3 / 104
Ⅰ
3
しおりを挟む正直言って困惑した。正直言って、子どもを相手にすることに慣れていない。同年代の人とだって折り合いをつけるのにわりと苦労するほうなのに、子どもなんて尚更だ。
「とどかないの」
男の子が指差す先には飲み物の自動販売機がある。緊張しながらなるほど、と僕は思った。確かにこの子の身長じゃあ一番下の段しか届かないだろう。いや……一番下だって怪しいかもしれない。
「ノエルのかわりにおして……おしてください!」
この子はノエルって名前なんだ、と思った。手を引かれながらあたりを見回す。自分のことを自分の名前で呼ぶの、ちょっと可愛い。保護者らしき人はどこにもいない。彼に握られた右手にむずがゆさを覚えながら、彼の後ろをぎこちなく歩いていった。手を引く彼の小さな手には遠慮がなくて、たった今初めて会った僕をめいっぱい信用している力強さがある。
本当はあまり気が乗らなかった。だけど……こんな小さな子が僕にお願いをしているのに自分が嫌だから、不慣れだからって、たったそれだけの理由で無視して通り過ぎるほど自分勝手の臆病者では……いたくないって思う。
それにノエルのこの強引さは嫌いではないなと思った。懐かしさすら感じる。よく分からないけど、昔出会った「あの子」に、ほんの少し似ている気がした。僕はあまり、自分が先頭に立って物事を進めることが得意ではないから……よく誰かに引っ張られてしまう。それを後ろめたいと思う時もあれば、こんな風に、心地いいなと思う時もあった。
小さな子の歩幅は狭い。ノエルの三歩がようやく僕の一歩だった。せわしなく歩く度に、彼の小さな背中にぴったりの小さなリュックがカタカタ鳴りながら跳ねる。
そのリュックの中にはノエルの身長の三分の一くらいの大きさの黒うさぎのぬいぐるみが丁寧に入れられている。入りきらずに顔だけが飛び出ていて、これならリュックじゃなくてうさぎのぬいぐるみにおんぶ紐をつけたほうが、ぬいぐるみにとってずっと開放的な気がした。お気に入りのぬいぐるみなのかなあ、と漠然と思う。少し持ち主に似ていた。
それにしたって、ノエルはよく誰かに話しかけられたなあ、と思う。仮にもし僕がこの子くらいの年頃だったとしたら同じことはできないだろう。販売機の前で泣くだけ。それか何も得ずに帰ってしまうだろう。
自動販売機の前に立つと、彼は僕の手を離した。ちょっとほっとする。それでちょっと寂しくもなった。ぽかぽかの熱が外の空気に一瞬で蒸発していく。彼と手を繋いでいたという感覚はあっけなく消えていった。
なにをするんだろう、と思っていたら、ノエルはリュックを下ろして黒うさぎのぬいぐるみと向き合うと抱きかかえた。黒うさぎは、ノエルのリボン帯と同じ色の小さいポシェットを斜めがけしている。ノエルはそのポシェットから五百円玉を取り出して、さっきと同じように黒うさぎを背負った。なるほど、財布番の黒うさぎか、すいぶん目立つな。ノエルは取り出した五百円玉を、背伸びをしてなんとか自動販売機に投入した。なんてしっかりしてるんだ、とため息が出そうになる。自分が後ろめたくなるくらい、この子はすごい。
「どれに……しますか」
僕はちょっと緊張してたから、ぎこちない敬語になってしまった。彼はそんな僕の心持ちなんて吹き飛ばしてしまうような、純白の花みたいに屈託のない笑顔で僕に言う。
「いちご!」
僕は上段の紙パックに入ったいちご牛乳を指差してノエルに尋ねた。
「これ?」
すると、ノエルがちょっと怒ったふうに地団駄を踏んで僕を見上げる。可愛い。風がノエルの長くて細くて柔らかそうな襟足を揺らす。耳を隠す髪がノエルの口の中に入ったけどノエルは少しも気にしないで頬を余計に紅くさせて言った。
「みえない!」
僕はひやりとした。確かにノエルの身長じゃあ見えない。僕は子どもが見ている世界のことなんて少しも考えられてなかった。気まずいな。そんな気持ちなんて少しも気にしない様子でノエルが僕に向かって両手を伸ばしてくる。なにを求められているのか理解するのに少し時間がかかった。でもやるしかない。できるかな。
僕は恐る恐るノエルの脇に手を入れて、彼をそっと抱き上げる。思ったより軽い。柔らかい。あったかいし……それに小さい……! 同じ人間なんだろうか? 野いちごの花のような香りと一緒に、小さな子どもの甘い香りがしてなんだか胸がこそばゆい。ぽかぽかする。ノエルは当然のように僕の首に片方の小さな腕を絡ませて自動販売機のほうを向く。
「これ?」
仕切りなおして、同じように指をさした。
「い、ち、ご……なに? ここ!」
ノエルはなぞるように文字を言葉にすると、「いちご」の上の修飾語を指差す。ひらがな読めるんだ。すごいな。僕はできるだけはっきり発声するように心がけながら言った。
「練乳」
「れんにゅう」
「『練乳いちご牛乳、果肉入り』」
「牛乳じゃなくてノエルが飲みたいのはいちご」
なるほど。
その間にもノエルの頬はトマトみたいに膨れていった。ノエルはいちごがいいと言ってきかない。僕は本当に困ってしまった。最早いちごってなに? って感じ。ぐずって泣いてしまうほどノエルは幼くはないはずだけれど、機嫌の悪い子どもをどう扱っていいのか分かりかねた。
「ノエル!」
大きな声が横から聞こえてくる。すごくよく通るのに、どこか柔らかい、さわやかな男の人の声だった。僕らは一緒になって声のほうを見る。
今日はなんだかいろんな人に会う。
全力でスケートボードをやってそうなこざっぱりしたウルフカットの青年が僕のほうへ全速力で向かっている。反射的に逃げてしまいそうになるくらい血相を変えていたので僕はたまらず抱いているノエルをかばうように後ろに下がってしまった。近づいてくる彼は僕と同じくらいの歳のように見える。
10
あなたにおすすめの小説
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
わがまま子息は七回目のタイムリープで今度こそ有能執事と結ばれる! ……かな?
大波小波
BL
上流階級・藤原家の子息である、藤原 昴(ふじわら すばる)は、社交界の人気者だ。
美貌に教養、優れた美的センスの持ち主で、多彩な才覚を持っている。
甘やかされ、ちやほやされて育った昴は、わがまま子息として華やかに暮らしていた。
ただ一つ問題があるとすれば、それは彼がすでに故人だということだ。
第二性がオメガである昴は、親が勝手に決めた相手との結婚を強いられた。
その屋敷へと向かう道中で、自動車事故に遭い短い人生を終えたのだ。
しかし昴には、どうしても諦めきれない心残りがあった。
それが、彼の専属執事・柏 暁斗(かしわ あきと)だ。
凛々しく、寡黙で、美しく、有能。
そして、第二性がアルファの暁斗は、昴のわがままが通らない唯一の人間だった。
少年以上・青年未満の、多感な年頃の昴は、暁斗の存在が以前から気になっていた。
昴の、暁斗への想いは、タイムリープを繰り返すたびに募る。
何とかして、何としてでも、彼と結ばれたい!
強い想いは、最後の死に戻りを実現させる。
ただ、この七回目がラストチャンス。
これで暁斗との恋を成就できなければ、昴は永遠に人間へ転生できないのだ。
果たして、昴は暁斗との愛を育み、死亡ルートを回避できるのか……?
黒とオメガの騎士の子育て〜この子確かに俺とお前にそっくりだけど、産んだ覚えないんですけど!?〜
せるせ
BL
王都の騎士団に所属するオメガのセルジュは、ある日なぜか北の若き辺境伯クロードの城で目が覚めた。
しかも隣で泣いているのは、クロードと同じ目を持つ自分にそっくりな赤ん坊で……?
「お前が産んだ、俺の子供だ」
いや、そんなこと言われても、産んだ記憶もあんなことやこんなことをした記憶も無いんですけど!?
クロードとは元々険悪な仲だったはずなのに、一体どうしてこんなことに?
一途な黒髪アルファの年下辺境伯×金髪オメガの年上騎士
※一応オメガバース設定をお借りしています
魔王に転生したら、イケメンたちから溺愛されてます
トモモト ヨシユキ
BL
気がつくと、なぜか、魔王になっていた俺。
魔王の手下たちと、俺の本体に入っている魔王を取り戻すべく旅立つが・・
なんで、俺の体に入った魔王様が、俺の幼馴染みの勇者とできちゃってるの⁉️
エブリスタにも、掲載しています。
ペイン・リリーフ
こすもす
BL
事故の影響で記憶障害になってしまった琴(こと)は、内科医の相澤に紹介された、精神科医の篠口(しのぐち)と生活を共にすることになる。
優しく甘やかしてくれる篠口に惹かれていく琴だが、彼とは、記憶を失う前にも会っていたのではないかと疑いを抱く。
記憶が戻らなくても、このまま篠口と一緒にいられたらいいと願う琴だが……。
★7:30と18:30に更新予定です(*´艸`*)
★素敵な表紙は らテて様✧︎*。
☆過去に書いた自作のキャラクターと、苗字や名前が被っていたことに気付きました……全く別の作品ですのでご了承ください!
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる