白冥霜花

紫雲丹

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懐誓月

第九十七話


 第九十七話


 南玉と貴蘭は雲滙江を隔てて向かい合っており、国境に位置する滙川城は霍舟晟が常駐する要塞だった。そのすぐ近くに、様々な事情で行き場を失った南玉の人々が身を潜める小さな村があった。
 寧国との長い戦乱に取り残された者、戦場から逃げ出した者、奴婢として連れて来られた者や、寧国人との間に生まれた子どもたち。難民たちの境遇は多種多様だ。

 霍舟晟は、そうした者たちの存在を黙って庇護していた。

 寂れた貧しい村で、人々は懸命に暮らしている。玉族の証である玉飾りさえなければ、外見だけでは寧国人と区別がつかない。こうした村が存在することを、夜玉牙も生前に耳にしていた。だが滙川城に近すぎるため、難民たちを救い出す手立てはなかった。まして、その村を守っていたのが他ならぬ霍舟晟だった事は、彼にとって初めて知る事実だった。 

 (馬鹿な、偽りに決まっている……!)

 夜玉牙は視線を彷徨わせ、立ち尽くしたまま唇を噛んだ。数人の配下を従えた霍舟晟が姿を現すと、村人たちは藁にも縋る思いで列を作って彼の前に並ぶ。
 霍舟晟は、自らが受け取った褒賞を穀物に換え、時折この村で配給を行っていたのだ。

「霍将軍!霍将軍だ!」
「将軍!また弓を教えてよ!」

 子どもたちが無邪気に霍舟晟を取り囲む。彼は微笑んで約束をし、穀物を村人たちに分け与えた。

「霍将軍……ありがとうございます……」
「感謝いたします……」

 口々に礼を述べる村人たちに、霍舟晟は控えめに答えた。

「礼には及ばないよ。僕は……少しでも自分にできることをしたいだけなんだ」

 貧しい出自ゆえに、彼は虐げられてきた者たちの痛みを人一倍理解していた。将軍として武勲と地位を得た今も、その心は、狩りで飢えをしのいでいた貧しい日々に取り残されたままだった。 
 配下の一人が、去ってゆく村人たちを見送りながら、戸惑いを滲ませて霍舟晟に囁いた。

「霍将軍、あまり彼らに関わりすぎると目をつけられるのではありませんか……」

 彼は表情を変えず、穏やかに答えた。

「偽善だと嗤われても良い。それに僕のような者は、持ちすぎると余計な恨みや嫉みを向けられる。この褒美は……」

 言葉はそこで途切れたが、意図は滲んでいる。自分のためではなく、彼らのために、新しい命に還元されるべきだという意味だ。夜玉牙は、霍舟晟の言おうとしたところを察した。

(お前が……)

 本当にこの男が匿っていたのか。
 夜玉牙は拳を固く握る。いくら慈善を施そうとも、軍人として数多の南玉の民を手にかけた事実は消えない。彼の胸に怒りと苛立ちが渦巻いていく。

 その時、霍舟晟の前に、一人の男が姿を現した。

 黒い頭巾を深くかぶり、口元を布で覆った不審な人物だったが、霍舟晟は男の姿を確認すると、わずかに頷いて配下をその場に残し、二人だけで村のはずれへと歩いていく。
 夜玉牙も、引力に導かれるようにそのあとを追った。

 二人が川縁に立つと、不審な男は周囲を素早く見渡し、誰もいないことを確かめてから静かに頭巾を外した。

(……なッ?!……ルォメン?!)

 その風貌を見た瞬間、夜玉牙の瞳が見開かれる。
 ルォメン――それはかつて、自らが率いた反乱軍の幹部にして、最も信頼していた腹心だった男だ。
 夜玉牙が南玉の軍を離れて反乱軍を立ち上げた時、最初に従ったのが彼である。そのルォメンが、霍舟晟と敵対するどころか、まるで以前からの知り合いかのように顔を合わせている。

(どうしてお前が……。まさか……)

 夜玉牙の中に一つの答えが浮かび上がる。彼こそが、裏切り者だったのだと。

 この村に暮らす者たちは、両国から見捨てられた難民だ。力もなく、どこにも帰る場所がない。だからこそ、この場所は密談を交わすには都合が良い。それ故に洸貴王もその存在を黙認していた。

「霍舟晟殿……」

 ルォメンが低く声を落とすと、懐から一通の密書を取り出した。霍舟晟はそれを受け取り、慎重に封を解く。夜玉牙は息を潜めて背後から覗き込み、そこに押された玉璽を見て言葉を失った。

 確かにそれは、彼の父であり玉族の王である玉紳王ぎょくしんおうの印だ。

「貴方が玉族との融和を目指しておられることを、玉紳王もご存知です。だからこそ……貴方に託したいと仰せです」

 ルォメンの声音は微かに震えていた。夜玉牙は混乱のあまり、目の前の光景を否定するように頭を振る。
 ルォメンはもともと、玉族の王家から送り込まれた間者であり、霍舟晟へ玉紳王の意向を伝えるための密使だった。

 この時にはもう、玉紳王は息子を差し出す決断をしていたのだ。

「玉紳王は……ついに御心を決められたのですね」
「……はい……」

 霍舟晟は書状を見つめ、息を深く吐いた。
 そこには、洸貴王への正式な書簡として玉紳王の印とともに、夜玉牙が次の反乱を起こす計画も記されている。滙川城に駐屯する霍舟晟の軍は、その日が来るまでに戦の準備を整えることができるという段取りだ。

『夜玉牙』とは、貴蘭側が中原の言葉で呼んだ名だった。彼が率いる海賊船団は、月のない闇夜に紛れて川を下り、奇襲を繰り返す。その戦略によって、貴蘭の軍は何度も敗走した。
 霍舟晟の矢すら、月明かりのない夜には“夜の獣”を捕らえることができなかった。
 しかし、夜玉牙の動きを事前に掴めるのならば──。

「霍舟晟殿……貴方に……夜玉牙様を討っていただきたいのです。そうすれば、この戦は終わります……」

 ルォメンの声は、だんだんと小さくなっていく。その瞳の奥には、後悔とも覚悟ともつかぬ影が宿っていた。霍舟晟はしばし無言で彼を見つめ、やがて決心したように丁寧に頭を下げた。

「この霍舟晟が承りました。密書と共に、必ず洸貴王へお伝えいたします」

 夜玉牙は、強く握り締めていた拳をゆっくりと開いた。自らの過去と、霍舟晟の記憶が、忌まわしい幻影の中で重なっていく。幻だと分かっていても、胸の奥を焼くような痛みが広がっていく。

 (これこそが、忌狐青の狙いか──)

 
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