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番外編(小話集)
兄の想い/侍女の気持ち
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(前半セドリック、後半ピア)
フィーニス辺境伯家の当主は最近婚姻式を挙げ、長らく婚約者だったアウラード子爵家の令嬢を正式に妻とした。
アウラード子爵家の次期当主であるセドリックは、妹の婚姻式に間に合わなかったが、なんとか都合をつけてフィーニス本家の邸宅に赴き、ちょうど妹の誕生日を祝う宴に参加できた。
宴では、妹は夫であるフィーニス家現当主イザークにあれやこれやと世話を焼かれ、嬉しそうに微笑んでいた。
舅姑に当たる前当主夫妻にも可愛がられているようだったし、小舅に当たるイザークの弟たちからも悪感情は見受けられなかった。
そのうえ、自分が齎した情報に皆一様に憤りを表した。使用人に至るまでそんな状態だったから、セドリックは大満足だった。火の精霊王も初めて見たし、なかなか有意義な時間を過ごせたと。
何よりも妹が笑顔だった。幸せそうだと感じた。
彼女が憧れの人との婚約に色々と思い悩んでいたのは知っていたが、まさかそれをネタに学生時代にいじめられていたとは知らなかった。
情報通を誇っていた自分が恥ずかしいと、セドリックは思っていた。
六歳下の大切な妹。いつも一生懸命だった妹。家族に対して笑顔ばかり見せて、辛い事は隠していた健気な妹。
どうか。
どうか、世界一強靭だというフィーニスの英雄よ。
妹の笑顔を、何よりもその心を守ってくれ。そう思って頭を下げた。
宴の翌朝。セドリックは朝食の席で妹夫婦の姿がないことに、なんの疑問も持たなかった。
だって新婚さんだから。
彼らの行動を問うような無粋なマネはしませんとばかりに、セドリックは早々に辺境伯邸を辞去したのだった。
☆★
早朝、アウラード次期子爵を見送ったピアは複雑な表情で頭を上げた。
「旦那様、大丈夫っスかねぇ……アリス様に無体を強いてないといいんスけど……」
昨夜、宴の最中に気が付けば彼女の女主人は姿を消していた。彼女の夫と共に姿を消したのだから、まぁ、行方は分かっている。彼女の見上げた先の夫婦の寝室には、実に二週間と四日ぶりに人の気配があった。
「昨夜も片時もお側から離れないで、周りを威嚇しまくってましたものねぇ」
と、ハンナも困ったように眉を下げて言えば
「夜から朝まで、ずっっっと部屋に結界を張って警戒してらしたものなぁ」
と、ギルベルトも苦笑しながら言う。
その結界は、ドアノブに触れようものなら火傷を負わされるような厄介な代物で、誰も迂闊には近づけなかった。
今は縮小されたようで、部屋の扉に触れて開けることも可能だ。
但し、大きなベッドの天蓋は閉じ切っていて、そこには近づくこともできない。恐らく、中にいる住人は睡眠中なのだろうと推測される。
先程まで侍女たちがバスルーム等の清掃をし、ワゴンに乗せたフルーツや軽食を運び入れたばかりだ。
「お休みになっていらっしゃるなら、お起こしする訳にも……」
『ふたりは熟睡しておるが、何か急な伝言でもあるのか?』
当主夫妻の心配をする使用人たちの前に、当主の守護精霊が顕現した。
「あぁ、精霊王さま。いえ、緊急を要するのではないのですが……アウラード次期子爵様が既に出立したと、奥様にお伝えしたく……同時に旦那様に、カミル様が護衛と称してそれに同行されたと……」
そうハンナが伝えれば、
『奴らが起きてから伝えてもいいのではないか? 今は寝かせてやれ。やっと眠ったところだ』
「精霊王様! お二人は、というか、アリス様は、大丈夫なのでしょうか? 無理を強いられてませんか? 怪我をしたり、血を流したりしてませんか?」
勢い込んでピアが訊ねると、精霊王はなんてことないという顔で答えた。
『? いや? 安心せよ。どこも怪我などしていない。アリスがイザークをきちんと躾けていたからな』
「「「は?」」」
『イザークは、アリスが嫌がることはしたくないと申してな。アリスの許可なくば、あやつは何もできない』
どういう状況? ? ?
『アリスは……声は枯れてしまったようだが、ほかは疲労だけだ。寝ていれば快復しよう』
「――えぇと、イザーク様は?」
『あやつは……いつもよりツヤツヤしておるぞ』
聞かなきゃよかったかもしれない。
取り合えず、その場は収まった。
だが、彼らの主人夫妻は夜になっても結界を張り続け、部屋から出てこなかった。
翌日も同様だった。
そのまた翌日も。
日々の清掃はきちんと行えるが、恐らく彼らが覚醒している間は部屋自体に近寄れない規模の結界が張られる。まぁ、新婚さんなのでそこを邪魔するような無粋な者はいないが、流石に体力がもたないだろう。特にアリス奥様が! 差し入れている食事も食べてはいるようだが、いかんせん、奥様の食事量が見えない。旦那が食しているかもしれない。不安は募る一方だった。
ピアは、憧れ尊敬していたミハエラ様の孫娘であるアリスに仕える現状に幸せを感じていた。
初めて見たアリスはとても小さく可憐で愛らしかった。一目で気に入った。自分がこの方を守るのだと決めた。
その奥様に万が一でも何かあったら耐えられない。ハンナたちとも協議の結果、炎を見詰めながら火の精霊に訴えた。アリス様の無事を確認したい、なんとか、この訴えを精霊王さまに伝えてくれ、と。
かくして、彼らの想いを精霊王は聞き届けてくれた。
四日ぶりに、当主夫妻の寝室は開放された。
四日ぶりに会えたアリス奥様は、想定していたような最悪の状態ではなかった。だが疲れ果てていた。入浴するために晒したその肌に残る痕を見て、ちょっと旦那さまの執着怖いっ! とか思った。
バスタブの中でウトウトする小さな頭を、そっと縁に凭れさせる。そうして滋養強壮に効きそうなものを厨房に頼もうと思いながら、ピアはアリスの髪をゆっくりと丁寧に梳った。
フィーニス辺境伯家の当主は最近婚姻式を挙げ、長らく婚約者だったアウラード子爵家の令嬢を正式に妻とした。
アウラード子爵家の次期当主であるセドリックは、妹の婚姻式に間に合わなかったが、なんとか都合をつけてフィーニス本家の邸宅に赴き、ちょうど妹の誕生日を祝う宴に参加できた。
宴では、妹は夫であるフィーニス家現当主イザークにあれやこれやと世話を焼かれ、嬉しそうに微笑んでいた。
舅姑に当たる前当主夫妻にも可愛がられているようだったし、小舅に当たるイザークの弟たちからも悪感情は見受けられなかった。
そのうえ、自分が齎した情報に皆一様に憤りを表した。使用人に至るまでそんな状態だったから、セドリックは大満足だった。火の精霊王も初めて見たし、なかなか有意義な時間を過ごせたと。
何よりも妹が笑顔だった。幸せそうだと感じた。
彼女が憧れの人との婚約に色々と思い悩んでいたのは知っていたが、まさかそれをネタに学生時代にいじめられていたとは知らなかった。
情報通を誇っていた自分が恥ずかしいと、セドリックは思っていた。
六歳下の大切な妹。いつも一生懸命だった妹。家族に対して笑顔ばかり見せて、辛い事は隠していた健気な妹。
どうか。
どうか、世界一強靭だというフィーニスの英雄よ。
妹の笑顔を、何よりもその心を守ってくれ。そう思って頭を下げた。
宴の翌朝。セドリックは朝食の席で妹夫婦の姿がないことに、なんの疑問も持たなかった。
だって新婚さんだから。
彼らの行動を問うような無粋なマネはしませんとばかりに、セドリックは早々に辺境伯邸を辞去したのだった。
☆★
早朝、アウラード次期子爵を見送ったピアは複雑な表情で頭を上げた。
「旦那様、大丈夫っスかねぇ……アリス様に無体を強いてないといいんスけど……」
昨夜、宴の最中に気が付けば彼女の女主人は姿を消していた。彼女の夫と共に姿を消したのだから、まぁ、行方は分かっている。彼女の見上げた先の夫婦の寝室には、実に二週間と四日ぶりに人の気配があった。
「昨夜も片時もお側から離れないで、周りを威嚇しまくってましたものねぇ」
と、ハンナも困ったように眉を下げて言えば
「夜から朝まで、ずっっっと部屋に結界を張って警戒してらしたものなぁ」
と、ギルベルトも苦笑しながら言う。
その結界は、ドアノブに触れようものなら火傷を負わされるような厄介な代物で、誰も迂闊には近づけなかった。
今は縮小されたようで、部屋の扉に触れて開けることも可能だ。
但し、大きなベッドの天蓋は閉じ切っていて、そこには近づくこともできない。恐らく、中にいる住人は睡眠中なのだろうと推測される。
先程まで侍女たちがバスルーム等の清掃をし、ワゴンに乗せたフルーツや軽食を運び入れたばかりだ。
「お休みになっていらっしゃるなら、お起こしする訳にも……」
『ふたりは熟睡しておるが、何か急な伝言でもあるのか?』
当主夫妻の心配をする使用人たちの前に、当主の守護精霊が顕現した。
「あぁ、精霊王さま。いえ、緊急を要するのではないのですが……アウラード次期子爵様が既に出立したと、奥様にお伝えしたく……同時に旦那様に、カミル様が護衛と称してそれに同行されたと……」
そうハンナが伝えれば、
『奴らが起きてから伝えてもいいのではないか? 今は寝かせてやれ。やっと眠ったところだ』
「精霊王様! お二人は、というか、アリス様は、大丈夫なのでしょうか? 無理を強いられてませんか? 怪我をしたり、血を流したりしてませんか?」
勢い込んでピアが訊ねると、精霊王はなんてことないという顔で答えた。
『? いや? 安心せよ。どこも怪我などしていない。アリスがイザークをきちんと躾けていたからな』
「「「は?」」」
『イザークは、アリスが嫌がることはしたくないと申してな。アリスの許可なくば、あやつは何もできない』
どういう状況? ? ?
『アリスは……声は枯れてしまったようだが、ほかは疲労だけだ。寝ていれば快復しよう』
「――えぇと、イザーク様は?」
『あやつは……いつもよりツヤツヤしておるぞ』
聞かなきゃよかったかもしれない。
取り合えず、その場は収まった。
だが、彼らの主人夫妻は夜になっても結界を張り続け、部屋から出てこなかった。
翌日も同様だった。
そのまた翌日も。
日々の清掃はきちんと行えるが、恐らく彼らが覚醒している間は部屋自体に近寄れない規模の結界が張られる。まぁ、新婚さんなのでそこを邪魔するような無粋な者はいないが、流石に体力がもたないだろう。特にアリス奥様が! 差し入れている食事も食べてはいるようだが、いかんせん、奥様の食事量が見えない。旦那が食しているかもしれない。不安は募る一方だった。
ピアは、憧れ尊敬していたミハエラ様の孫娘であるアリスに仕える現状に幸せを感じていた。
初めて見たアリスはとても小さく可憐で愛らしかった。一目で気に入った。自分がこの方を守るのだと決めた。
その奥様に万が一でも何かあったら耐えられない。ハンナたちとも協議の結果、炎を見詰めながら火の精霊に訴えた。アリス様の無事を確認したい、なんとか、この訴えを精霊王さまに伝えてくれ、と。
かくして、彼らの想いを精霊王は聞き届けてくれた。
四日ぶりに、当主夫妻の寝室は開放された。
四日ぶりに会えたアリス奥様は、想定していたような最悪の状態ではなかった。だが疲れ果てていた。入浴するために晒したその肌に残る痕を見て、ちょっと旦那さまの執着怖いっ! とか思った。
バスタブの中でウトウトする小さな頭を、そっと縁に凭れさせる。そうして滋養強壮に効きそうなものを厨房に頼もうと思いながら、ピアはアリスの髪をゆっくりと丁寧に梳った。
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