【R18】生真面目騎士様の不真面目な愛読書

綾瀬ありる

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魔術師団研究員リズベス嬢の戸惑い

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「ん……もう朝かあ……」
 閉め切ったカーテンの隙間から、一筋光が漏れている。優秀な遮光カーテンのおかげで、魔術の灯りがぼんやりついているだけの室内は薄暗い。背後にある窓から差し込んだ光がなければ、朝が来たことには気付けなかっただろう。
 手元の作業を止めて、リズベスはぐるりと首を回した。
 ふうっ、と息をついて立ち上がる。作業は急ぎというわけでもない、ただの手慰みの実験のようなものだ。気になることがあると、つい何かに集中して忘れようとしてしまう。

 カーテンを開けると、朝の光が目に眩しい。リズベスの部屋からは、解放庭園が朝の光に照らされて、美しく輝いているのがよく見える。
(……ヒューバート様、どうなさってるかしら)
 どうしても気になってしまう人のことを思い浮かべて、リズベスは窓の外をじっと眺めた。二日間の休養を言い渡されていたはずのヒューバートが訓練場に現れたことも驚きだったが、それ以上にその様子のおかしさがリズベスには気にかかる。
「無理をしているのでなければいいのだけれど……」
 そう呟くと、リズベスは作業を諦めて、手元の箱に全てしまい込んだ。施錠の魔法陣を呼び出して、厳重に蓋をする。危ないものではないが、見られるのは少し気恥しかった。

 今日の予定を頭の中で軽く整理する。同僚のデリックの協力もあって、身体強化魔術の弱点である疲労度の改善はうまくいきはじめている。今日は、彼のところへ資料を持っていって、再度検討もしなければならない。
 順調にいけば、今週中にもケリをつけられそうだ。
 思った以上の成果をあげられていることに、リズベスは笑顔を浮かべた。それもこれも、ヒューバートをはじめとした聖騎士団の面々の協力があってこそだ。
 任務とはいえ、何かお礼として差し入れ位は用意してもいいかもしれない。にヒューバートの様子を見てくるのはどうだろう。看病をした手前、やはり様子は気になる。
 自分の心に言い訳を思いついたリズベスは、侍女を呼び出すと、あれこれと手配を始めたのだった。



 ♢

 扉の前で、リズベスは一つ深呼吸をした。腕に下げたバスケットを抱えなおす。その中身はすでに三分の二ほど減っていて、とりたて重いわけではない。
 ここまで来るつもりではなかった。訓練場へ行けば、第一小隊の皆にも、ヒューバートにも差し入れを渡せると思っていたのだ。しかし、ここ何週間かですっかり顔なじみになった第一小隊の若手騎士ブライアンによると、ヒューバートは朝少し顔を出しただけで戻ってしまったという。

「お仕事をされているなら、体調の方はもう?」
「そうですね、今朝お顔を拝見した限りでは、調子は良さそうでしたよ」
 そう言って少し視線を泳がせたブライアンの様子は気になるが、とりあえずはほっとする。そのブライアンに差し入れを全て渡そうとしたリズベスは、真剣な顔をした彼にそれを止められた。
 ヒューバートは執務室にいるから、そちらに持っていってあげて欲しい。そう強くお願いされてはリズベスも頷くしかない。
 妙ににこやかなブライアンに見送られて、リズベスは訓練場を後にし、執務室へと向かったのだった。

(そう、私は差し入れを渡しに来ただけよ)
 もう一回深呼吸したリズベスは、思い切って扉をノックした。
「開いている、入っていい」
 こちらが名乗るよりも早く扉の中から声がして、リズベスはどきりとした。ヒューバートの声だ。張りのある、テノールの声。仕事中であるせいか、あまり聞いたことのない硬めの声だ。
「失礼します」
 どきどきしながら扉をそっと開く。できるだけ気を付けて扉を閉め、正面に向き直ると、ヒューバートが驚いた顔をしているのが見えた。
「えっ、リ……リズ……?」
「そんなに驚くようなことですか……?」
 口元を覆って翠の目を見開いたヒューバートの姿に、リズベスは唇を尖らせる。ヒューバートは少し慌てた様子で手を振った。
「いや、今日はその……計測の日じゃなかっただろう?来るとは思っていなかったから」
 そこで一拍置くと、ヒューバートは一瞬何かを思案するようにリズベスから視線を逸らした。その後、何か思いついたように向き直ると、ヒューバートは笑顔を見せた。
「会えてうれしいよ、リズ」
 蕩けるように甘いテノールの声が、リズベスの耳朶を打った。

 その声を聴いたリズベスは、全身がかあっと熱くなったような気がした。きゅん、と痺れるような感覚が全身を走る。ヒューバートの微笑みが、いつもより甘く感じるのは気のせいだろうか。思わずじっとヒューバートの顔を見つめてしまう。
 端正な面差しの中の翠の瞳が、いつもよりとろりと甘い光を宿しているように見える。リズベスは、心臓が早鐘を打つのを感じた。そんな瞳で見つめられたら、どんな女性だって勘違いするに違いない。
 リズベスは慌てて頭を振った。
 いや、きっとそんな瞳に見えるのは自分だけに違いない。まだ熱が下がり切っていなくて、それでそう見えてしまうだけなのかもしれない。
(きっとそうに違いないわ……)
「……どうしたの?」
 呆然としているリズベスを心配したのだろう。いつの間にかヒューバートがすぐ傍まで移動してきている。顔を覗き込まれて、リズベスは慌てた。近い、近すぎる。声も、さっきと違って妙に優しい響きを持っている、ような気がする。
 吐息がかかりそうなほど近くまで顔を寄せられて、リズベスは混乱した。動悸が治まらない。
「あの、私……こ、これを……」
 震える唇をなんとか動かして、リズベスはヒューバートに、手に持っていたバスケットを差し出した。これを渡してさっさとこの場を離脱しなければいけない。
 そうしなければ、勘違いしてしまいそうになる。
「差し入れに、来たんです」
 バスケットを受け取ったヒューバートが、嬉しそうに笑うのが見える。きゅん、とうずく胸を押さえて、リズベスは何とか立ち直ろうとした。
「では、その……お仕事中ですわよね、私、お邪魔にならないうちに――」
「そんなつれないことを言わないで欲しいな、リズ。折角だからお茶くらい飲んでいって」
 そう言うと、ヒューバートはそっとリズベスの肩に手を添えた。どきん、とまたリズベスの心臓が跳ねる。ソファへ誘導してくれただけだ、と気づいても、心臓の音が鳴りやまない。
 つい、リズベスの視線は、ヒューバートの腕を引き寄せられたようにみつめてしまう。あの腕に、抱きしめられたのは二回。花の小道と、看病に行ったヒューバートの部屋で、だ。
 あの時は、あのヒューバートの端正な顔が、胸に押し付けられていた。それを思い出すと、今更ながら顔から火が出そうだ。あれは、寝ぼけていたからだ――そう言い聞かせても、実際に押し付けられていた部分は甘く疼く。ぐりぐりと押し付けられた顔の感触が蘇ってきてしまう。それと同時に、リズベスはお臍の奥がきゅんとなるような、むず痒い感覚に囚われてしまっていた。
 はあ、と吐いた息が熱い。
 この、わけのわからない感覚をどうにか逃がしたくて、リズベスは目を閉じた。

「待ってて、今お茶を淹れるから。それに、じきサイラスが戻ってくるから――」
 ヒューバートが何か言っているが、今のリズベスの耳にはほとんど届いていない。
 何かいけないことをしているような、このまま溺れてしまいたいような。そんな気持ちに揺られて、リズベスはぎゅっと手を握り締めた。
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