71 / 77
生真面目騎士様の求婚(2)
しおりを挟む
意味もなく、庭園に目を向ける。その視線を、またリズベスに戻す。
モンクトン家自慢の庭園は、今日もきちんと手入れされていて、見る者の心を和ませる――はずだったが、ヒューバートの心中たるや、その美しさを愛でている場合ではなかった。
気詰まりなこの沈黙をなんとか解消したいが、あいにくどうして良いのか見当もつかない。困り果てて、庭の草木とリズベスの間でうろうろと視線をさまよわせるだけだ。
「――って、まだなのに」
「え?」
どれくらい過ぎた頃だろうか。ぽつ、とリズベスの口から洩れた呟きは、小さすぎて聞き取ることができない。間抜けな声を上げたヒューバートに、彼女はとうとう大声を上げた。
「わたし!求婚もされてないんですよ!!」
虚をつかれて、ヒューバートは思わず押し黙った。それをどう捉えたのか、リズベスは目に涙を浮かべて続ける。
「そんな、いきなり結婚とか言われても、わたし……わたし……」
最初の勢いはどこへやら、最後にははっとしたような顔をすると、言葉尻が弱くなっていく。そうして俯いてしまったリズベスに、どうしていいのかわからない。
ヒューバートにしてみれば、昨夜自分を受け入れてくれた時点で求婚は成立したも同然だ。しかし、それを受け入れてくれたと思ったリズベスは、まだされていないという。
では、言葉で求婚すればいいのだろうか。だが、多分――おそらく――いや、確実にそういう問題ではない気がする。
はあ、と大きなため息が口から洩れる。それを、しまった、と思うのとリズベスが、がたん、と大きな音を立てて立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
「ま、待て――リズ!」
引き留めようと伸ばした手が空を切る。ドレスを着ているとは思えないほど俊敏に身を翻したリズベスが、ぱたぱたと小さな足音を残してその場を去っていくのを、ヒューバートは呆然と見送った。
「泣いて……」
腐っても騎士である。去り際に一瞬こちらに視線を向けたリズベスの目元に、涙が浮かんでいたのを視界に捉えて、ヒューバートは自分を殴りたい気分だった。
◇
「――で、そのまま帰ってきちゃったわけ」
「……面目ない」
つい昨日だか一昨日だかにも、同じ人間から同じ台詞を言われたような気がする。ヒューバートは、とうとう手元の書類を投げ捨てて机に突っ伏した。
「ちょうどいい、ランバート……俺を殴ってくれ」
「えっ、やだよ……」
そういう野蛮なことはお前に任せてるからね、と次期聖騎士団統括と思えないような言葉が続く。それに何か言う気も起きず、ヒューバートは唸り声を上げた。
その姿を横目に、肩をすくめたランバートが散らばった書類を拾う。とんとん、と軽く端を揃えると、その書類でヒューバートの頭をぺしぺしと叩いた。ぐ、と短い呻き声がヒューバートから上がる。
「ほら、これだけ終わらせたら自由の身だから」
「終わるころにはもう夜だな……」
窓の外では、既に夕暮れのオレンジの空が夜の紺色に侵食され始めている。物憂げにそれを見上げるヒューバートの横で、ランバートがもう一度肩をすくめた。
「ほら、これで……できましたよ、殿下」
「うわ、なんだ急に、気持ち悪い」
とっぷりと日も暮れたころ、ようやく仕上がった報告書の束を差し出す。ため息とともにそれを受け取ったランバートは、ぱらぱらとめくって簡単に目を通すと頷いた。
「これで、お約束の休暇、いただきますからね」
「はいはい。でも今夜はもうやめとけよ?勢い余って何をしでかすか……」
「わかってます!」
何をしでかすか、のあたりで不埒な動きを見せるランバートの手を睨みつけて、ヒューバートは内心ぎくりとした。しでかすか、どころかもう既にしでかしている。
モンクトン邸でのリズベスとの顛末は話したが、さすがに手を出したことまでは話していない。アーヴィンとて、まさかそんな話まではランバートにしないだろう。しないったらしない。そうだと言ってくれ。
意味深な笑みを残して、ランバートが執務室を出て行く。そういえば、あいつは王子だというのにいつもいつもここまで気軽にやってくる。もしかしたら、自分をからかいに来ているのではないだろうか。
これは――なんかもう、全部筒抜けのような気がする。
気付きたくないことに気づいてしまって、ヒューバートは重いため息をついた。
「……風呂、行くか」
重たい気持ちを抱えて戻った自室で、ヒューバートは呟いた。とにかく、少しさっぱりして気分を変えたい。
時刻を確認して、手早く準備を済ませる。ついでに、借りっぱなしになっていた王宮図書館の本も返しておこうと思い立った。気が付けば、随分長いこと借りっぱなしである。新刊だったのだから、誰かほかにも待っている人がいただろうに、申し訳ないことをした。
「ええと……確か、ここに」
ベッドの脇に置いてある棚を探ると、そこから数冊の本が出てきた。そういえば、リズベスのお勧めを一緒に借りたことを思い出して、それらも手に取る。表紙を眺めると、読んだ時の甘ったるい記憶がよみがえって、ヒューバートは苦笑した。
返却手続きを済ませ、大浴場へと向かう。途中で通った食堂からはいい匂いがしていたが、あまり食欲はわかない。はあ、とひとつため息をついてそのまま素通りする。
それほど夜遅い時間ではなかったはずだが、大浴場は閑散としていた。ここが最も混雑するのは、訓練を終えた夕刻だ。
身体を流した後、ゆっくりと湯船につかる。大きな窓からは、外の景色がよく見えた。
暗い紺色の空には、半分に欠けた月が浮かび、星が瞬いている。今頃リズベスも、同じ空を見上げているだろうか。
ふと浮かんだ考えに、ヒューバートは苦笑した。まるで、恋愛小説に出てきた男のようなことを考えている自分に気付いたからだ。
「なるほどな……」
どうやらあの本は、きちんと男心というものを描いているようだ。恋した男というのは、ロマンチストでもあるらしい。
ふむ、とひとつ唸って、ヒューバートはもう一度空を見上げた。同じ夜空を、いや、空ではなく星をリズベスと眺めたい。あの時の様に――。
「そうだ……思い出した……!」
何も悩む必要などない。初めから、自分は言うべきことを知っていた。
モンクトン家自慢の庭園は、今日もきちんと手入れされていて、見る者の心を和ませる――はずだったが、ヒューバートの心中たるや、その美しさを愛でている場合ではなかった。
気詰まりなこの沈黙をなんとか解消したいが、あいにくどうして良いのか見当もつかない。困り果てて、庭の草木とリズベスの間でうろうろと視線をさまよわせるだけだ。
「――って、まだなのに」
「え?」
どれくらい過ぎた頃だろうか。ぽつ、とリズベスの口から洩れた呟きは、小さすぎて聞き取ることができない。間抜けな声を上げたヒューバートに、彼女はとうとう大声を上げた。
「わたし!求婚もされてないんですよ!!」
虚をつかれて、ヒューバートは思わず押し黙った。それをどう捉えたのか、リズベスは目に涙を浮かべて続ける。
「そんな、いきなり結婚とか言われても、わたし……わたし……」
最初の勢いはどこへやら、最後にははっとしたような顔をすると、言葉尻が弱くなっていく。そうして俯いてしまったリズベスに、どうしていいのかわからない。
ヒューバートにしてみれば、昨夜自分を受け入れてくれた時点で求婚は成立したも同然だ。しかし、それを受け入れてくれたと思ったリズベスは、まだされていないという。
では、言葉で求婚すればいいのだろうか。だが、多分――おそらく――いや、確実にそういう問題ではない気がする。
はあ、と大きなため息が口から洩れる。それを、しまった、と思うのとリズベスが、がたん、と大きな音を立てて立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
「ま、待て――リズ!」
引き留めようと伸ばした手が空を切る。ドレスを着ているとは思えないほど俊敏に身を翻したリズベスが、ぱたぱたと小さな足音を残してその場を去っていくのを、ヒューバートは呆然と見送った。
「泣いて……」
腐っても騎士である。去り際に一瞬こちらに視線を向けたリズベスの目元に、涙が浮かんでいたのを視界に捉えて、ヒューバートは自分を殴りたい気分だった。
◇
「――で、そのまま帰ってきちゃったわけ」
「……面目ない」
つい昨日だか一昨日だかにも、同じ人間から同じ台詞を言われたような気がする。ヒューバートは、とうとう手元の書類を投げ捨てて机に突っ伏した。
「ちょうどいい、ランバート……俺を殴ってくれ」
「えっ、やだよ……」
そういう野蛮なことはお前に任せてるからね、と次期聖騎士団統括と思えないような言葉が続く。それに何か言う気も起きず、ヒューバートは唸り声を上げた。
その姿を横目に、肩をすくめたランバートが散らばった書類を拾う。とんとん、と軽く端を揃えると、その書類でヒューバートの頭をぺしぺしと叩いた。ぐ、と短い呻き声がヒューバートから上がる。
「ほら、これだけ終わらせたら自由の身だから」
「終わるころにはもう夜だな……」
窓の外では、既に夕暮れのオレンジの空が夜の紺色に侵食され始めている。物憂げにそれを見上げるヒューバートの横で、ランバートがもう一度肩をすくめた。
「ほら、これで……できましたよ、殿下」
「うわ、なんだ急に、気持ち悪い」
とっぷりと日も暮れたころ、ようやく仕上がった報告書の束を差し出す。ため息とともにそれを受け取ったランバートは、ぱらぱらとめくって簡単に目を通すと頷いた。
「これで、お約束の休暇、いただきますからね」
「はいはい。でも今夜はもうやめとけよ?勢い余って何をしでかすか……」
「わかってます!」
何をしでかすか、のあたりで不埒な動きを見せるランバートの手を睨みつけて、ヒューバートは内心ぎくりとした。しでかすか、どころかもう既にしでかしている。
モンクトン邸でのリズベスとの顛末は話したが、さすがに手を出したことまでは話していない。アーヴィンとて、まさかそんな話まではランバートにしないだろう。しないったらしない。そうだと言ってくれ。
意味深な笑みを残して、ランバートが執務室を出て行く。そういえば、あいつは王子だというのにいつもいつもここまで気軽にやってくる。もしかしたら、自分をからかいに来ているのではないだろうか。
これは――なんかもう、全部筒抜けのような気がする。
気付きたくないことに気づいてしまって、ヒューバートは重いため息をついた。
「……風呂、行くか」
重たい気持ちを抱えて戻った自室で、ヒューバートは呟いた。とにかく、少しさっぱりして気分を変えたい。
時刻を確認して、手早く準備を済ませる。ついでに、借りっぱなしになっていた王宮図書館の本も返しておこうと思い立った。気が付けば、随分長いこと借りっぱなしである。新刊だったのだから、誰かほかにも待っている人がいただろうに、申し訳ないことをした。
「ええと……確か、ここに」
ベッドの脇に置いてある棚を探ると、そこから数冊の本が出てきた。そういえば、リズベスのお勧めを一緒に借りたことを思い出して、それらも手に取る。表紙を眺めると、読んだ時の甘ったるい記憶がよみがえって、ヒューバートは苦笑した。
返却手続きを済ませ、大浴場へと向かう。途中で通った食堂からはいい匂いがしていたが、あまり食欲はわかない。はあ、とひとつため息をついてそのまま素通りする。
それほど夜遅い時間ではなかったはずだが、大浴場は閑散としていた。ここが最も混雑するのは、訓練を終えた夕刻だ。
身体を流した後、ゆっくりと湯船につかる。大きな窓からは、外の景色がよく見えた。
暗い紺色の空には、半分に欠けた月が浮かび、星が瞬いている。今頃リズベスも、同じ空を見上げているだろうか。
ふと浮かんだ考えに、ヒューバートは苦笑した。まるで、恋愛小説に出てきた男のようなことを考えている自分に気付いたからだ。
「なるほどな……」
どうやらあの本は、きちんと男心というものを描いているようだ。恋した男というのは、ロマンチストでもあるらしい。
ふむ、とひとつ唸って、ヒューバートはもう一度空を見上げた。同じ夜空を、いや、空ではなく星をリズベスと眺めたい。あの時の様に――。
「そうだ……思い出した……!」
何も悩む必要などない。初めから、自分は言うべきことを知っていた。
10
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
「妃に相応しくない」と言われた私が、第2皇子に溺愛されています 【完結】
日下奈緒
恋愛
「地味な令嬢は妃に相応しくない」──そう言い放ち、セレナとの婚約を一方的に破棄した子爵令息ユリウス。彼が次に選んだのは、派手な伯爵令嬢エヴァだった。貴族たちの笑いものとなる中、手を差し伸べてくれたのは、幼馴染の第2皇子・カイル。「俺と婚約すれば、見返してやれるだろう?」ただの復讐のはずだった。けれど──これは、彼の一途な溺愛の始まり。
幼馴染の勇者に「魔王を倒して帰ってきたら何でもしてあげる」と言った結果
景華
恋愛
平和な村で毎日を過ごす村娘ステラ。
ある日ステラの長年の想い人である幼馴染であるリードが勇者として選ばれ、聖女、女剣士、女魔術師と共に魔王討伐に向かうことになる。
「俺……ステラと離れたくない」
そんなリードに、ステラは思わずこう告げる。
「そうだ‼ リードが帰ってきたら、私がリードのお願い、一つだけなんでも叶えてあげる‼」
そんなとっさにステラから飛び出た約束を胸に、リードは村を旅立つ。
それから半年、毎日リードの無事を祈り続けるステラのもとに、リードの史上最速での魔王城攻略の知らせが届く。
勇者一行はこれからたくさんの祝勝パーティに参加した後、故郷に凱旋するというが、それと同時に、パーティメンバーである聖女と女剣士、そして女魔術師の話も耳にすることになる。
戦いの昂りを鎮める役割も担うという三人は、戦いの後全員が重婚の認められた勇者の嫁になるということを知ったステラは思いを諦めようとするが、突然現れたリードは彼女に『ステラの身体《約束のお願い》』を迫って来て──?
誰がどう見ても両片思いな二人がお願いをきっかけに結ばれるまで──。
初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~
如月あこ
恋愛
宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。
ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。
懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。
メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。
騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)
ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。
※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる