DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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 朝起きて寝衣から普段着に着替え、エプロンを着けて二階のリビングダイニングへ入ると、暖かい空気が押し寄せてきた。

 四人がけのテーブルには、もうマダムが座っている。落ち着いた色のガウンワンピース姿で、いつものように細い金縁の丸いおしゃれな眼鏡を掛けて新聞を読んでいた。側には紅茶。この匂いはアールグレイ。

「おはよう、ユヅキ」

「……おはようございます」

「よく眠れた?」

 僕はどっちつかずのなんとも言えない返事をしてキッチンの方へ向かった。

 正直あまりよく眠れなかった。眠れなくても朝はやってくるので仕方なく台所に立っている。朝食は7時だ。いつもそう。僕が作る。マダムは僕が何を作っても喜んで食べてくれるから好き。今日はなににしようかな……冷蔵庫を見る。

 ベーコンもあるし、たまごもあるし、チーズもレタスもトマトもある。

 サンドイッチにしよ。

 フライパンを火にかけて、バターを一欠片放り込む。ベーコンを切るためにまな板と包丁を用意した。

「カケルから話は聞いた?」

 マダムは新聞に目を落としながら、紅茶を物音一つ立てずに飲んだ。

 僕は複雑に笑って言う。

「ええ、なんとなくは」

「貴方が眠ってしまったって言うから、三人でお茶を飲んだのよ。いろんな話をしたわ。とても楽しかった」

 羨ましくないと行ったら嘘になる。

 僕もぜひその席に居たかった。もうそんなこと言っても遅いけど。

「ノエルがとても信頼しているし、ぜひノエルのお世話を……都合がつけばどうかしら、と私からお願いしたの。聞いたら今、学業は春休み中みたいだから、お邪魔でなければ是非、と快く引き受けてくれたのよ」

 彼女の言葉を聞きながら翔って学生だったんだ、って漠然と思う。確かに僕も今大学は春休みだ。サークルがあるから、キャンパスには何度か行っているけれど、講義自体はお休み。

 僕って、翔のことあまりよく知らない。多分マダムより知らない。なんか複雑。

「そうですか」

「嬉しい?」

 マダムが新聞から顔を上げたのが分かったけど、僕は手元に目を向けたまま目を合わせることはしなかった。

「……どういうことですか」

 こんなの無駄な足掻きと分かっているけれど、僕の選択肢はとぼけること以外ない。

 マダムがあら、と意外そうな声を出す。

「ユヅキも喜ぶと思ったのだけど……違った?」

「なんで僕が……お客さまとして、できる限りおもてなしはしますけど……」

 そんなこといいつつ、背中には嫌な汗が流れていた。心臓もどきどきしている。

 昨晩彼に言われたことを、なんとなく思い出していた。

 優月は俺にとって最初で最後の特別な人だよ、って。

 どういう意味……。一夜明けても、分からない。

「貴方はカケルのことが好きなのかと思った」

「いい人だとは思います。面白いし、子どもにも大人にも優しい」

「素晴らしい人よ、ユヅキ、早く特別になったほうがいいわよ、恋人になれるのは一人だけよ」

「そういうんじゃないですけど。男同士だし」

 僕はベーコンを焼きながらレタスを千切って新鮮な水でトマトと一緒に洗う。

 バターのまろやかな匂いと、ベーコンの深い香りが合わさって、ちょっとお腹が空いてきた。今は火を使ってるんだから、刃物も使ってるんだから……落ち着いて、落ち着いて……と自分に言い聞かせるけれどマダムは容赦なかった。

「それが何か問題あるの?」

「普通じゃない」

「普通ってなに?」

「普通っていうのは……」

 僕は口ごもる。それをトマトを輪切りにしているせいにした。

「目立たない生活をしたいんです、ありきたりな生活、角が立たない生活、当たり前の行き方をしたい」

 マダムがコトコトと笑った。

「それで貴方は幸せになれるの?」

「なれるはず」

「それ以上にカケルは貴方のことを幸せにしてくれると思う」

「どうしてそんなにカケルを推すんですか」

 まあ、とマダムは少し照れ臭そうに左頬に手を添えた。可愛い。

「だってシズクにそっくりなんだもの」

 僕はオーブンに入れたパンの様子を見ながら、最後に見たシズクさんのことを思い出す。

 うーん、と僕は唸った。

「似てるかなあ?」

「似てるわ、いい? 蕗さんより、よっぽどいいわよ、絶対カケルを選びなさい」

「どうしてそこで蕗ちゃんが出てくるんですか」

「蕗さんは貴方のことが好きだもの」

「そんなことありませんよ、気のせいです」

 頑なな僕に、マダムはやれやれ、と言う感じで深いため息を吐く。

 苦笑しながら白くて丸いお皿を四つ用意した。美味しそうに見える程度の焦げ目のついた食パンに具材を挟んでいく。少しなじませて三角に切り、皿に乗せていった。ノエルの分だけは四つ切りにして食べやすいようにカラーピックを差す。彼のチーズだけは星型の型をとってパンの上に乗せてみた……喜んでくれるかな。

 スープはどうしよ。たまごと玉ねぎを入れよう。水を鍋にかけてコンソメのかけらを入れた。塩も少しだけ。薄味でいい。たまごならノエルも食べられるよね。フルーツは……いちごにしよう。ちょうど買っておいてよかった。

 ……いろんな意味でどきどきしていた。賑やかな食事になりそうだったから。

 この家で、マダム以外の誰かと食事をするのは、今日が初めてだから。

 もうすぐ7時だ。

「ノエルとカケルを起こしてきたら」

 マダムが言った。

「まだ朝食の準備が途中なんです」

「それなら、あとは私がやっておくわよ」

「え?」

 声が裏返る。

 いやね、と彼女は新聞を折りたたんだ。

「私だって、それくらいやるわよ」

「マダムが起こしてくればいいじゃないですか」

「貴方が起こしてくるのよ」

 ノーとは言えない、圧力だった。

 僕はぎこちなくエプロンを脱ぎながら、マダムによろしくお願いしますと声をかけ、リビングダイニングから出て行った。






 
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