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おはよう?

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 目が覚めたら全然違う場所にいた。

 そして全然知らない場所にいた。でもすごく温かい場所だった。ふかふかの布団に自分が沈んでいるんだと分かる。ベッドからは窓が見えた。窓からは青空が見えた。初冬の薄い青空から柔らかい日差しがベッドに落ちている。遠くの方から加湿器の音が聞こえてくる。春人は首を動かしてそちらを見た。十畳くらいの空間に、自分が横たわっているベッド以外には、シンプルな紺のソファとテーブルがあって、その向こうがダイニングキッチンになっている。最小限の家具しかないけど、誰かが生活している空間なんだと分かった。

 テーブルの上にはたった今までだれかがいた形跡があった。ミシンが一つと、まだなににもなっていない白い布が縫いかけの状態で止まっている。

 初めて来た場所なのにすごく安心する。あまりにも温かく、心地が良くて春人はまた眠ってしまいそうだった。なんでだろう、と疑問に思った。それで香りのせいだと思い至る。五月の新緑みたいな香り。包み込まれるような優しくてさわやかな香り。

 春人は上体を起こした。まだふらふらする。でも体は少しさっぱりしていた。乾いた血も綺麗に拭き取られていて、まるで体中の傷に蓋をするように沢山の包帯が巻かれていた。まるでココナッツでデコレーションされたドーナツみたい。その上に肌触りのいいダークグレイの大き目のカーディガンを羽織っている。

 ぼーっと手を見ていたら、ダイニングキッチンのカウンターの向こうにいたミチルがそれに気付いて駆け寄ってくる。

「春人! ……おはよう?」

 彼は駆けてくるなり、ベッドの上で起き上っている春人と目線を合わせるように膝を折ると、下から掬うように平然と頬に唇を寄せてきた。

 びっくりして、恥ずかしくて身を引いたら体がぎすぎす傷んで顔をしかめてしまう。

 ミチルが慌てているのが分かる。

「ご、ごめん……気をつけて……ねぇ、なにか食べるね?」

 彼の右手が春人の左手と絡まった。空いている手でミチルは指折り食材の名前を言っていく。

「ひじきでしょ、干しぶどう、レバー、ブロッコリー、たまご……」

「……鉄分を摂れということ……?」

 声を出したら、思いのほか枯れている。そういえば目蓋も重い。

 頭もすこし響くように傷んだ。

「春人、血を流しすぎだよ……死ぬところだったんだよ……でも病院には行きたくないだろうし……でしょ?」

「……行きたくない」

 ミチルが心配そうに笑っている。



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