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後編
「そうだろう? 俺の父親の記憶は、どんなに遊んで欲しくても仕事だと邪険に扱われた記憶だ。妹が同じ目に遭わないだけでも僥倖だ。
それが本当に仕事だというなら我慢もしようが、我がトライシオン公爵家の金を使い女遊びに興じていたというのだから、笑うしかない。婿の分際で!」
そうだ。
サウロは、アリアドナの婿だった。
アリアドナこそが、このトライシオン公爵の唯一の後継者。弱小子爵家出身のサウロとの結婚を周囲に反対されたが、説得してやっと結婚したのだ。
だが結婚後すぐにダミアンが生まれた。
領地経営や社交に忙しかったアリアドナは、さらに息子に時間を取られた。夫であるサウロに構う時間がなくなった。
だから彼は、自分の寂しさを紛らわすため外に愛人を作ったのだ……。
「アリアドナは、どうして死んだ? 事故か? 病気だったのか?」
(十五年ものあいだ、俺の帰りを待っていたんだろう? 愛しいアリアドナ。唯一俺が本気で愛した女。きみはなぜ死んでしまったんだ?)
動揺しながらのサウロの問いに、トライシオンの若き当主は冷たい目で彼を睥睨した。
「そんなこと知ってどうする? 名無し人よ。ここに入ってきて、セルバンテスに訊いたのだろう? “どこの教会だ?”と。
俺の記憶が正しければ六歳のころ……まだ父親が屋敷に居たころに、じいさまの葬式があったが……十六年もまえになるか。
我がトライシオン公爵家が代々葬られる教会を知らないなんて、トライシオンを名乗る人間にはあり得ない……いや、あのときも、葬儀に父親は列席していなかったような……俺は乳母に手を引かれて、泣きじゃくる母の背中を見ていた記憶がある。母を慰める男は……いなかったな。母は一人で耐えていた……なるほど。奴が失踪したのは十五年まえだが、十六年まえからあの男はトライシオンの人間では無かったのだな」
サウロは遠い記憶を探って思い出した。
アリアドナの父。前公爵……そうだ、突然の病で死んだのだ。
サウロはそのとき懇意にしていた女のもとにいた。前公爵の葬儀に間に合わなかった。
彼は王都にいて、公爵が葬られたのは広大なトライシオンの領地のどこかの地方……だったはずだ……。領地経営などすべてアリアドナの指揮下だった。サウロはどこになにがあるのか、なにも知らない。
「母の死因より母の悪癖の方が、聞いておく価値のある情報だと思うが……」
「悪癖?」
ダミアンは、さきほどシガレットケースから取り出したまま弄んでいた煙草を口に咥えた。傍らに控えたセルバンテスがすかさずマッチの火を彼に差し出す。
煙草の先に火が灯り、独特な香りの紫煙が立ち上った。
ダミアンはそれを一服すると、長くため息をつくように煙を吐き出した。
まるで先代のトライシオン公爵のような仕草だった。
「悪趣味だと注意をしたのだが、仕返しだと母は嗤ってたな。
なんでも? 自分の夫がなにも知らない女性を騙していたのがヒントになった、とかで……。
商売女に金を渡して、とある男にワザと近づき、男女の仲になれと命じるんだ。そのターゲットにしたとある男に、次はブロンドの女性を宛がおうか、青い瞳の美しい女性にしようかと、愉しそうだった。……歪んだ愉しみだな」
(……なんだって?)
驚愕の事実を知り目を見開くサウロ。
そんな彼を観察していたダミアンは、口の端を少しだけ上げた。
「自分の魅力で口説き落とした女と一緒にいる気で、実のところすべて仕事で惚れたフリをしている女性とともにいる気持ちというのは……、はてさて。どんな気持ちなんだろうなぁ?」
話は終わりだと立ち上がったダミアンは、もうサウロを見ようとしなかった。吸っていた煙草をセルバンテスが構えていた灰皿に入れると、颯爽と応接室を出ていった。
(……どういうことだ?)
この十五年間、サウロとともに過ごした女は次々と代わった。あの女たちは、みんなアリアドナの指示を受け彼と付き合っていたというのか? 仕事だったというのか?
飄々とした顔をしたセルバンテスがサウロに近づき、慇懃無礼に告げた。
「最後にご忠告申し上げます。もうアリアドナ女公爵はおりません。“アリアドナ・トライシオン”名義での買い物は不可能だとご承知ください。もういない人間名義の買い物を受け入れる商会はございません。現当主ダミアンさまのお名を使ったら、憲兵に引っ立てられるお覚悟でお願いいたします」
「なんだって? 俺は、ダミアンの実の父親なんだぞ?」
「あなた様がそうだと、どのように証明されるので? ご当主さまの実の父君はもう死亡届が提出されていると、さきほどご説明があったばかりだと存じますが? いや、あれは“ひとりごと”でございましたか……それと……アリアドナさまの“最後の悪癖”は、“アリアドナ・トライシオンの死”を彼女の最後の依頼請負人へ知らせること、でございました」
家にある金目のもの、ご同居人がお持ちになり……いっさいがっさいすべて無くなっているかもしれませんなぁ?
笑顔の老家令が語った内容に、サウロは焦って公爵邸を飛び出した。
走って、走って、走った先にある、サウロの住んでいる下町の安アパート。
中に人の気配はなく、もぬけのカラになっていた。何年かまえに買った絵画も、什器類も、女に買ってやった貴金属類も、衣類も、当面の金も。
全部……本当に全部が無くなっていた。
今朝サウロを起こしたリタも、アリアドナからの依頼を受け彼と生活していた人間だったのだ。
妻の訃報を聞いて、なにもかもを一度に無くした。
公爵邸を出奔したときは、まだ二十九歳だった。
だがあれから十五年。セルバンテスが言ってたように、身体にはだいぶ贅肉がついた。容色も衰えた。女は向こうから来るものだった彼に、今でも女を口説けるのか解らない。
実家の子爵家は、ここ十五年のうちに、いつの間にか爵位返上し行方不明になっている。もしかしたらトライシオン公爵家によって取り潰されたのかもしれない。
唯一愛した女はどこにもいない。
さらには、自分の貴族戸籍までも。
彼は今後どうしたらいいのか。
この悲しみも、この怒りや憤りも、この遣る瀬無さも。
全部、どこへぶつければいいのだろうか。
サウロは今後どうしたらいいのか分からず、呆然と途方に暮れるしかなかった。
☆
☆
☆
「セルバンテス」
「はい、閣下」
「今日のこと、母上に知らせるか?」
「一部始終を余さずご報告する所存ですが」
「そうか……これで母上の溜飲が下がると良いのだがな」
「閣下の溜飲は、下がりましたか?」
老家令の質問に、若き公爵は片方の唇の端をあげて笑った。
「あいつの絶望の表情を見ることができた。少しだけ、恨みを晴らした気になったな」
幼いころ。父の足元に駆け寄り、そのたびに暴言とともに蹴られそうになったことが忘れられなかった。彼には彼なりの思いがあった。
執務机に座り、手紙類を検分し始める。
「母上からの手紙は? いつ旅行から帰って来るのだ?」
「さて。やっと隠居したのだから、エリカさまと“気侭な母娘二人旅を堪能する”とのことでしたので、いつお戻りになるのやら……」
「まぁ、気晴らしになるなら、それもいいだろう」
ダミアンが家督を継いだあと、帳簿を見ていたら信じられない名目の使途不明金が出てきて母を問い詰めた。そのとき母は、ぽつりと呟いた。
『あらやだ。すっかり忘れていたわ』
本当に忘れていたのか、息子の手前そう言ったのか、それは解らない。
だが、『そろそろ最後の仕上げね』と言って行った、元夫を切り捨てるための一連の作業は、なかなか手が込んでいると思う。
ダミアンは自分の母親が、なにを思って十五年もかけて夫を捨てたのか理解に苦しんだ。
だが男と女の間には、息子といえど第三者には理解できないなにかがあるのだろうと、不承不承納得したのだった。
【END】
※信じられない名目の使途不明金
→『S氏・閨 外注』という名目でした。
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いいお話とのお言葉、ありがとうございます。
>「お前に愛はないが、離婚すると金も地位も失うから離婚はしない」
たぶん、そこまで明確に意識していなかったと思うのですよね。
バカだから(笑)
あれ(妻がボクにかまわない)もこれ(離婚)も嫌!
ボクを追いかけて泣きついて!
それまでボクは遊んでるから、捕まえてごらん? みたいな超コドモ理論。
脳内お花畑は間違いなく満開でしたねwww
>金持ちならではの仕返し
はい( ⩌⩊⩌)✧
タグにもしっかり明記しましたw
取り返しがつかなくなるまで、時間とお金をかけてじっくり仕込み。
その時間で夫が反省して話し合いの場を設けていれば……たぶん違う結末を迎えたことでしょう。
少なくとも、身ぐるみ剥がされ路頭に放り出されることはなかったと。
過去作ですが、ご高覧ありがとうございました♥
<(_ _)>
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時間とお金を掛けた罰でしたねw
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感想ありがとうございました❤
<(_ _)>