白冥霜花

紫雲丹

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懐誓月

第九十五話


第九十五話


 霍舟晟が放った幾千の矢が、光の奔流となって空を覆い逃げ場を焼き尽くしていく。忌狐青は頭上に傘のような鬼気を張り巡らせて矢を防いだが、その直後には秋霖の槍と夜玉牙の鞭が、ほぼ同時に襲いかかった。

「……厄介な」

 ぼやいた声と共に、忌狐青の鬼気が一気に膨れ上がった。青い炎の奔流に飲まれそうになった秋霖と夜玉牙は、とっさに後退し、距離を取る。

 たとえ鬼王の力を宿す分身であっても、忌狐青にとって三人の天吏を同時に相手取るのは容易ではなかった。忌狐青の分身は、地獄にある本体と術で繋がっており、必要に応じて本体から力を送り込むことができる。それは、魂を別ち意識だけを共有する白冥と虓屠のような分身とは、構造が異なっていた。

 夜玉牙は鞭をしならせて舌打ちすると、連携を取るつもりで秋霖の方へと視線を向けた。
 しかしなぜか、隣にいたはずの秋霖の気配が消えている。違和感を覚えた夜玉牙は、周囲に視線を彷徨わせた。すると、霧の向こうに一つの影が浮かび上がる。梔子色の武人装束を纏った背中には見覚えがある。

「霍舟晟!? なぜお前が前に出ている……!」

 叫びながら肩を掴もうとしたが、霍舟晟はその手をすり抜けるようにかわし、止まることなく前へ進んでいった。その瞬間、霧が晴れ、景色が一変する。

「?!……これは……!」

 目の前に広がる見慣れぬ光景に、夜玉牙は目を見開きながらあたりを見回した。

 一方、霍舟晟の視界からも、秋霖と忌狐青の姿が霧に飲まれて溶けていく。そしてその霧の中から今度は夜玉牙の姿が現れた。
 だが、その装いは天吏の鴉衣とは少し異なっている。夜玉牙はまっすぐ前を見据え、霍舟晟の脇をすれ違っていった。霍舟晟はハッとしてその背中を振り返り、黙って見送った。

 彼はすでに、これが幻覚の中なのだと理解していた。

「《迷塵籠鳥めいじんろうちょう!》」

 忌狐青の張り巡らせた反転結界が完成し、術が発動する。結界の霧は精神を蝕む毒となり、心に隙のある者の魂へと深く浸透していく。
 
 術に囚われた霍舟晟と夜玉牙は、御風術の制御を失い、身体がふわりと沈むように、空から落ちていった。

「霍兄君!! 夜玉牙殿!!」

 秋霖は即座に霊気で氷の柱を生み出し、二人を受け止める。そして彼らを氷の繭で包み、外界との干渉を断とうとした。洛漓の薬幽堂で忌狐青の術に囚われた時と同じように、下手に触れれば今度は秋霖自身が術に引きずり込まれかねない。

「ははははハハハ! 捕えたぞ、捕えたぞ二羽の鳥だ」

 忌狐青は愉快そうに高笑いを上げながら、手のひらに揺れる青い鬼火を弄ぶ。
“迷塵籠鳥”に囚われた者は、もはや自力で目覚めることはできない。術者を倒すか、外部からの助けがなければ、その魂はずっと幻の中を彷徨い続ける。

 この術から秋霖を救ったことのある虓屠は、今この場にはいない。
 秋霖は、あのとき彼がどうやって術から解放してくれたのかを知らないままだ。血を与えたのは確かだが、それが直接的な解除の手段だったとは思えない。
 思考を巡らせる秋霖に対し、忌狐青は夜玉牙と霍舟晟に一瞥をくれると、視線を前に戻してからニヤリと嗤った。

「フフフふふ……からすはやぶさか」

 囁くような声と共に、青い鬼火が秋霖たちの周囲をぐるりと取り囲み、ゆっくりと円陣を描く。

「まとめて閉じ込めておこう」

 それは、かつて蘭一蓮を捕らえたときと同じ結界封印の檻を形成する術だ。秋霖はすかさず霊気を纏い、囚われる前に忌狐青を止めようと駆け出した。

 忌狐青が放つ青火を、秋霖は身を翻して避けながら距離を詰めていく。忌狐青だけを倒すと定めていれば、心に迷いなど生まれない。同じ術に二度も囚われるはずがないと己に言い聞かせ、秋霖は槍を構え直す。

「霜雷断邪──!」

 槍が放たれ、白い光が閃く。しかし、忌狐青の青い炎がそれを受け止め、弾き返した。炎が渦を巻き、忌狐青が片手を振り上げると鬼気の波が爆ぜて秋霖の体を激しく突き飛ばした。
 衝撃が体に響き、空気が裂ける音と共に秋霖は後方へと吹き飛ばされていく。その威力は、古谷村ここくそんで相まみえた時とは比べものにならない。

「軽い、軽いぞ天吏よ」
「っ……!」

 空中で体勢を立て直し、秋霖はすぐに距離を取った。
 探していた敵が自ら姿を現したのは、探す手間が省けたという点では幸運かもしれない。しかし状況は、あまりにも不利だった。踏み込みすぎれば術に囚われた霍舟晟と夜玉牙を庇うことができなくなる。その判断が、彼の動きをほんのわずかに鈍らてしまう。 
 自分を含めた三人の天吏の魂、そして銀章までもが忌狐青の手に渡れば、奴の目的のために利用され大きな災いとなるのは明白だった。

──だが、その目的とは何だ。

 祓魔剣――天吏の宝仗は、鬼を祓う破邪の力を宿す。つまり、忌狐青がそれを求めるのは"宝仗でなければ斬れぬ何か"を斬ろうとしているからだ。それは、いったい何なのか。
鬼が扱えぬはずの宝仗を、人魂を奪いて用い、その力を歪に積み上げてまで「天霄破邪」を変質させようとする理由は何だ。

『仮に扱えるようになったとして、忌狐青は何をする気だ? まさか鬼でも祓うつもりか? 最強の魔剣を作るにしても、他にやりようはいくらでもあるだろうに』

 かつて虓屠が言った言葉が、秋霖の脳裏をかすめる。
 宝仗はただの武器ではない。魂を砕く力を持つ。それは鬼だけでなく、天吏すらも斬ることができる。否、天吏を滅ぼすだけなら、そもそも宝仗など必要ない。
 忌狐青が造ろうとしているのは、魔剣でも神剣でもない。それよりも、はるかに根源的な何かを砕くための力である。

「……忌狐青、お前の狙いは天帝か」

 その問いに、忌狐青は秋霖を見据え、ゆっくりと目を細めた。そしてしばしの沈黙の後、鼻先で嗤う。

「……何を分かりきったことを」


 
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