生臭坊主の異世界転生 死霊術師はスローライフを送れない

しめさば

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第267話 リッチ君1人旅

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「長靴?」

 バイスとグラーゼンから渡されたのは、革製の長靴。
 旧騎士団が乗馬訓練の際に使っていた物のようだが、きちんと手入れがされていて新品同様だ。
 ぴっちりとした感じは、長靴というよりブーツと言った方が近い。

「一応防水の為にな。全員履き替えたら出発しよう。シャーリーはトラッキングで食べ残しの確認。ミアちゃんとシャロンは階層ごとにマッピングを手分けしてくれ」

「はーい」

 ミアの元気な返事と共に行動開始。警戒はしつつも、今回は走る事もない。ちょっと危険なウォーキングといった雰囲気だ。
 しばらくは何もない巨大な通路が続く。魔物も掃除済。シャーリーからの反応もなく、皆の足音と何処かで滴る水の音。耳をすませばマッピングするペンを走らせる音さえ聞こえるほど静かな空間。
 なんとなく、カガリの上でミアが描くマップを覗き込む。正直に言うとグレイスの方が綺麗であったが、それでも十分な精度だ。
 よくわからない記号も、何かしらの意味があるのだろう。ミアだけではなく、俺も歩きながらマップを頭に叩き込む。
 通路の長さや部屋の大きさ。障害物になりそうな物の位置など、覚えることはそれなりに多い。
 幸いにもダンジョンとしてはそれほど複雑ではないらしい。さすがはシャーリー。ダンジョン探索のプロの言うことには、やはり説得力がある。

「規模は地下50層まであっても不思議じゃないけど、魔物はそれほどいなそうね……」

 その意味はすぐにわかった。このダンジョンが死んでいるからである。
 恐らくはここは揺らぎの地下迷宮なのだろう。魔王が造ったとされているダンジョンの1つだ。
 整った人口の壁。光の失われたランタンに、度々目にする崩落現場。
 何時崩落するかわからない場所を拠点とする魔物はそう多くはないだろう。しかし、それは地下5層まで。
 下り階段を降りていくと、そこは今までとは様相を変え、極寒の地が広がっていた。

「なにこれ……」

 その声はシャーリーから漏れ出たもの。つまりシャーリーでさえも経験した事のない環境なのだ。

「寒い……」

 ミアはあまりの環境の変化に鼻水を啜った。
 揺らぎの地下迷宮の面影は残しつつも、壁や床、天井に至るまで氷の塊が付着している。解けた氷が水たまりを作っているからこその長靴だと理解した。

「氷のダンジョンですか……。凄いですね……」

「んな訳あるか……」

 正直な感想を述べただけなのだが、バイスからはピシャリと一喝。その視線は少々冷たかった。

「全部リッチの所為だよ」

 バイスの言葉を聞いて、持っていたペンを落としたのはシャロンだ。
 それはカラカラと音を立てて転がると、丁度俺の足元で止まった。

「落としましたよ?」

 シャロンは拾い上げたペンを受け取ろうとはせず、バイスの顔を凝視し小さく震えていた。
 それは寒さから来る震えではなく、恐怖から来るものなのだろう。その表情は、酷く狼狽していたのだ。

「こ……このダンジョンには、リッチが出現するんですか!?」

 リッチ。それはアンデッド種の中では最強を誇る魔術師だ。魔法を極めんが為に魔族に魂を売った魔術師の成れの果てなどと噂されてはいるが、その真偽は不明。
 それを討伐したとされる公式記録は、僅か1回。
 故に情報は少なく、出会ってしまえば生還するのは難しいとされる魔物の1つだ。
 バイスとグラーゼンが上層で待っていた理由。それはリッチに阻まれてしまっているから。恐らくシャロンはそう考えたのだろう。

「いや、いないんじゃないか?」

「え? でも今リッチがやったと……」

「そうだ。九条のな」

「えっ!?」

 シャロンは早く説明しろとばかりに、俺に視線を向ける。

「言ったじゃないですか。バイスさんとグラーゼンさんのところに護衛を置いて来たって」

「でも……」

 その意味を理解したのかしないのか……。シャロンはそこで固まった。
 あれだけアンデッドを召喚することができると説明したはずなのだが、イマイチ伝わっていなかったのだろうか?

「あれ? 俺、説明したよな?」

「うん」

 白い息と共に元気よく頷くミア。

「そのリッチがすげぇ速さで魔物を討伐していくもんだからさ。追い付けなかったんだよ。手を上げたと思ったら氷の槍がびゅって飛んでいって、それが魔物を貫通したと思ったら辺りはたちまち氷漬けよ」

「ああ……。なるほど……」

 俺がリッチに出した命令はダンジョンに蔓延る魔物の殲滅。恐らくはそれが原因だ。
 元から氷で出来たダンジョンということではないらしい。
 魔物を全滅させ途方に暮れているのか、未だに進み続けているのかは不明だが、リッチはまだ生きている。
 ……いや、アンデッドだから死んでいるのだが、それが俺の手を離れた感覚はなかった。

「じゃぁ、さっきのマンティコアは、リッチから逃げてきたって感じかしら?」

「恐らくはシャーリーの言う通りだ。俺達はあそこで登って来る魔物達を狩っていたんだ。休憩なしで進んで行くリッチになんて、どうせ追いつけないしな」

「じゃぁ、九条様がリッチを呼び出したのですか!?」

 だからそう言っているのに、シャロンの反応が遅すぎて反応に困る。相手がシャーリーであったら、迷わずツッコんでいたところだ。
 当の本人は、遅れてきたシャロンの反応に爆笑していた。その雰囲気は、既にダンジョン調査の緊張感ではない。

「九条殿のパーティはいつもこんな感じなのか?」

 バイスにそっと耳打ちをするグラーゼン。

「ええ。自然体が売りなんですよ」

 シャーリーの笑い声で聞き取り辛いが、しっかりと聞こえた。自然体が売りだなんて一言も口には出していない。
 適当な事を吹聴するなとバイスを一喝してもよかったのだが、改めて考えてみるとあながち間違いではないかもしれないと、俺は眉をひそめた。

「だから言ったでしょ? シャロンとミアちゃんはマッピングだけしてればいいんだって。プラチナプレート冒険者を甘く見過ぎよ?」

 確かにそうだが、シャーリーはそんなことでマウントを取ろうとするな。
 そのうちシャロンから担当拒否が言い渡されても知らんぞ……。

「マンティコアが出たということは最低でも地下40層までは道が続いているってことですね」

「だろうな。さっさと進もうぜ?」

 ――――――――――

「あーもう!」

 突然癇癪を起したのはミアである。
 天井に張り付いていた氷が解け、水滴となって滴り落ちる。それが、書いていたマップを滲ませたからだ。

「カガリ。お願い」

 ミアの頼みに応えたカガリは、目の前に大きな狐火を出現させた。それによれよれの紙を近づけパタパタと乾かす。
 あれから調査は何事もなく、順調に進んでいた。現在は3日目。1日20層のペースを維持し潜っていく。
 時折下層から登って来る魔物をシバき倒す手間はあるものの、魔剣持ちが2人にゴールドプレート(予定)のシャーリーがいれば、怖いものなぞ何もない。
 戦闘はその3人に任せ、俺は死体漁りに精を出していた。やっていることは、カネになりそうな魔物の素材を厳選するだけの剥ぎ取り作業。
 死霊術師ネクロマンサーからゴミ拾いスカベンジャーにクラスチェンジする日も、そう遠くはないだろう。

「シャーリー。どうだ?」

「まだまだ先かなぁ。まるで反応ないわ」

 俺の質問に肩を竦めて見せるシャーリー。探している反応というのは、俺が召喚したリッチのもの。
 現在は地下42層。リッチほどの強力な反応ならすぐにでもわかると豪語していたシャーリーであったが、それもまだまだ先の様子。
 一体どこまで潜ってしまったのか……。

「……いた……」

 消え入りそうな小さな声で呟いたのはシャーリー。怯えているようにも見えるのは、恐らく気のせいではないだろう。
 そこは地下48層。相も変わらず氷だらけのダンジョンだが、寒さ故か声は澄んでいて通りがいい。

「多分、2層下あたり。……動いてはいない……と思う……」

 ここしばらくは魔物も上がってこなかった。殲滅は終わったと見て間違いなさそうだ。

「ならもう用なしだな。あるべき場所へと帰そう」

「ちょっと待って下さい!」

 いきなりの大声。その主はシャロンだ。

「何か問題でも?」

「いえ。特に問題というわけではないのですが……。欲を言えばリッチを見てみたいと言いますか……」

 恥ずかしそうに頬を染め、モジモジと身体をくねらせるシャロン。
 まさかの申し出に、一瞬の間が空いた。
 なんだろう。怖いもの見たさという奴なのだろうか?

「まぁ……別に構いませんけど……」

 そして俺達は、地下50層へと足を踏み入れたのだ。
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