白冥霜花

紫雲丹

文字の大きさ
118 / 123
懐誓月

第九十九話

第九十九話



 雲滙江の戦いの幕開けは、中元節を過ぎた、月のない夜だった。
 夜玉牙の率いる三十隻の海賊船は、滙川城の奪取を目指して静かに川を下っていた。

 滙川城が遠目に見えてくると、夜玉牙たちは船上の明かりをすべて消した。やがて甲高い玉笛の音が響きわたり、隊列の船から共鳴のように次々と笛の音が返る。合図に合わせ、反乱軍の乗組員たちは一斉に煙火筒から火薬玉を放った。

 それは城塞を粉砕するほどの威力はない。改良された花火のようなもので、破裂すれば大量の煙をあげ、城壁の兵士たちの視界を覆い尽くす。煙のせいで兵たちは咳き込み、次々と城壁から降りていった。

 その煙は、霍舟晟の率いる弓兵部隊の射線を乱すために反乱軍が開発したものだ。
 夜玉牙たちは火薬の弾ける音を頼りに要塞までの距離を見定め、船を少しずつ進める。夜間行軍を可能にしているのは、鍛え上げられた操船技術と音による連携だ。
 異なる音色の玉笛を巧みに響かせて、船団は一斉に移動する。その音は戦術というより、一つの合奏のようでもあった。玉族の伝統的な演奏をそのまま戦術へと組み込んだのだ。

 この音が響けば、夜玉牙が来るという合図になる。音を聞きつけた貴蘭軍が慌てふためく様を、反乱軍は幾度となく目にしてきた。
 しかし今夜は、どうやら様子が異なる。滙川城を見据えていた夜玉牙は眉を寄せた。襲来の混乱はあるにせよ、兵の動きにどうにも統率が感じられない。

「……何かおかしい、敵の兵士が少なすぎるぞ」

 夜玉牙は操舵を担う者へ指示を送ると、船を停めさせた。武具を携えた突撃部隊は夜玉牙と城壁を交互に見やり、ささやくように声を潜める。

「お頭、どうしますか……?」
「……風向きが変われば煙が流れる。二手に分かれて上陸させるぞ」

 夜の川面に、緊張が波紋のように広がっていく。その時だった。川の両岸に連なる山の上が、突如として明かりを灯し始めた。

「!?」

 夜玉牙をはじめ、玉族の反乱軍は一斉に顔を上げる。闇の中で灯された無数の光の正体は、山に潜んでいた霍舟晟率いる滙川城の本部隊が、一斉に掲げた松明だった。
 山々に並ぶ火の列が水面を照らし出し、反乱軍の船団の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。白煙が流れ、次第に川沿いの光景が露わになった。
 川を挟む両岸には、数万の弓兵たちが整然と並び、張り詰めた弓の先を一斉に船へと向けていた。

「貴蘭軍か?!」

 夜玉牙の叫びに、反乱軍の間でざわめきが走る。この地形では、両岸を取られれば逃げ場はない。
 切り立った険しい山に移動して陣を構えるなど、たった数時間でできるはずもない。つまり、前もって夜玉牙の襲撃を想定していない限り、不可能な布陣だ。

「くそ……気づかれていたのか!?」

 夜玉牙は歯を食いしばり、即座に指示を飛ばした。

「上陸して滙川城に突撃するぞ!罠があろうが、船の上で焼かれるよりマシだ!指示を伝えろ!」

 その声を合図に、鋭い玉笛の音が夜空をつんざく。
 緊迫した音色が反乱軍の間を駆け抜けた刹那、夜玉牙の乗る船の帆柱に、一本の矢が突き刺さった。

「お頭!……手紙が……」

 乗組員のひとりが矢を抜き取り、慌てて差し出す。夜玉牙はそれを奪うように掴み取り、矢文を広げた。

 突如と風向きが変わり、月を覆っていた雲が流されていく。静かな白光が川面を照らし、美しくも残酷な月明かりが、夜玉牙の手元の文を淡く照らし出した。





「霍将軍、月が出てきました。天は我らの味方ですね」

 霍舟晟は部下の言葉を傍らで聞きながら、今し方放った弓を静かに下ろす。もし本気で仕留めるつもりなら、手紙など送らずにとっくに攻撃命令を下していたはずだった。

『夜玉牙さえ引き渡せば、攻撃を止め、反乱軍は見逃す』という文面。あれは洸貴王の名を借りた、いわば最終勧告だ。
 結束の固い彼らが従うはずもないことなど、初めから分かっていたが、少しでも犠牲を減らしたかった。もはやあの矢文は、敵のためではなく、自分のために放ったものだ。

「将軍……ご命令を」

 低く控える声に、霍舟晟は目を細めて川面を見据えた。夜玉牙の率いる船団が、なおも滙川城へと進み続けている。降伏の気配がないことは予想通りだ。無論、滙川城を空にしてきたわけではない。

 ──この戦いで最後なんだ。これで終わらせなければならない。

 玉族の反乱の象徴を、英雄を討つこと。
 それは圧倒的な力で押さえつける事でもたらされる平和だ。これが洸貴王の望みなのだ。

(黄将軍……僕は、あなたの教えを守ることができそうにありません)

 彼が片手を挙げると、多くの火矢が夜玉牙の船に向かって放たれた。
 その無数の矢は炎を纏いながら月光を浴びて煌めき、やがて金の雨のごとく船団に向かって降り注いだ。



 *



「急げ!!! 飛び込め!!!」

 夜玉牙の怒号と同時に、反乱軍の兵たちは次々と川へ身を投げた。火矢が船に積まれた火薬へと着弾し、爆ぜる音とともに炎が一気に燃え広がる。爆風が吹き荒れ、燃え上がる船体が次々と傾き、逃げ場を失った兵が一人、また一人と矢を受け、水面に浮かんでは沈んでいった。
 やがて、玉族の船団は黒煙を吐きながらすべて紅蓮の川の中に飲まれて消えていった。

 生き残った者たちは、必死に岸を目指す。水面を掻き分け、岸へと辿り着いた夜玉牙は前だけを見つめて叫んだ。

「オレに続け!」

 その声に応じ、仲間たちが泥と灰にまみれながら滙川城を目指す。城壁の目前まで辿り着くと、夜玉牙は鞭を握りしめ、勢いよく振るった。縄のように伸びた鞭が城壁の石に絡みつき、素早く壁をよじ登る。続いてルォメンや反乱軍の者たちも鉤縄を投げ、次々と登攀していく。

 城壁の上では激しい乱戦が繰り広げられた。敵兵を倒しながら城門へと進む夜玉牙たちだったが、霍舟晟が城内に潜ませていた増援部隊が続々と現れ、彼らの進路を塞ぐように四方から包囲を敷いていく。
 逃げ場を失った夜玉牙は、そこで初めて、一瞬だけ背後を振り返った。仲間たちの顔、血に濡れた玉飾り、息を荒げながらも戦う眼。自らの命を差し出せば、彼らを助けられるかもしれない。だが、それは仲間の誇りを踏みにじる行為である。進んで命を捨てる事は即ち、戦士にとって服従を意味するのだ。

「何人でもかかってくるがいい!!」

 夜玉牙の鞭が獰猛な蛇のように唸りを上げ、貴蘭軍の兵士たちを弾き飛ばす。その勢いで鎧が砕け、血煙が舞う。

「近づくな! 霍将軍の弓兵部隊が戻られるまで、時間を稼げ!」

 槍と盾を構えた貴蘭軍がじりじりと迫っていく。夜玉牙の背後で剣を構えていたルォメンが、そっと声を落として囁いた。

「夜玉牙様……撤退しましょう。近くの村に立て籠もり、一度体勢を立て直すのです。人質を取れば、幾らか時間は稼げましょう」
「……撤退だと……!!」
「これ以上、同胞を失うよりも……賢明です……!」
「……!」

 夜玉牙は唇を噛み、迷いを押し殺すように息を吐いた。

「なら、お前が引き連れて先に行け! オレは少しでも時間を稼ぐ」
「……ですが、それは……ッ」

 ルォメンは言葉を失い、動けなかった。
 霍舟晟に情報を漏らし、計画を伝えたのは他の誰でもなくこの自分だ。夜玉牙が討たれれば、反乱軍は烏合の衆となり、玉族の脅威は消える。その条件のもとに、霍舟晟は生き残りを見逃す約束をしていた。
 夜玉牙の父である玉紳王に忠誠を誓い、王の願いを聞き届ける道を選んできた。夜玉牙を犠牲にするという苦渋の決断をした。はずだった。それなのに今になってまた迷っている。夜玉牙の死が現実に迫ると、自分の選択が間違いだったのかと思わずにはいられない。

 そうしている間に、滙川城の城門が重々しく開く音が響いた。

「霍舟晟……ッ!」

 夜玉牙の叫びに、ルォメンもはっと顔を上げる。馬に跨った霍舟晟が、弓兵を率いて戻ってきたのだ。
 月光を背に、霍舟晟は城郭の上へと駆け上がる。その眼差しは、城壁に追い詰められた夜玉牙たちを見下ろしていた。
感想 1

あなたにおすすめの小説

上司と俺のSM関係

雫@23日更新予定
BL
タイトルの通りです。読む前に注意!誤字脱字あり。受けが外面は一人称私ですが、砕けると僕になります。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科 空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する 高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体 それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった 至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する 意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク” 消える教師 山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

ヤンキーDKの献身

ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。 ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。 性描写があるものには、タイトルに★をつけています。 行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。

【完結】兄さん、✕✕✕✕✕✕✕✕

亜依流.@.@
BL
「兄さん、会いたかった」 夏樹にとって、義弟の蓮は不気味だった。 6年間の空白を経て再開する2人。突如始まった同棲性活と共に、夏樹の「いつも通り」は狂い始め·····。 過去の回想と現在を行き来します。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。