偶合

光目

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幕間 三月二十七日

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 東京の都心の夜は地上が光り輝いているが、山の中の市街は夜空が輝いている。
 倉敷穂積は、群青の夜空にきらめく清らかな満点の星が己をむしばむ死の呪いをかき消しはしないかと、祈るように見つめていた。そんなことはありえないと、頭の片隅でわかっていながら。
 ふと穂積が顔をあげると、白い軽バンが病院のポーチ前へ入ってくるところだった。
 音もなく車が目の前で止まると、しばらくの間を置いて助手席のドアが開き一人の男が降りて来た。
 早坂曜一朗だった。
 東京の霞が関にある警察庁に所属する警察官で、付き合いもそろそろ八年になろうとしている。だが、弟がいるとは初耳だ。とはいえ仕事上の付き合い程度しかなく、お互い饒舌なほうでも無いので穂積が知っていることは曜一朗の所属と階級くらいだから仕方のない話だ。きりりとした眉、通った鼻筋などそろって美男な兄弟だ。
「穂積さん、弟がどうもご迷惑をおかけしました」
 深々と頭を下げる。
「いえ、気にしないでください」
 曜一朗が頭を上げた。その顔には若干の焦燥が浮かんでいる。どれだけ過酷で陰惨な現場に来ても、冷静さを崩さない曜一朗には珍しい。穂積は一瞬目を見張った。
「普通の人間があれだけ邪気のたまった場所に長時間居れば無理のないことです。それより弟さんの所に行ってあげてください」
「……ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、失礼します」
 もう一度頭を下げて、曜一朗は駐車場から見える病院の入口へと足早に行った。正面のガラスドアから、ロビーで控えていた看護師が曜一朗に近づいていくのが見える。
 その姿を見送ると、穂積は目の前に止まったままの軽バンのドアを開け、助手席に乗り込んだ。
「お疲れ、穂積」
「叔父さんもお疲れさま」
 運転席に座る叔父、倉敷哲二と互いにねぎらう。
 シートベルトを締めると、車は滑らかに走り出した。
「市姉とさちは?」
「白緑館さんで一泊するとさ」
「そうか」
 霊媒をしたさちと、あの村跡を丸ごと閉鎖していた市花はそのほうがいいだろう。市花と同じく霊力を相当使っていた哲二には全く疲労の色が見えない。流石だと感嘆する。
 カーナビの示すルート通りに見知らぬ市街地を行く。穂積も哲二も積極的に喋るタイプではないため、車内は落ち着いた静寂に満ちていた。
 ふと穂積は今日会った男のことを思い出した。
 早坂曜一朗の弟。勇麻、といったか。
 あの濃い瘴気に満ちた中で、誰かが穂積に呼びかけたのだ。こいつを助けてくれ、と。声に導かれるまま進んだ先に勇麻がいた。
 唐突に現れた自分に驚いていた、兄によく似た整った顔立ち。自分の秘密を知った、久しぶりの部外者。あの瞬間、彼はどんな顔をしていたのだろうか。倒れて高熱を出した彼に、久しぶりに自分も慌てるということをしてそこに気を回す余裕は無かった。
 かつて穂積の秘密を知られてしまった者達の残酷な視線を思い出す。侮蔑、嫌悪、好奇――どれも穂積を人間と思わない目をしていた。穂積自身、それを否定することもできない。
 自分は化け物だと、穂積がこの世で一番そう思っているのだから。
 勇麻が無事だといい。そして、あの忌まわしいものを忘れてくれているといい。祈る気持ちで目を閉じた。疲労からか、そうして目を閉じていると微睡んでいきそうだった。
「……どうだった?」
 ふいに静寂を打ち破り、哲二が僅かに緊張を含んで声をかけてきた。顔を叔父へと向ける。その顔には声と同じく少し緊張して見える。
 穂積は小さく息をついた。今から叔父に、期待外れの報告をしなければならない。少しの憂鬱と絶望が入り混じったため息だった。
「何もわからなかった」
 一瞬の沈黙。
「……そうか」
「ああ」
 もはや何の感情も浮かばない自分と違い、叔父の目には焦燥の色が浮かんでいた。
「あの子の勘が外れるとはな……。だが、大丈夫だ。まだ時間はある。大道寺様も動いてくださっている」
「……そうだな」
 言い聞かせるような叔父の言葉に返事を返し、窓の外へと目を向けた。
 気がつけば市街地から高速に入り、流れる景色は街灯が光る街並みから夜の山の暗い緑に移り変わっていた。寝たつもりはなかったが、いつの間にか寝入っていたのかもしれない。
 哲二が何を言わんとしているか、穂積は分かっている。穂積自身もまだ死ぬ気はないので、出来るだけ足掻くつもりではある。
 しかし、タイムリミットまでもう半年を切った。楽観視はできない。
(そろそろ始めるべきだろう)
 穂積は心の内で静かに決意を固めた。
 ――自分自身を終わらせる決意を。
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