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第一章
一
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元亨元年(一三二一)冬。
伊吹山の頂に、今年三度目の雪が降った。
先年、四郎は、母方の叔父である佐々木三郎左衛門尉貞宗の後を継いで、佐々木京極氏の家督を継承した。叔父の貞宗の死因は討死だった。嘉元の乱で北条宗方の討手となり戦闘に加わり討死したのだ。享年は十九であった。
四郎は現在、北条得宗家当主の高時の偏諱を受けて佐々木高氏と名乗っている。久し振りに領国の北近江に戻り、広縁に立つ四郎は眼前に広がる伊吹の峰に目をやった。
「間もなく里にも雪が降ります」
鎌倉から四郎に従って来た小姓が言った。
沖野小弥太という十五歳の少年だ。しかしこの時代は、十五歳といえば元服を済ませた立派な男子と見られる。
北近江では、伊吹山に三度雪が降れば、里にも積もると言われていた。
「何故、知っておる」
四郎は少し訝しく思い、首を傾げた。
小姓は近江の生まれではなく、坂東の生まれだった。
「我が祖母が申しておりました」
小弥太の祖母は、北近江の出であった。その名を須磨といい、四郎の母の実家に仕えていた侍女だった。
「然様か、あの須磨が申していたのか」
四郎は合点がいき、微笑を浮かべながら頷いた。
四郎は広縁から広間に入った。広間には左右に分かれ座る重臣(おとな)たちの姿があった。
「年が明ければ俺は都に上る。皆も然様心得よ」
「承知仕った」
重臣(おとな)たちは、若い四郎を半ば軽んじていた。
既に四郎は、朝廷から左衛門尉を受けおり、四郎左衛門尉と称していた。正式な任官は正和三年(一三一四)のことだ。十九歳の時だった。これ以降彼は判官と呼ばれる。
年が明け、元亨二年(一三二二)になると、四郎は手勢を従えて上洛した。と言っても、北近江から都がある山城までは、目と鼻の先の距離しかない。
上洛後間もなくして、二十七歳にして四郎は検非違使となった。
「暫くは都に留まることになる」
鎌倉での生活は、四郎にとってそれほど好くはなかった。彼が仕えていた北条高時という人物はどうしようもないほどの俗物なのだ。
「あれはいかん」
贅肉が付き下膨れした高時の容姿を思い出し、四郎は思わず失笑した。
「内管領長崎入道の傀儡じゃ」
四郎は蔑むように吐き捨てる。
鎌倉幕府を牛耳るのは、今や征夷大将軍でも北条得宗家当主でもない。得宗家に仕える被官の長崎円喜だった。諱を高綱、あるいは盛宗という。
四郎の叔父貞宗が十九歳の若さで討死した嘉元の乱で、内管領の北条宗方が滅びると、彼に代わって高綱がその職に就いた。延慶二年(一三〇九)頃に寄合衆となり同時期に出家し円喜と号した。
鎌倉で四郎は、御相伴衆の一人として北条得宗家当主の高時に仕えていた。それ故、得宗家被官の円喜とも親しい間柄だった。
だが、今は鎌倉を離れ京の都に居る。鎌倉での暮らしを懐かしむことなく、四郎は煌びやかな京での暮らしを満喫していた。
鎌倉は、初代将軍源頼朝が作った武士の都だった。四郎も宇多源氏佐々木一族の武士には違いなかった。しかし、どうしてもあの武骨な鎌倉武士の暮らし振りに馴染めなかったのだ。
佐々木四郎左衛門尉高氏という男は婆沙羅であった。
婆沙羅とはサンスクリット語のバジラから転じた言葉とされている。
中世の美意識の一つで、派手好きで、華美な格好を好み、専ら過差を好み、詰まるところ身分の上下に遠慮をせずに振舞う者たちであった。
ある日、四郎は白地に紅葉を模った派手な直垂を纏い、京極高辻の館を馬に跨って出掛けることにした。
刻限は、巳の刻(午前十時)だった。
「殿、何処に参られる」
重臣(おとな)の一人が尋ねる。五十過ぎの年寄りだ。名を原田仁助という。
四郎は、
「遠掛けじゃ。嵯峨野の方に妖しげな舞を踊る白拍子が現れたそうじゃ。ものは試しじゃちと見て参る」
「ならばお供の者を付けなされ」
そう言うと、仁助は振り返り、京極佐々木家に仕える家人松村嘉兵衛を呼んだ。
主君四郎と違い、この若侍が身に着ける直垂は褐色を基調とした地味な物だった。
「嘉兵衛、殿のお供をしろ」
「心得ました……されど、殿に付いて行くには骨が折れます。実に難儀なことに」
「何を申すか嘉兵衛。殿の御前であるぞ」
「構わぬ、まことのことじゃ。皆、遠掛けで俺の供をすることを嫌っておる」
四郎は満面に笑みを浮かべた。
「殿が馬を駆る姿は、まるで唐土の呂布奉先が如く。とても我らでは敵いません。付いて行くのがやっと」
嘉兵衛は自らを蔑むように言う。
「さあ、行くぞ」
四郎は栗毛の駿馬に跨ると、尻に鞭を入れた。秋の洛中を颯爽と駆けて行く。
館のある京極高辻から嵯峨野までは、直線距離にして二里(約八キロ)ほど離れている。
佐々木高氏のまたの名を、京極高氏という。
佐々木一族は、宇多天皇の皇子敦実親王の流れを汲む。先に述べた通り、宇多源氏である。
宇多天皇の皇子敦実親王の三男雅信王が、臣籍降下して源朝臣の姓を賜り、源雅信を称した。雅信の孫成頼が近江国佐々木庄に土着し、孫の経方が佐々木氏を名乗ったのが始まりだ。源頼朝が平氏打倒のため挙兵すると、定綱、経高、盛綱、高綱の佐々木四兄弟は頼朝の家人として参陣。鎌倉幕府成立後に、功臣として頼朝に仕える。その後、承久の乱で、執権北条義時側に付き、幕府軍として官軍と戦った佐々木信綱が宗家となった。信綱は定綱の四男で、義時の娘婿だった。信綱の三男泰綱が、京の六角東洞院に館を構えたことから、彼の子孫は代々六角氏を称する。この六角氏が佐々木氏の宗家である。一方、四郎の家系は、信綱の四男氏信が京極高辻に館を構えたことから、代々京極氏を称することになった。四郎はその子孫に当たる。
伊吹山の頂に、今年三度目の雪が降った。
先年、四郎は、母方の叔父である佐々木三郎左衛門尉貞宗の後を継いで、佐々木京極氏の家督を継承した。叔父の貞宗の死因は討死だった。嘉元の乱で北条宗方の討手となり戦闘に加わり討死したのだ。享年は十九であった。
四郎は現在、北条得宗家当主の高時の偏諱を受けて佐々木高氏と名乗っている。久し振りに領国の北近江に戻り、広縁に立つ四郎は眼前に広がる伊吹の峰に目をやった。
「間もなく里にも雪が降ります」
鎌倉から四郎に従って来た小姓が言った。
沖野小弥太という十五歳の少年だ。しかしこの時代は、十五歳といえば元服を済ませた立派な男子と見られる。
北近江では、伊吹山に三度雪が降れば、里にも積もると言われていた。
「何故、知っておる」
四郎は少し訝しく思い、首を傾げた。
小姓は近江の生まれではなく、坂東の生まれだった。
「我が祖母が申しておりました」
小弥太の祖母は、北近江の出であった。その名を須磨といい、四郎の母の実家に仕えていた侍女だった。
「然様か、あの須磨が申していたのか」
四郎は合点がいき、微笑を浮かべながら頷いた。
四郎は広縁から広間に入った。広間には左右に分かれ座る重臣(おとな)たちの姿があった。
「年が明ければ俺は都に上る。皆も然様心得よ」
「承知仕った」
重臣(おとな)たちは、若い四郎を半ば軽んじていた。
既に四郎は、朝廷から左衛門尉を受けおり、四郎左衛門尉と称していた。正式な任官は正和三年(一三一四)のことだ。十九歳の時だった。これ以降彼は判官と呼ばれる。
年が明け、元亨二年(一三二二)になると、四郎は手勢を従えて上洛した。と言っても、北近江から都がある山城までは、目と鼻の先の距離しかない。
上洛後間もなくして、二十七歳にして四郎は検非違使となった。
「暫くは都に留まることになる」
鎌倉での生活は、四郎にとってそれほど好くはなかった。彼が仕えていた北条高時という人物はどうしようもないほどの俗物なのだ。
「あれはいかん」
贅肉が付き下膨れした高時の容姿を思い出し、四郎は思わず失笑した。
「内管領長崎入道の傀儡じゃ」
四郎は蔑むように吐き捨てる。
鎌倉幕府を牛耳るのは、今や征夷大将軍でも北条得宗家当主でもない。得宗家に仕える被官の長崎円喜だった。諱を高綱、あるいは盛宗という。
四郎の叔父貞宗が十九歳の若さで討死した嘉元の乱で、内管領の北条宗方が滅びると、彼に代わって高綱がその職に就いた。延慶二年(一三〇九)頃に寄合衆となり同時期に出家し円喜と号した。
鎌倉で四郎は、御相伴衆の一人として北条得宗家当主の高時に仕えていた。それ故、得宗家被官の円喜とも親しい間柄だった。
だが、今は鎌倉を離れ京の都に居る。鎌倉での暮らしを懐かしむことなく、四郎は煌びやかな京での暮らしを満喫していた。
鎌倉は、初代将軍源頼朝が作った武士の都だった。四郎も宇多源氏佐々木一族の武士には違いなかった。しかし、どうしてもあの武骨な鎌倉武士の暮らし振りに馴染めなかったのだ。
佐々木四郎左衛門尉高氏という男は婆沙羅であった。
婆沙羅とはサンスクリット語のバジラから転じた言葉とされている。
中世の美意識の一つで、派手好きで、華美な格好を好み、専ら過差を好み、詰まるところ身分の上下に遠慮をせずに振舞う者たちであった。
ある日、四郎は白地に紅葉を模った派手な直垂を纏い、京極高辻の館を馬に跨って出掛けることにした。
刻限は、巳の刻(午前十時)だった。
「殿、何処に参られる」
重臣(おとな)の一人が尋ねる。五十過ぎの年寄りだ。名を原田仁助という。
四郎は、
「遠掛けじゃ。嵯峨野の方に妖しげな舞を踊る白拍子が現れたそうじゃ。ものは試しじゃちと見て参る」
「ならばお供の者を付けなされ」
そう言うと、仁助は振り返り、京極佐々木家に仕える家人松村嘉兵衛を呼んだ。
主君四郎と違い、この若侍が身に着ける直垂は褐色を基調とした地味な物だった。
「嘉兵衛、殿のお供をしろ」
「心得ました……されど、殿に付いて行くには骨が折れます。実に難儀なことに」
「何を申すか嘉兵衛。殿の御前であるぞ」
「構わぬ、まことのことじゃ。皆、遠掛けで俺の供をすることを嫌っておる」
四郎は満面に笑みを浮かべた。
「殿が馬を駆る姿は、まるで唐土の呂布奉先が如く。とても我らでは敵いません。付いて行くのがやっと」
嘉兵衛は自らを蔑むように言う。
「さあ、行くぞ」
四郎は栗毛の駿馬に跨ると、尻に鞭を入れた。秋の洛中を颯爽と駆けて行く。
館のある京極高辻から嵯峨野までは、直線距離にして二里(約八キロ)ほど離れている。
佐々木高氏のまたの名を、京極高氏という。
佐々木一族は、宇多天皇の皇子敦実親王の流れを汲む。先に述べた通り、宇多源氏である。
宇多天皇の皇子敦実親王の三男雅信王が、臣籍降下して源朝臣の姓を賜り、源雅信を称した。雅信の孫成頼が近江国佐々木庄に土着し、孫の経方が佐々木氏を名乗ったのが始まりだ。源頼朝が平氏打倒のため挙兵すると、定綱、経高、盛綱、高綱の佐々木四兄弟は頼朝の家人として参陣。鎌倉幕府成立後に、功臣として頼朝に仕える。その後、承久の乱で、執権北条義時側に付き、幕府軍として官軍と戦った佐々木信綱が宗家となった。信綱は定綱の四男で、義時の娘婿だった。信綱の三男泰綱が、京の六角東洞院に館を構えたことから、彼の子孫は代々六角氏を称する。この六角氏が佐々木氏の宗家である。一方、四郎の家系は、信綱の四男氏信が京極高辻に館を構えたことから、代々京極氏を称することになった。四郎はその子孫に当たる。
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