4 / 8
第四章 逃避行と堕ちた愛
しおりを挟む
蔵での秘密の夜が終わったあとも、柾貴と沙月の関係は止めどなく深まっていった。しかし、屋敷中に漂いはじめた不穏な空気――女中頭の鋭い視線や、母の「沙月さんには少し休みをあげましょうか」という優しさに隠れた警戒。そのたびに、柾貴は胸の奥がきゅっと締めつけられた。
ある夕方、母から「明日から沙月さんは本家にお使いに行ってもらいます」と告げられる。柾貴は驚きで息が止まりそうになり、慌てて母の着物の袖を掴んだ。
「やだ、いやだ!沙月をどこにもやらないで!」
「柾貴、わがままを言ってはいけません」
母の目はどこか寂しそうで、優しいけれど冷たかった。
その夜。
柾貴はもう我慢できなくて、夜更けに蔵へ駆け込んだ。春の風が冷たくて、鼻の奥がつんと痛んだ。
蔵の中には沙月が座っていて、いつもよりずっと静かな顔で柾貴を待っていた。
「……聞いたよ、本家に行かされるんだって」
「はい。明日には、ここを出ることになります」
「やだ……絶対に、嫌だよ……」
柾貴は涙をこらえながら沙月にすがりついた。
「ぼく、沙月がいなくなったら、生きていけない……」
「柾貴様」
沙月は優しく柾貴の頭を撫で、そっと唇を額に落とした。
「だったら、一緒に逃げましょう」
沙月の声は低くて、でもとても優しかった。
「蔵を抜け出して、誰も知らない場所へ行くのです。……私と、逃げてくれますか」
「うん……うん、逃げる。沙月とずっと一緒にいたい!」
二人は蔵の奥、古い箱から使い古しの外套と、数枚の小銭を取り出した。
沙月が柾貴に洋装のコートを羽織らせ、乱れた髪を帽子で隠した。
「寒くないように、ここをきつく締めてください」
柾貴の首元に、沙月は自分のスカーフを巻いた。
蔵の裏口をそっと抜け、春の夜の闇へと二人は駆け出した。
家の塀を越え、町の裏路地を抜けて、川沿いの寺の本堂へとたどり着く。
人気のない古びた畳の上で、二人はお互いの手を強く握り合った。
「大丈夫です。誰にも、もう離されません」
沙月の声に、柾貴は安心して肩の力を抜いた。
やがて、寺の本堂の静けさの中で、二人はお互いを確かめ合うように身体を重ねた。
コートも帽子も脱ぎ捨て、柾貴は沙月の胸に顔を埋めて、泣きながら何度も「好き」と繰り返した。
沙月は柾貴の涙をそっと舌で拭い、細い指で乱れた前髪を整えた。
「これからは、全部私が守ります。……柾貴様は、私だけを見ていてください」
「うん……ずっと、沙月だけを……」
冷たい畳の上、春の夜の静けさに溶けていく二人の声と熱。
外では風が梢を鳴らし、遠くで犬が吠えていたが、その音さえも遠ざかるほど、二人だけの世界は深く、濃密で、もう誰にも壊せなかった。
夜が明けるころ、柾貴は沙月の腕の中で眠りに落ちた。
ほんのりと東の空が白み始める――
新しい朝と、二人だけの未来が、ゆっくりと動き出そうとしていた。
ある夕方、母から「明日から沙月さんは本家にお使いに行ってもらいます」と告げられる。柾貴は驚きで息が止まりそうになり、慌てて母の着物の袖を掴んだ。
「やだ、いやだ!沙月をどこにもやらないで!」
「柾貴、わがままを言ってはいけません」
母の目はどこか寂しそうで、優しいけれど冷たかった。
その夜。
柾貴はもう我慢できなくて、夜更けに蔵へ駆け込んだ。春の風が冷たくて、鼻の奥がつんと痛んだ。
蔵の中には沙月が座っていて、いつもよりずっと静かな顔で柾貴を待っていた。
「……聞いたよ、本家に行かされるんだって」
「はい。明日には、ここを出ることになります」
「やだ……絶対に、嫌だよ……」
柾貴は涙をこらえながら沙月にすがりついた。
「ぼく、沙月がいなくなったら、生きていけない……」
「柾貴様」
沙月は優しく柾貴の頭を撫で、そっと唇を額に落とした。
「だったら、一緒に逃げましょう」
沙月の声は低くて、でもとても優しかった。
「蔵を抜け出して、誰も知らない場所へ行くのです。……私と、逃げてくれますか」
「うん……うん、逃げる。沙月とずっと一緒にいたい!」
二人は蔵の奥、古い箱から使い古しの外套と、数枚の小銭を取り出した。
沙月が柾貴に洋装のコートを羽織らせ、乱れた髪を帽子で隠した。
「寒くないように、ここをきつく締めてください」
柾貴の首元に、沙月は自分のスカーフを巻いた。
蔵の裏口をそっと抜け、春の夜の闇へと二人は駆け出した。
家の塀を越え、町の裏路地を抜けて、川沿いの寺の本堂へとたどり着く。
人気のない古びた畳の上で、二人はお互いの手を強く握り合った。
「大丈夫です。誰にも、もう離されません」
沙月の声に、柾貴は安心して肩の力を抜いた。
やがて、寺の本堂の静けさの中で、二人はお互いを確かめ合うように身体を重ねた。
コートも帽子も脱ぎ捨て、柾貴は沙月の胸に顔を埋めて、泣きながら何度も「好き」と繰り返した。
沙月は柾貴の涙をそっと舌で拭い、細い指で乱れた前髪を整えた。
「これからは、全部私が守ります。……柾貴様は、私だけを見ていてください」
「うん……ずっと、沙月だけを……」
冷たい畳の上、春の夜の静けさに溶けていく二人の声と熱。
外では風が梢を鳴らし、遠くで犬が吠えていたが、その音さえも遠ざかるほど、二人だけの世界は深く、濃密で、もう誰にも壊せなかった。
夜が明けるころ、柾貴は沙月の腕の中で眠りに落ちた。
ほんのりと東の空が白み始める――
新しい朝と、二人だけの未来が、ゆっくりと動き出そうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
BL団地妻on vacation
夕凪
BL
BL団地妻第二弾。
団地妻の芦屋夫夫が団地を飛び出し、南の島でチョメチョメしてるお話です。
頭を空っぽにして薄目で読むぐらいがちょうどいいお話だと思います。
なんでも許せる人向けです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
魔法使いになりそこなったお話
ruki
BL
男は30歳まで経験がないと、魔法使いになるらしい。そんな話を信じている訳では無いけれど、その魔法使いになれるほど人生に何も起こらなかったオメガの波瑠は突然、魔法使いではなく『親』になってしまった。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる