霍公鳥の巣

西村重紀

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二 上意討ち

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 十二月中旬。
 父次郎右衛門の死から数ヶ月が過ぎ、朝晩の冷え込みも一段と厳しさを増した。
 藤岡数馬は、亡き父の喪が明けるのを待っていたかのように、上役三枝軍乃進に呼び出された。
 妻千代美の兄慎之介と、三枝の娘雪路は、来年六月、藩主の国入りに合わせ、広島城下にて祝言を挙げることになっている。
 江戸時代には、例え武士同士であっても、身分の枠を超えて婚姻関係を結ぶことは許されていない。如何に藩主の下命とは云え、中士である三枝家と下士出身の日比家が縁を結ぶ今回の場合は、異例中の異例であった。この良縁によって、藤岡家と三枝家も、他ならぬ関係となるわけだ。
 以前は、これを機に、出世の糸口を掴み取り、己が身を立ててみたいと云う些か邪な下心を抱いていた数馬ではあったが、それもこれも皆凡て父の死によって潰えてしまった。
 公儀隠密、裏柳生の忍草と云う己の素性が、公の知るところとなり、日比家並びに三枝家などの縁者に類が及ぶことは、是が非でも避けねばならぬ。
 ――三枝殿は、この俺に如何なる御用があると云うのだ? もしや、俺の素性が知れたのではあるまいな。いや、それはまず以ってない。父の遺言と、あの女の忠告を守り、心ならずも努めて穏やかに過ごしてきたではないか。
 そんなことをあれこれと考えながらも、数馬は知らず知らずのうちに、三枝の屋敷の前に辿り着いていた。
 広島藩の大目付の要職にある三枝は、禄高四百石の中士として堀内に屋敷を構えている。
 辺りに並ぶ武家屋敷も、皆中士のものだけあって立派な長屋門と漆喰で塗り固められた白い塀に囲まれ、流石に数馬のような下士が住まう粗末な組長屋などは、全く以って比較にならない。
「それがし、お目付三枝殿配下の藤岡数馬でござる。お召しにより参上仕った。お取次ぎ願いたい」
 門前の中間に告げた。
「承知致し申した。暫しこの場にてお待ち下さりませ」
 中間が、屋敷内に入って暫くすると、侍らしき別の男が出てきた。
 三枝家の若党、禄高三両二分の雇い侍青木幹之助だ。
 数馬とは、気心の知れた仲である。
 先の山本喜平次と、この幹之助、そして数馬の三人が、宍戸道場の三傑と謳われる広島藩屈指の剣の達人であった。
 普段は、二人してお互いを、
「幹之助」
「数馬」
 と呼び合っていた。
 だが、この日は公の場と云うこともあり、喜之助は、
「藤岡殿、主より伺うておりまする。奥の座敷へ案内致しまする故、ささぁ、中へお入り下され」
 と言葉使いを改めた。
 喜之助は、浅野家から見れば、陪臣と云う身分だ。
「止めてくれぬか、藤岡殿と呼ぶのは。俺とお主の仲ではないか、いつものように数馬でよい」
「ならば言葉に甘えて、この場にても数馬と呼ばして頂くぞ。よいか」
「ああ、構わん……、ところで幹之助、三枝殿のご用とは、如何なるものであろうか。お主、何か存じておろう?」
 数馬は、胸中にある疑問を思い切って友人に問うてみた。
「いや、俺は全く存ぜぬが……」
「そうか……」
 数馬は、舌の先で奥歯を舐めた。
「そう云えば数馬、近頃のお主、元気がないな。道場の稽古でも張合いがない、あれではまるで案山子ではないか、と喜平次も案じていたぞ。この俺でよければ聞いてやるが」
 如何に気を許した仲であっても、自分の素性が、公儀隠密、裏柳生の忍草であると云うことなど、喋るわけにはいかない。
 このことを踏まえた上で、数馬は、
「いや、別に……、それと云って……」
 と口籠り、適当にその場を誤魔化した。
「お主のその口調、亡くなられた親父殿に似てきたな」
「そうか、似ておるか」
 数馬は苦笑した。
 ――似て当然だ。俺は、父の如く……、いや、よそう、愚痴を溢したところで、誰かに聞かせるわけでもない。
 式台に上がると、作法に則り、幹之助は数馬の刀を預かった。
 数馬は、隅々まで手入れの行き届いた幽邃な庭園に面した客間の隣控えの間へ通され、そこで三枝を待った
 広々とした空間に一人取り残され、落ち着かない様子で視線を変えては、辺りをキョロキョロと見回していた。無理もない、彼が住まう四畳半二間の組長屋が丸ごと入ってしまうほどの大きさだ。
「間もなく、主が参りまする故、ささあ、奥へ」
 再び幹之助が現れ、数馬を客間へと招いた。
 幹之助は、先ほど預かった数馬の刀を、彼の背後に左手側へ柄がくるように置き、その場を立ち去った。
 数馬は、刀を自分の右側に置き直した。
 床の間には、多分、名のある絵師が描いたと思われる掛け軸と、これまた高価な花器が置かれていた。部屋と部屋を仕切る襖絵一つとってみても、見事な水墨画であった。
 ――ふん、俺はこのような小汚い身形で、何と場違いなところへ来てしまったのだ。
 数馬は、改めて身分の違いを痛感した。
 そこへ三枝が現れて、上座に着いた。
「藤岡数馬、お召しにより参上仕りました」
 数馬は、扇子を前に置き、三枝に恭しく額ずく。
「そう畏まるな。まずは、お悔やみ申そう。お父上次郎右衛門殿のこと、実に残念であったな、さぞや気を落としたであろう。何か困ったことあれば、遠慮のう、儂に申すがよい、力を貸そうぞ」
「分に過ぎたお言葉頂戴致しまして、亡き父と喪主を務めました兄になり代わり、厚く御礼申し上げまする」
 数馬は再び深々と頭を下げた。
「これこれ、先も申した通りそう畏まるな。儂とその方は、最早赤の他人ではない。来春には、我が娘雪路が、その方の義兄日比慎之介の許へ嫁ぐのだからのう。我が三枝の家と藤岡の家が、釣り合いがとれるよう折りを見て、この儂から藩のご重役の方々へ申し上げておこう。さもすれば、何れご主君のお耳に届き、慎之介の如くご加増あるかも知れぬ」
「か、斯様なご配慮、身に余る次第にて……」
「うん、どうした。中士では不服か?」
「いえ、滅相もござりませぬ」
「さて、そろそろ本題に入ると致すか。本日、その方を召し出したるは、他でもない。その方、草と云う言葉を存じておるか?」
 思いもよらぬ三枝の問い掛けに、数馬は思わず顔を強張らせた。
 ――知らぬとは申せぬ。この俺が、その草、公儀の隠密ではないか……。
「存じておりまする。草とは、公儀の隠密を指す隠語でござりましょう。して、その草が如何致しましたのでござりまするか?」
「うん、実はのう、我が手の者の調べでは、この芸州広島浅野家中にも、その隠密が紛れ込んでおることが判明した。勝手方吟味役足軽頭の秋山文六郎右衛門尉じゃ……、その方に、彼奴めを斬ってもらいたい。本来ならば、文六めの素性知れた折りに斬るべきであったが、何分、その方は次郎右衛門殿の喪中故、憚っておった」
「秋山殿が、公儀の隠密……」
 ――この俺と同じ裏柳生の草だと!?
 数馬は驚嘆した。
「左様、半月ほど前、当屋敷に投げ文があってのう、足軽頭の秋山文六郎右衛門尉は公儀の隠密、と書かれてあった。まさか彼奴めが公儀の犬であったとはのお。儂も迂闊であったわい。さらに文には、秋山文六は柳生新陰流の使い手、それもかなりの腕と付け加えられておった。しかるに、浅野家中に於いて彼奴と互角に渉り合える者は、その方を於いて他におらぬ……」
 三枝は愚痴るように語った。
「源乃丞殿も斬らねばならぬのでごさりましょうか……」
「おおう、そう云えば確か彼奴の倅は、その方の門下であったな……。まあ、致し方あるまい。ご定法に従い、六親眷属悉く始末せねばならぬ」
 家禄二百五十石の中士、勝手方吟味役足軽頭秋山文六郎右衛門尉の子息源乃丞は、この年数えにして十二歳、数馬にとって弟のような存在だった。
 ――せめて源乃丞殿だけでも救ってやりたい。
 そんな数馬の胸中を察した三枝は、徐に立ち上がり、庭へ向かって歩き出した。
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