囚われて

桃井すもも

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【40】

「本当に馬は宜しかったので?」
「ああ、キャサリンか?」
「え?」
「ああ、馬の名だ。」
「真逆、」
「ああ、トーマス殿の牝馬を借りた。」

牝馬に恋人の名を付けるだなんて。
クリスティナは兄の神経を疑った。

そんな事より、
「であれば尚の事。クローム領に置いてきて宜しかったのでしょうか。」
「仕方無かろう。男爵家の馬車を借りたのだ。」

イワンはまだ諸用が残っているからと、そのまま男爵領に残ることになった。
帰りは男爵家の馬車と侍女に護衛を貸してくれるとの事であったが、ローレンがそれを断った。
その代わり、ルース子爵家嫡男の愛馬キャサリンをそちらに預けるからと、キャサリンをクローム領へ置いてきてしまったのであった。

キャサリンはすっかり王都から帯同していた護衛に懐き、もしかしたら兄を忘れてしまうのではないかと思われた。

「兄が寂しがります。」
「気付くまで間があるだろう。馬はそのうち帰って来る。」
「ちょっとお待ち下さい。今なんと。」
「馬はそのうち、「いえ、その前、」
「気付くまで間がある、」
「真逆、兄に無断で」
「ああ、急いでたからな。」

どうしよう。兄の愛馬を無断で持ち出し北の大地に置いてきてしまった。

「別に良かろう。ルース子爵家とクローム男爵家の仲を取り持つのだ。私は褒められると思っていた。」

意地の悪い笑みは確信犯だ。

「侍女も護衛も付けずに。」
「お前は自分で身支度が出来る。私は剣の心得がある。後は馬車と御者がいれば事足りるだろう。」
それとも、とローレンは悪い笑みのままクリスティナを覗き込んだ。

「いちいち侍女やら護衛に気を遣って愛し合うのか?」

クリスティナの頬が真っ赤に染まる。もうそんな初心な歳でもないのだが、どうしてこの男は、人の心の柔らかなところをこうも上手く擽るのか。


元は少ない荷であったのが、クローム男爵から山のような土産を貰って、馬車は荷馬車の有り様であった。

クリスティナとローレンは隣同士に座って、空いている座席は荷物置場と化している。
その殆どがクローム領の名産である蒸留酒で、製造出来る数が少ない為に流通には乗らない貴重な品である。

キャサリンの事は希少ウイスキーで許してくれるだろうか。いや、無理だろう。
出発したばかりであるのに、クリスティナは王都に戻るのに憂鬱の種が増えたのであった。


帰りの景色も格別なものだった。
往路とは目に映る方向が変わったからか、新鮮な気持ちで旅路を楽しめた。

生まれて初めての旅であった。
過去に確執があったとされる血族と、再び縁を得ることが出来た。
何より、自身の身体に脈々と受け継がれるものが確かにある事を、クローム領の大地に感じた。

自分に確かなルーツがある。
当たり前の事であるのに、それを実感できたのが嬉しかった。

生まれた土地を離れて王都に移って、そう云う根無し草の様な家系であると思っていたから、自分とよく似た髪と瞳の親族や領民に会えて、漸く生まれ故郷を得られた気持ちになったのである。

「ローレン様はご領地に戻られる事はあるのですか?」
「いや、私は無い。物心が付いた時には既に王都の屋敷にいた。」
「ご領地は代官かどなたかが?」
「両親が領地にいる。今も。」

ローレンとは何年も関係があったのに、互いの事は何も知らない。
クリスティナがローレンについて知っている事は、共に王族に仕える者同士の情報からであって、こうして互いに互いの出生や育ちについて話すのは初めての事であった。

「私は祖父母に育てられた。生まれた時より王族に仕えることが決まっていたからな。」

「そうなのですか?」

「先にフレデリック殿下がお生まれであった。我が家は王家の傍流だ。嫡男は少なからず王族に侍るのが習わしだ。」

「では伯爵様は、」

「父も陛下が王太子であられた際には側近として仕えていた。だが母が私を産んだ後、産褥が思わしくなく気を病みがちになった。それで側近を辞して領地に戻った。」

「ローレン様のご領地は遠いのですか?」

「それ程遠くはない。元々王領であったのを拝領されたものだ。極々小さな領地だ。」

クリスティナはローレンの事をまるで知らない事に今更ながら思い至る。
ローレンの纏う冷やかな空気が、その生い立ちに関係するのかと考えたがそれ以上聞くことは止めにした。

今日、こうしてローレンの口から齎される様に、ローレンが話したい事を話そうと思った時に聞けたなら、それで良いと思う。
今、隣にローレンがいて、大きな掌がクリスティナの手を包み込んでいる。

この温もりが全てであって、これから先の人生をローレンと生きるのならば、ローレンの人生もまたクリスティナと共にある。

過去より未来に目を向けようと、心なし視線を前に向けるのだった。目に映るのは大量の酒瓶酒樽ばかりであったが。


数日前に宿泊した宿に再び泊まり、翌日は王都を目指して来た道を戻って行く。

旅と云う非日常に浮かれていた気持ちが、鉛を背負わされる様に馬車の進む度に重くなる。

ああ、父になんと言おう。
母は泣いているのではないか。
姉はもう知らされただろうか。
兄!よくもローレン様を殴ったわね!
キャサリンの事は、
はっ!そんな事より、陛下だわ!御前で耳を汚してしまった。宰相閣下も!

どんどん鉛は量を増して、心はどんどん沈んで行く。

「帰りたくない。」
「ならば私と逃げようか。」
冗談とも本気ともつかないローレンの返しに、何故心が浮き立つのか。

この世でローレンとただ二人きり、誰も知らない何処かの土地で家柄も身分も生まれも過去も捨て去って、ただローレン、クリスティナとして生きたならどれ程幸せに感じる事だろう。

そう思った先からクリスティナは無意識のうちに首を振る。

自分達は国と民を王家と共に支える貴族の身で、その恩恵の上に生きて来た。
責を負うのは当然で、そうしてしか生きられない。

未来の国王陛下をお支えして、政(まつりごと)にどっぷり浸かり、この国の未来の為に生きて行く。

隣りに座るローレンの方を向けば、ローレンはクリスティナを見つめていた。まるで二人同じ事を考えていたように二人の視線が交差する。

どちらともなく近寄って、互いに唇を重ね合う。これからの人生を何処までも離れる事なく生きて行く、神前での誓いの口付けの様に。







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