引き立てる様であった。
最後に愛を確かめたのは冬の最中の事で、それから幾月経っただろう。三、四と指を折って数える。
その間は、互いに多忙を極めていた。それでも休暇はあったし時間が全く無い訳では無かった。
なのに、ローレンからの誘いも訪いも、ただの一度も無かった。
テレーゼ王女の輿入れの直前に不審なメモを受け取って、ローレンかと向かった先に真逆のフレデリックが居たのは、つい半月程前の事である。
フレデリックと会った夜の後も、ローレンに変わった様子は見られなかった。
フレデリックとの出来事を消化するのにクリスティナ自身も時間が欲しかったし、何より無事に王女を送り出すまでは自分の事など全てを後回しにしていたから、今日ローレンと同じ宿にいる事もどこか現実味が欠けている様に思えた。
侍女には貴女もゆっくり休んでと声を掛けて下がらせると、漸く独りの時間が訪れた。
旅に出たのも思いつきに等しかった。
偶々イワンが予定を合わせて旅の伴をしてくれた。そうでなければ、父に頼んで子爵家の馬車と使用人を貸して貰おうと考えていたのだ。
真逆、用心深く冷静なローレンが、陛下の執務室を訪うなんて。
いくら王太子の側近とは云え、主不在の王城で有るまじき行為である。
確かにローレンも遠くは王族の血を引くが、だからと言って何でも許される訳では無いのだ。
父は何と思っただろう。
大切に育てた筈の娘が、疾うの昔に純潔を奪われて、そうして何年も関係を結び続けていたのを、父は果たして何と思った事だろう。
宰相にまで筒抜けだなんて。
頭から溢れ出る情報を整理したくて独りになったのに、クリスティナはますます混乱して来た。仕舞いには、恥ずかしさが顔を真っ赤に染めてしまって、明日はいよいよクローム領に入ると云うのに何の心準備も出来ずにいた。
だから、部屋をノックする音に、初めは気付かず聞き逃した。
再びコンコンと音がして、慌てて扉へ駆け寄った。
「どなた?」
「クリスティナ。」
侍女かも知れぬと声を掛ければそれはローレンで、自分の名を呼ぶ声は扉越しであるのに低く耳朶に響いて聴こえた。
音を立てぬ様に扉を開ける。
僅かに開いた隙間を見上げれば、確かに知る青い瞳があった。
クリスティナがそれに見惚れる内にも、ローレンはするりと部屋に入り込む。
途中、クリスティナを抱え上げる事を忘れない。
周到に後ろ手に鍵を掛けたローレンが、細身であるのに片腕で軽々とクリスティナを抱える。
そのまま寝台まで進むのだから、クリスティナはその先が容易に分かってジタバタと藻掻いた。
「大人しくするんだ、クリスティナ。」
抱き上げたクリスティナの胸元に顔を埋めてローレンが呟けば、その吐息の熱さが薄衣を通して肌に伝わった。
寝台の縁にクリスティナを降ろして、その隣にローレンが腰を掛けた。
その整った顔を間近に見つめる。
そうして漸く、自分がこの時をどれほど心待ちに待っていたのかが分かった。
胸の奥底から熱が湧き上がって、恋心なのか淫らな恋情なのか激しい熱が胸の内を焦がす。
この熱でこの男に火傷の一つも負わせてやりたい。
ああ、私、ローレン様に放って置かれて寂しかったのだわ。
クリスティナは見ないフリを通していた、ローレンに恋焦がれるその心を、とうとう認めてしまったのだった。
死んでしまった(仮)クリスティナに代わって、イワンがローレンの青痣を指摘した。
「ああ、そうだな。二発程。二発目は蹴りであった。」
そう言って鳩尾(みぞおち)の辺りを擦った。
「お父様が暴力を?!」
「いや、トーマス殿だ。」
「お兄様まで同席していたの?!」
「当たり前だろう。君が出立はトーマス殿から聞いたのだから。」
当たり前なのだろうか。
「貴様、よくもクリスティナを!」
「思い違いは止してくれ。クリスティナは初めから私のものだ。まあ貴様には感謝している。クローム男爵家からの縁談話が齎されたから殿下は策を講じられたのだ。
ああ、解らなくて結構。寧ろその方が良かろう。家を失いたくなければ深入りは止めた方が良い。」
しれっと貴様に貴様で返したローレンは、そこでしっかり釘を刺した。
「ローレン様、」
死んでしまった(仮)クリスティナは、僅かに残った生気を振り絞って、一番大切な事を確かめる。
「父は、本当に受け入れたのでしょうか。」
「だから私がここにいる。」
「クリスティナ。」ローレンは続ける。
「クリスティナ、私は夫婦関係に於いて隠し事は望まない。情報を開示した明るい夫婦関係を望んでいる。喩えそれが些事だとしても、私の耳には入れて欲しい。例えば、縁者との旅とか。」
クリスティナはもう何も言えなかった。
侍女は、息をしているのかどうか分からない程青くなって微動だにしない。
そうしてイワンも項垂れたまま、ひと言も発する事は無くなった。
ローレンだけが、暮れなずむ車窓の景色を堪能していた。
その手は、クリスティナの手を固く繋いで、離す気配は無かった。
葬儀の様な晩餐を終えて、クリスティナはイアンが用意してくれた部屋へ戻った。
あれから半刻の後、宿のある町に着いた。
侍女と護衛は何かを察して、私達は何も見ません聞きませんに徹して、クリスティナの荷を運び身繕いをしてくれた。
当然の様に夕食の席に現れ、当然の様にクリスティナの隣に座って食事を摂るローレンに、イワンはもう何も言わなかった。
まるで砂を噛んでいる様な顔をして、ひたすら料理を口に運んでいた。
いつの間に手配したのか、自身の部屋も頼んだらしいローレンは、湯浴みをしたらしくスッキリとした表情が凛々しく見えた。
左頬と口元の青痣すら彼の美貌を引き立てる様であった。
最後に愛を確かめたのは冬の最中の事で、それから幾月経っただろう。三、四と指を折って数える。
その間は、互いに多忙を極めていた。それでも休暇はあったし時間が全く無い訳では無かった。
なのに、ローレンからの誘いも訪いも、ただの一度も無かった。
テレーゼ王女の輿入れの直前に不審なメモを受け取って、ローレンかと向かった先に真逆のフレデリックが居たのは、つい半月程前の事である。
フレデリックと会った夜の後も、ローレンに変わった様子は見られなかった。
フレデリックとの出来事を消化するのにクリスティナ自身も時間が欲しかったし、何より無事に王女を送り出すまでは自分の事など全てを後回しにしていたから、今日ローレンと同じ宿にいる事もどこか現実味が欠けている様に思えた。
侍女には貴女もゆっくり休んでと声を掛けて下がらせると、漸く独りの時間が訪れた。
旅に出たのも思いつきに等しかった。
偶々イワンが予定を合わせて旅の伴をしてくれた。そうでなければ、父に頼んで子爵家の馬車と使用人を貸して貰おうと考えていたのだ。
真逆、用心深く冷静なローレンが、陛下の執務室を訪うなんて。
いくら王太子の側近とは云え、主不在の王城で有るまじき行為である。
確かにローレンも遠くは王族の血を引くが、だからと言って何でも許される訳では無いのだ。
父は何と思っただろう。
大切に育てた筈の娘が、疾うの昔に純潔を奪われて、そうして何年も関係を結び続けていたのを、父は果たして何と思った事だろう。
宰相にまで筒抜けだなんて。
頭から溢れ出る情報を整理したくて独りになったのに、クリスティナはますます混乱して来た。仕舞いには、恥ずかしさが顔を真っ赤に染めてしまって、明日はいよいよクローム領に入ると云うのに何の心準備も出来ずにいた。
だから、部屋をノックする音に、初めは気付かず聞き逃した。
再びコンコンと音がして、慌てて扉へ駆け寄った。
「どなた?」
「クリスティナ。」
侍女かも知れぬと声を掛ければそれはローレンで、自分の名を呼ぶ声は扉越しであるのに低く耳朶に響いて聴こえた。
音を立てぬ様に扉を開ける。
僅かに開いた隙間を見上げれば、確かに知る青い瞳があった。
クリスティナがそれに見惚れる内にも、ローレンはするりと部屋に入り込む。
途中、クリスティナを抱え上げる事を忘れない。
周到に後ろ手に鍵を掛けたローレンが、細身であるのに片腕で軽々とクリスティナを抱える。
そのまま寝台まで進むのだから、クリスティナはその先が容易に分かってジタバタと藻掻いた。
「大人しくするんだ、クリスティナ。」
抱き上げたクリスティナの胸元に顔を埋めてローレンが呟けば、その吐息の熱さが薄衣を通して肌に伝わった。
寝台の縁にクリスティナを降ろして、その隣にローレンが腰を掛けた。
その整った顔を間近に見つめる。
そうして漸く、自分がこの時をどれほど心待ちに待っていたのかが分かった。
胸の奥底から熱が湧き上がって、恋心なのか淫らな恋情なのか激しい熱が胸の内を焦がす。
この熱でこの男に火傷の一つも負わせてやりたい。
ああ、私、ローレン様に放って置かれて寂しかったのだわ。
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