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My life as a dog ~ まいらいふ あず あ どっぐ
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まだ1歳なったばかりのなつきがお姉ちゃんに連れられてやって来たのは、俺が4歳のころだった。季節は、春。玄関先の海棠の花が満開だった。
2年ぶりのお姉ちゃんは、以前とはだいぶ様子が違っていた。疲れ切った顔。いつも笑顔だったお姉ちゃんが、帆とんど笑わなくなっていた。
帰って挨拶もそこそこに、お姉ちゃんは長い間、お母さんに何事か語りながら泣いていた。母さんは、そっとお姉ちゃんの体に手を回して、いいの、いいの、よく帰ったねと繰り返し、やっぱり泣いている。
2人は話に夢中で、隣の部屋で一人よちよち歩き回るなつきに意識が向かないみたいだ。だから、俺は(ちょっと不本意ながら)、そうして2人が話をしている間、なつきが怪我をしないよう傍で見張っていた。隣の部屋の2人の様子を、ずっとうかがいながら。
なつきは物珍し気に部屋を見回し、覚束ない足取りで興味のあるものの方へとひっきりなしに動き回る。本当に危なっかしくてしかたない。躓いたのを咄嗟に支えてやると、意外な力の強さでぎゅうっと俺を掴んで、嬉しそうに笑いながら俺を見上げて、あー、と言った。まだろくにしゃべることもできない赤ん坊。しょうがない、俺が面倒見るしかないな。
***
お姉ちゃんは、俺が2歳のときに家を出て行った。はっきり覚えている。あれもやっぱり春で、海棠の木から花が次々と零れ落ちていた。大きな荷物を持って出てくお姉ちゃんに、俺は、どこ行くの? 行かないで、と叫びながら玄関を飛び出して泣いてすがったんだ。
体ごと勢いよくぶつかったからお姉ちゃんはよろめいたけれど、何とか俺を抱きとめて、そしてそっと頭を撫でて抱きしめながら、ごめんね、むつき、大好き、元気でね、と言った。
しばらくそうしてからお姉ちゃんは手を緩め、背を向けて歩き出した。それからは、どんなに叫んでも、もう二度と振り返らなかった。
何があったのか知らない。母さんは、何も言わない。そうして日が流れ、お姉ちゃんから久しぶりに連絡があったのは、あの別れの日から季節が1回り半したときだった。母さんが、テレビ電話でお姉ちゃんに向かって泣き笑いでしゃべっていた。
元気だったの? すっかり痩せてしまって…。ええ、いいの、いいのよ。いつでも帰っていらっしゃい―。
そうしてさらに数ヵ月後、お姉ちゃんは帰ってきたんだ。よちよち歩きのなつきを連れて。
久しぶりのお姉ちゃんの声に玄関に飛び出した俺は、それを見て固まった。誰、こいつ? 不審げに見ていたら、お姉ちゃんがむつき、ただいま、元気だった? て言った。すっかり痩せて、笑顔もぎこちなくて。元気だったさ、お姉ちゃんこそ、どうしてたんだよ? 聞きたいことはたくさんあったけれど、喉が詰まって結局何も言えなかった。
***
お姉ちゃんは、これから一人でなつきを育てていく、そのためには資格を取るって言って一生懸命勉強しはじめた。そんなとき、なつきの遊び相手はもっぱら俺。なにしろ、3つも年上の、兄ちゃんだからね。
間もなくお姉ちゃんは取得した資格を活かして働き出し、ますます俺はなつきの子守り番になった。母さんはパートがあるしね。一番長く傍にいる俺に、なつきはすっごく懐いた。むつき、と言えず、むりゅき、むちゅきって言いながらよたよたと追いかけてきてはしがみついて、嬉しそうに笑う。少し大きくなってくると、ちゃんとむつきと言えるようになったけれど、俺としてはちょっと不満。できれば兄ちゃんって呼んでほしいんだけどな。もちろん、本当の兄ちゃんじゃないけどさ。
そんな風にしてあっという間に5年が経ち― なつきが小学校に上がる年、お姉ちゃんとなつきは再び家を出て行った。さいこんだって。同じ会社の人だって。そうなんだ。
彼は優しくて、なつきを実の子のように可愛がってくれるのよってお姉ちゃんは言ったけど。俺だって、本当の兄ちゃんじゃないけれど、本当の兄ちゃんみたいになつきの面倒を見て、可愛がってきたんだけどな。なつきも、ここにいたい、引越しは嫌だって、こっそり泣いていた。でもそのことを、絶対に、他の誰にも言わなかった。そうだ、世の常として、子どもの事情や意見はたいてい、大人の世界では鑑みられない。2人は家を出て行き、俺と母さんはまた2人きりになった。
いいの、どこにいても、元気で幸せならそれで充分って母さんは言ったけれど。やっぱり少し寂しそうだった。
俺も、やっぱり少し寂しい。
***
それからは年に2回、夏と冬になつきはやって来て、長い休みを俺と母さんと過ごした。お姉ちゃんは、仕事があるからと、少しだけ顔を出して帰ってしまう。
なつきがいる間、俺はお母さんの一番ではなくなる。孫ってやつは特別可愛いらしいからしかたない。俺は、その座を喜んで譲るんだ。
そんな休みの間中、俺となつきはずっと一緒だった。大きくなるにつれて、なつきはいろいろと悩みを打ち明けてきた。
学校はいじめっ子がいるし、勉強もあまり面白くない、でも、お父さんが悲しまないようがんばっている(とても教育熱心、だそうだ)、お父さんは優しいけれど、何となく他人な気がしてしまう、妹は可愛いけれど、でも、家族の中で自分が余計者に思えてしまう、実のお父さん似なのか見た目がみんなと違うし、だからなおさら ―、うん、余計者なんて、誰も一言もそんなこと言っていないのにね。この話を先生に言ったら、それはヒガイモウソウ、だって。そうかも。だからって、自分が余計者って感じるのを止めることはできないけど。
そうそう、こないだフリーチャネルで映画を観た、自分が惨めな境遇にいるって思ってる男の子の話。なんか、説明読んでちょっと似てるかなと思って観たんだけど、でも、その子、自分の生活は酷い目に遭わされた犬よりはましだって。なんか、それはどうかなって思った。だって、誰かと幸せを比べるって、あんまり意味ないと思うし―。
取りとめのない話に、どう答えるのが正しいかわからず、俺は相槌を打つしかできない。けど、いつも心の中では繰り返し思っていた。そんな家、出て、ここに住めばいいじゃん、って。ここなら、なつきが世界の中心だ。
・・・無理だって、わかってはいるんだけど。
話すだけ話すとなつきは少し元気を取り戻す。そうして、休みの終わりにまた“家に帰る”。俺はただ見送るしかできない。兄ちゃんなのに、もどかしいな。
***
6年生になったなつきは、夏休みに来なかった。受験勉強があるからって。
テレビ電話でそう言ったなつきは、さらに、冬も勉強があるから行けない、でも来年の夏は、ううん、春にはきっと行くから、と言った。俺は、待つしかない。
この夏は、夏バテがひどかった。こんなこと初めてだ。心配した母さんが、あれこれ食べさせてくれたけれど。秋になると、今度は眠気がひどくなった。涼しくなったから?
寒い寒い冬が過ぎて、いよいよ春。けど、なつきは来なかった。外出自粛令が出たんだ。
ごめん、行きたいけど、でも、今はだめなんだ。夏にはきっと!
なつきはそう言ったけれど。
俺は、待てるだろうか。
***
その春は、妙に雨が多くて肌寒かった。冬からこっち、寒さに凝り固まり続けた体が軋む。玄関の段差さえもがつらくって。母さんが、スロープを付けてくれた。
そんな日が続いていたある日。寝ていたら突然、2人の声がした。ただいまって。
なつきだ! なつきが来た! お姉ちゃんも一緒だ! 嬉しくて、我慢できずに玄関を飛び出して駆け出した。風が暖かく、このところの不調が嘘のように一気に溶けて流れて、体が軽くなった。海棠が満開! なつきが最初に来た時のよう! そう思った。
おかえり! おかえり! 待ってたよ!
***
「ええ、そうなの、今朝ね、玄関を出たところで倒れていたのよ。もう、息が無かったわ。寝ているのかと思ったくらい、穏やかな顔してね。
…うん、そりゃあ悲しいわよ。でもね、むつきみたいな大型犬の16歳って、人間でいえば100歳くらいだそうだから、まあ、大往生よね。苦しまずに逝ってよかったと思うことにしたの。だって、ここ数ヵ月は動くのもつらそうだったから。
ええ、なつきによろしく伝えてね。あの子、本当にむつきを可愛がっていたからねえ―」
2年ぶりのお姉ちゃんは、以前とはだいぶ様子が違っていた。疲れ切った顔。いつも笑顔だったお姉ちゃんが、帆とんど笑わなくなっていた。
帰って挨拶もそこそこに、お姉ちゃんは長い間、お母さんに何事か語りながら泣いていた。母さんは、そっとお姉ちゃんの体に手を回して、いいの、いいの、よく帰ったねと繰り返し、やっぱり泣いている。
2人は話に夢中で、隣の部屋で一人よちよち歩き回るなつきに意識が向かないみたいだ。だから、俺は(ちょっと不本意ながら)、そうして2人が話をしている間、なつきが怪我をしないよう傍で見張っていた。隣の部屋の2人の様子を、ずっとうかがいながら。
なつきは物珍し気に部屋を見回し、覚束ない足取りで興味のあるものの方へとひっきりなしに動き回る。本当に危なっかしくてしかたない。躓いたのを咄嗟に支えてやると、意外な力の強さでぎゅうっと俺を掴んで、嬉しそうに笑いながら俺を見上げて、あー、と言った。まだろくにしゃべることもできない赤ん坊。しょうがない、俺が面倒見るしかないな。
***
お姉ちゃんは、俺が2歳のときに家を出て行った。はっきり覚えている。あれもやっぱり春で、海棠の木から花が次々と零れ落ちていた。大きな荷物を持って出てくお姉ちゃんに、俺は、どこ行くの? 行かないで、と叫びながら玄関を飛び出して泣いてすがったんだ。
体ごと勢いよくぶつかったからお姉ちゃんはよろめいたけれど、何とか俺を抱きとめて、そしてそっと頭を撫でて抱きしめながら、ごめんね、むつき、大好き、元気でね、と言った。
しばらくそうしてからお姉ちゃんは手を緩め、背を向けて歩き出した。それからは、どんなに叫んでも、もう二度と振り返らなかった。
何があったのか知らない。母さんは、何も言わない。そうして日が流れ、お姉ちゃんから久しぶりに連絡があったのは、あの別れの日から季節が1回り半したときだった。母さんが、テレビ電話でお姉ちゃんに向かって泣き笑いでしゃべっていた。
元気だったの? すっかり痩せてしまって…。ええ、いいの、いいのよ。いつでも帰っていらっしゃい―。
そうしてさらに数ヵ月後、お姉ちゃんは帰ってきたんだ。よちよち歩きのなつきを連れて。
久しぶりのお姉ちゃんの声に玄関に飛び出した俺は、それを見て固まった。誰、こいつ? 不審げに見ていたら、お姉ちゃんがむつき、ただいま、元気だった? て言った。すっかり痩せて、笑顔もぎこちなくて。元気だったさ、お姉ちゃんこそ、どうしてたんだよ? 聞きたいことはたくさんあったけれど、喉が詰まって結局何も言えなかった。
***
お姉ちゃんは、これから一人でなつきを育てていく、そのためには資格を取るって言って一生懸命勉強しはじめた。そんなとき、なつきの遊び相手はもっぱら俺。なにしろ、3つも年上の、兄ちゃんだからね。
間もなくお姉ちゃんは取得した資格を活かして働き出し、ますます俺はなつきの子守り番になった。母さんはパートがあるしね。一番長く傍にいる俺に、なつきはすっごく懐いた。むつき、と言えず、むりゅき、むちゅきって言いながらよたよたと追いかけてきてはしがみついて、嬉しそうに笑う。少し大きくなってくると、ちゃんとむつきと言えるようになったけれど、俺としてはちょっと不満。できれば兄ちゃんって呼んでほしいんだけどな。もちろん、本当の兄ちゃんじゃないけどさ。
そんな風にしてあっという間に5年が経ち― なつきが小学校に上がる年、お姉ちゃんとなつきは再び家を出て行った。さいこんだって。同じ会社の人だって。そうなんだ。
彼は優しくて、なつきを実の子のように可愛がってくれるのよってお姉ちゃんは言ったけど。俺だって、本当の兄ちゃんじゃないけれど、本当の兄ちゃんみたいになつきの面倒を見て、可愛がってきたんだけどな。なつきも、ここにいたい、引越しは嫌だって、こっそり泣いていた。でもそのことを、絶対に、他の誰にも言わなかった。そうだ、世の常として、子どもの事情や意見はたいてい、大人の世界では鑑みられない。2人は家を出て行き、俺と母さんはまた2人きりになった。
いいの、どこにいても、元気で幸せならそれで充分って母さんは言ったけれど。やっぱり少し寂しそうだった。
俺も、やっぱり少し寂しい。
***
それからは年に2回、夏と冬になつきはやって来て、長い休みを俺と母さんと過ごした。お姉ちゃんは、仕事があるからと、少しだけ顔を出して帰ってしまう。
なつきがいる間、俺はお母さんの一番ではなくなる。孫ってやつは特別可愛いらしいからしかたない。俺は、その座を喜んで譲るんだ。
そんな休みの間中、俺となつきはずっと一緒だった。大きくなるにつれて、なつきはいろいろと悩みを打ち明けてきた。
学校はいじめっ子がいるし、勉強もあまり面白くない、でも、お父さんが悲しまないようがんばっている(とても教育熱心、だそうだ)、お父さんは優しいけれど、何となく他人な気がしてしまう、妹は可愛いけれど、でも、家族の中で自分が余計者に思えてしまう、実のお父さん似なのか見た目がみんなと違うし、だからなおさら ―、うん、余計者なんて、誰も一言もそんなこと言っていないのにね。この話を先生に言ったら、それはヒガイモウソウ、だって。そうかも。だからって、自分が余計者って感じるのを止めることはできないけど。
そうそう、こないだフリーチャネルで映画を観た、自分が惨めな境遇にいるって思ってる男の子の話。なんか、説明読んでちょっと似てるかなと思って観たんだけど、でも、その子、自分の生活は酷い目に遭わされた犬よりはましだって。なんか、それはどうかなって思った。だって、誰かと幸せを比べるって、あんまり意味ないと思うし―。
取りとめのない話に、どう答えるのが正しいかわからず、俺は相槌を打つしかできない。けど、いつも心の中では繰り返し思っていた。そんな家、出て、ここに住めばいいじゃん、って。ここなら、なつきが世界の中心だ。
・・・無理だって、わかってはいるんだけど。
話すだけ話すとなつきは少し元気を取り戻す。そうして、休みの終わりにまた“家に帰る”。俺はただ見送るしかできない。兄ちゃんなのに、もどかしいな。
***
6年生になったなつきは、夏休みに来なかった。受験勉強があるからって。
テレビ電話でそう言ったなつきは、さらに、冬も勉強があるから行けない、でも来年の夏は、ううん、春にはきっと行くから、と言った。俺は、待つしかない。
この夏は、夏バテがひどかった。こんなこと初めてだ。心配した母さんが、あれこれ食べさせてくれたけれど。秋になると、今度は眠気がひどくなった。涼しくなったから?
寒い寒い冬が過ぎて、いよいよ春。けど、なつきは来なかった。外出自粛令が出たんだ。
ごめん、行きたいけど、でも、今はだめなんだ。夏にはきっと!
なつきはそう言ったけれど。
俺は、待てるだろうか。
***
その春は、妙に雨が多くて肌寒かった。冬からこっち、寒さに凝り固まり続けた体が軋む。玄関の段差さえもがつらくって。母さんが、スロープを付けてくれた。
そんな日が続いていたある日。寝ていたら突然、2人の声がした。ただいまって。
なつきだ! なつきが来た! お姉ちゃんも一緒だ! 嬉しくて、我慢できずに玄関を飛び出して駆け出した。風が暖かく、このところの不調が嘘のように一気に溶けて流れて、体が軽くなった。海棠が満開! なつきが最初に来た時のよう! そう思った。
おかえり! おかえり! 待ってたよ!
***
「ええ、そうなの、今朝ね、玄関を出たところで倒れていたのよ。もう、息が無かったわ。寝ているのかと思ったくらい、穏やかな顔してね。
…うん、そりゃあ悲しいわよ。でもね、むつきみたいな大型犬の16歳って、人間でいえば100歳くらいだそうだから、まあ、大往生よね。苦しまずに逝ってよかったと思うことにしたの。だって、ここ数ヵ月は動くのもつらそうだったから。
ええ、なつきによろしく伝えてね。あの子、本当にむつきを可愛がっていたからねえ―」
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