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第8章:執着の画廊 ~禁断の聖域~
しおりを挟む蓮の告白から1週間が過ぎた。仕組まれた出会いを運命だと勘違いしていた俺は、彼への憎悪に支配され、完全に騙されていた自分への怒りがさらに拍車をかける。
あいつの存在が俺の心に根を張りそうになったからこそ、この裏切りが許せない。もう二度と、元の関係には戻れないだろう。
黄昏時の美術室へ向かったのは、部活の備品を取りに来たためだった。絵の具とテレピン油が混じった独特の匂いが鼻をつく。
窓から差し込む夕陽が埃っぽい空気を琥珀色に染める中、俺は一人立ちすくんでいた。呼吸するたび、胸の奥に重い塊があることを自覚する。
「確か、奥の物置にあるはずなんだけど……」
薄暗い廊下を進む。人気のないこの時間帯、木造の床がギシギシと響く。物置の扉を開けるつもりだったが、間違えて違う部屋に入ってしまう。
暗闇に目が慣れていく中、エジソンランプのぼんやりした灯が、信じられない光景を浮かび上がらせた。
「なっ……」
息を呑む。壁一面を埋め尽くす無数の肖像画。すべて俺の顔だ。
バスケの試合で汗まみれの顔、授業中に窓の外を見つめる横顔、あのマッサージで無防備になった瞬間まで。それらが生きているかのように俺を見返してくる。
恐怖で手が震える。心臓の鼓動が耳に響く。現実か夢か判別がつかない。ただ、無数の俺の瞳が、この異常な状況の真実を物語っている。
壁に近寄る。一枚、また一枚と、知らない表情の俺が並んでいた。練習後の疲労に歪んだ顔、友人と談笑する飾り気のない笑顔、そして……誰にも見せたことのない、孤独な時の寂しげな横顔まで。
「いつの間に、こんなに……」
指先で、その一枚に触れた。紙の質感が現実味を突きつける。幻覚ではない。蓮が俺の知らぬ間に描き溜めた、膨大な記録の証拠だった。
机の上のスケッチブックを開いた。ページには細かく記された日付と、俺の行動記録。
「4月15日午後3時24分、図書室で眠る。長い睫毛の影が美しい。まるで蝶が羽を休めているよう」
「5月2日午前10時15分、廊下で友人と談笑。笑顔が輝いている、この角度のEライン凄く綺麗」
文字を追うごとに、異様な気持ち悪さが込み上げる。同時に、胸の奥で何かがざわめく。
蓮は俺の一挙手一投足を見詰めていたのか。俺の知らない表情まで切り取って、絵にしていたのか。その執着の深さに、恐怖と共に言語化出来ない感情が湧き上がる。
ページを捲ると、俺の日課や習慣まで細かく記録されている。朝のランニングコース、昼食のメニューの傾向、放課後の行動パターン。
まるで研究対象のように、俺の全てが解析されていた。
「6月3日、先輩は左手で髪をかき上げる癖がある。その仕草を見る度に、髪に触れてみたくなる」
「6月10日、先輩の唇が微かに動く。きっと心の中で詩を呟いているのだろう。その秘密を共有したい」
記録は日を追うごとに詳細になり、同時に蓮の想いも深まっていく様子が手に取るように分かる。最初は憧れから始まったものが、次第に執着へと変貌していく過程が、生々しく描かれていた。
「これは……全部、俺……?」
声が裏返る。自分の声とは思えないほど、か細い。
「これは僕の聖域なのに……」
背後から響く蓮の声に、俺はゆっくりと振り向いた。月光に照らされた彼の表情には、これまで見せていた儚げな美しさの奥に潜む、黒い炎のような情熱が宿っている。その瞳の奥深くで何かが燃えているのを、俺ははっきりと感じ取った。
この瞬間、俺は蓮の本当の顔を見たのかもしれない。普段の控えめで儚げな少年の仮面の下に隠された、狂気的なまでの執着心。それは美しく、同時に恐ろしかった。
「なんで、こんなに俺の絵を描いてるんだ……?」
問いかけに、蓮は微笑んだ。その笑みには狂気と純粋さが混在していて、俺の心を激しく揺さぶる。美しいものを見た時の畏怖に似た感情が、俺の中で渦巻く。
「……それは、先輩の全ての瞬間を残しておきたくて……」
一歩近づく蓮の目には、懇願するような光が宿っていた。その眼差しに射抜かれそうになりながら、俺は後ずさる。壁に背中がぶつかる。逃げ場がない。
「僕は、あなたの全てを愛しているんです。狂おしいほどに」
その言葉が俺の心臓を貫く。愛という言葉の重さに、俺は身動きが取れなくなった。蓮の愛は、俺が今まで知っていた愛とは明らかに違う。
「狂ってる……」
声を荒げたが、その怒りの裏には、理解できない感情が渦巻いていた。恐怖と、それに相反する何かが。安堵のような、安心のような、説明できない感情が。
「怖いですか?」
蓮の問いかけに、俺は正直に答えるしかなかった。嘘をつくことができない。この状況で、この相手に。
「……うん。いつから描いてるんだ……?」
「半年前からです。僕の想いは本物だって……分ってくれましたか?」
俺の心の中で、怒りと戸惑いが激しく渦を巻いている。蓮のこの狂気じみた行為が、本当に愛の形なのか。それとも、ただの歪んだ執着なのか。判断がつかない。それ以上に、この状況を完全には拒絶できない自分がいることに、俺は混乱していた。
なぜだ。なぜ俺は、この異常な愛を前にして、背を向けることができないのか。
「お前、これが愛だというのか?」
「はい……僕の愛の形です……」
蓮の声が静かに響く。その声には、どこか祈るような響きがあった。神に祈りを捧げる信者のような、純粋で狂気じみた信仰心が。
「この絵の一枚一枚に込められた想いを……偽物だと?」
俺は後ずさる。しかし、目は蓮から離れない。心の中で怒りと戸惑いがぶつかり合っている。常識では拒絶すべきなのに、蓮の瞳に映る真っ直ぐな想いに、なぜか完全には背を向けられなかった。その事実が、俺をさらに混乱させる。
「お前の愛は……俺を縛るだけのものか?」
「いいえ。先輩が望むなら、距離を置きます。でも……」
蓮が一歩近づく。その目には決して折れない強い意志が宿っていた。月光に照らされた彼の存在は堕天使そのもの。美しい顔に闇を心に宿している。
「僕の世界は、先輩が中心にいます。先輩がいなければ、全てが色を失い、僕は……息も出来ないんです。先輩は僕の酸素だから……」
その言葉に、俺の心が大きく波打つ。理解できないはずの言葉が、不思議と心の奥に響く。酸素……俺がいなければ息ができない……そんな存在になっていたなんて、思いもよらなかった。
重すぎる。この愛は、俺には重すぎる。でも、同時に、誰かにとってそこまで重要な存在だったことに、心の奥が熱を帯びるのを感じていた。
「お前、何を……言ってるんだ?」
この男は本当に、俺が受け入れないと死ぬということなのか?俺には本当に荷が重すぎる。
「愛しています」
蓮の告白が、静寂を切り裂く。その声は、儚く、鋭く、そして限りなく美しい。
「狂いそうなほど、先輩を」
その瞬間、蓮の純粋さと狂気が交錯する美しさに、俺は息を呑んだ。その姿は妖しく、そして深く心を揺さぶった。危険だと分かっているのに、目が離せない。まるで猛毒の花に魅せられているかのように。
「先輩が『もう俺に近づくな』って言ったら……僕はきっと、この世界から消えるでしょう」
その瞬間、俺の脳内では薔薇の入ったガラスの花瓶が粉々に割れる。恐怖が限界に到達したのだ。しかし、蓮の狂気の中に、確かに温もりもあり、それが恐ろしく、でも同時に心地よかった。
「……少し、時間をくれ」
蓮のスケッチブックを一冊持ち、部屋を後にする俺の背中に、蓮の切なげな眼差しが注がれているのを感じた。このままでは、取り返しのつかない旅路に向かうだろう。
そう感じながらも、俺は足を止めることができない。むしろ、その狂気じみた愛に引き寄せられていく自分がいる。その事実から逃れることができない。
◇
その夜は眠れなかった。ベッドの中で天井を見詰め、蓮の言葉を思い出す。彼の描いた俺の数えきれない大量の絵。あの執着的な愛情。それらすべてが頭の中でぐるぐると回っている。
なぜだ。なぜ俺は、あの異常な愛を前にして、完全に拒絶することができないのか。
その答えは、誰にも見せない自分の弱さを、蓮だけが受け入れてくれると感じたからかもしれない。武道家として強くあらねばという重圧。詩への密かな憧れ。人に言えない繊細さ。そういった相反するものを内包する俺を、蓮は全て受け入れようとしている。
窓の外では、月が静かに輝いている。その光が、俺の混乱した心を浮き彫りにしていた。
「あいつの愛は、本物なのか?」
呟いた言葉が、夜空に溶けていく。
幼い頃から、俺は完璧であることを求められてきた。強く、優秀で、非の打ち所のない人間であることを。でも蓮は違う。俺の弱さも、迷いも、俺の矛盾したすべてを愛おしいと言ってくれる。そんな相手に出会ったのは、生まれて初めてだった。
しかし、その愛があまりに歪で、あまりに狂気じみていることも事実だ。普通なら恐れるべき状況なのに、心臓が掴まれるようだった。
「俺も、狂ってるのか?」
自問自答を繰り返しながら、俺は夜明け前の池のほとりに足を向けていた。この混乱した気持ちに決着をつけるために。
答えは見つからないまま、俺は静かに歩き続ける。蓮の狂気的な愛への恐怖と、それに相反する何かが、俺の心を激しく揺さぶり続けていた。
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