悪の献身 〜アイドルを夢見る少年は、優しい大人に囲まれて今日も頑張ります〜

木曜日午前

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第59話 偶像は悪

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「もう、戻れないんだな」
「戻れないです」

僅かに震えた声で吐き出すように話したジノ兄さんは、ゆっくりと近づいてきた。

「最後にお願いがあるんだ」
「なんですか?」

「あの首輪をしてくれないか?」

「ごめんなさい、それはもう持ってないです」

ジノ兄さんに頭を下げた。ジノ兄さんは俺の隣まで来た。そして、その手は素早くこちらへと伸びてきた。


そして、俺の首をグッと掴んだ。

「んっ、ぅンッ……!」

苦しい、苦しい、俺は喉を掴まれたため、必然的に彼と向き合う状態になる。

ジノ兄さんが近づけば近づくほど、俺たちの視線は確りと交りあって、ジノ兄さんのが先に視線を落とした。

あと少しで、俺はもう駄目だろう。虚ろになりかけたところで、急に手を離された。

「ゔぇっ、ぇほッ、ぐぇ、ぇッ」

急に取り込まれる酸素。思わず汚く噎せる俺。ジノ兄さんは落ち着くまで、隣で俺を見ていた。
暫くして、落ち着いた頃、恐る恐るジノ兄さんを見上げる。彼はもうすでに穏やかな表情をしていた。


「カナヤマくん、今日はありがとう。俺は仕事あるから、ここでお暇するよ。さようなら」

まるでお茶だけ頂いたくらいの軽い様子に拍子抜けしてしまうが、俺は早く帰ってほしくて彼を玄関まで案内する。

「さようなら、キムジノプロデューサー」

それが、俺たちの最後の言葉だった。


マシューさんが彼をここに呼んだ理由は、わからない。けれど、俺的には俺たちはあるべき姿に戻ったのだと思う。なにせ本来ならば、俺たちは交わるべきではなかったのだから。

彼が去った次の日、俺は部屋に大事にしまっていた一つの箱をゴミ収集ボックスの中へと入れた。


そして、また半年。

その頃にもなると勉強もかなり進み、元々外国語系は得意だったので、そのあたりの試験を受けたりしていた。
まだ、目立った功績はないが、着実に良い点数にはなってきている。

この半年、『パラニュイ』は事実上の解散となった。何せ、事務所が破産してしまったからだ。メンバーたちとは連絡が取っていないので、詳しいことはわからない。
でも、前々から潰れるかもしれないと思っていたので

「ああ、やっぱり」

となってしまった。

悲しいけれど、韓国でアイドルを続けるのは難しい。特に小さい事務所から出るとアイドルが、残るのは難しいだろう。

(それでも、偶に売れてしまうから、皆、期待してしまう)

最近、古典の教科書で読んで覚えた「諸行無常」というのだろう。

マシューさんから許可をもらい、料理をすることも増えた。大きな部屋で、自分の食べたいものを作る。解禁された最初はとても楽しかった。料理本や料理動画を見て、作ったことないものもチャレンジした。

けれど、それも日に日に落ち着いていき、宿舎で皆のために作ったあの日が恋しくなっていく。

(もう、誰かに、ああやって、振る舞うことは出来ないのかもしれない)

自分が捨てた日々を、恋しく思ってしまう。
本当に自分は勝手な人なのかもしれない。
ホームシックみたいなものに今更なってしまい、落ち込む日々を過ごしていたある日だ。

通信高校のスクーリングのため、珍しく電車に乗って学校に向かっていると、道の途中で一人の男子に声を掛けられた。

「あの、パラニュイの時雨くんですか?」

自分より少し下の制服を着た男子。中学生くらいだろうか。彼の鞄にはエストラガンのペンライトを模したキーホルダーが付けられていた。

「元、ですけどね」
「わ、わあ!俺、ファンだったんです。握手してもらってもいいですか?」
「もう、一般人ですけどね」
「いや、でも、俺『墨』も『ナイトタイムコール』も好きで……!蛇姫様ヘア似合ってました」

「わあ、ありがとうございます」

まさか、まだ自分を好きでいてくれるファンがいるとは思わなかったため、本当に驚きであった。しかも、随分若い子であったから余計だ。

「あ、あの、もしかしたら、失礼かもしれないんですが、一つ質問いいですか?」
「何ですか?」

改まった様子の彼に、俺はなんだろうと思いつつ、質問を促した。すると彼は決意した顔で口を開いた。

「俺って、韓国で、アイドルになれますか?」

その質問を、俺にするのか。
若さというものは残酷だなあと思うが、あの前置きに対して促したのは俺だ。

俺は、微笑みを貼り付けて返答した。

「想像以上に大変だけど、成れはするよ。でも、成れてからが、もっともっと大変。
それでも、成りたいなら、やるしかないよ」

間違ったことは言っていない。けど、この返しは正しくないと自分でもわかる。

「……そうなんですね、わかりました。ありがとうございます。時雨さんは俺の憧れのアイドルです。これからも応援してます」
「うん、俺も君を応援しているよ」


俺の進行方向とは逆に去っていく少年の足音を感じる。俺とは違って、彼は誤った道をいかないと良いと願った。

そして、止まっていた足を進める。

彼を振り返ることはしない。
もう彼の憧れには戻らない。

だって、もう俺は偶像アイドルではないから。



END
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