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懐誓月
第百話
第百話
霍舟晟の立つ城郭からは、夜玉牙たちの姿がかろうじて見えたが、彼らの声は届かない。だが、霍舟晟にはそれで十分だった。むしろ、聞こえない方が良かった。
彼はゆっくりと弓を構えた。その動作を合図に、弓兵たちが一斉に弦を引き絞る。張り詰めた空気の中で、矢の先が月光を受けて鈍く反射する。
ルォメンはそれを見て即座に動き、夜玉牙の肩を押した。
「私が時間を稼ぎます!お逃げください!」
「ルォメン!?」
放たれた矢の群れが唸りを上げて飛来する。鋭い風切り音がうねりをあげて押し寄せる。夜玉牙めがけて真っ直ぐに飛んできた矢を、ルォメンが剣で弾き落とす。金属がぶつかる音が火花を散らすように響いた。
「早く!!」
夜玉牙を庇うその姿に、霍舟晟は眉をひそめた。だが動揺を胸の奥に押し込み、すぐに次の矢をつがえる。
夜玉牙は撤退の号令を叫んだが、仲間たちは次々と矢の雨の中に倒れていく。その混乱の只中で、ひときわ小柄な影が炎の煙の向こうから駆けてきた。
「ルォメン!!!」
少年の叫び声がこだまする。夜玉牙はその顔を見て息を呑んだ。振り返ったルォメンの向こうに、剣を握る少年の姿があった。
「トゥンカン!!? お前……!!?」
本部に残してきたはずのトゥンカンが、いつの間にか船に乗り込み、反乱軍に紛れて戦っていたのだ。
夜玉牙は彼を抱きかかえるように庇い、走り出す。その背を見届けたルォメンの身体に矢が突き刺さった。
「私のせいです……申し訳ありません、テユーヤ様……私には覚悟が足りなかった……」
弱々しい声が届き、夜玉牙が一度だけ振り返った時にはルォメンは床に膝をついていた。
「ルォメン……! ルォメン!!」
トゥンカンの泣き叫ぶ声を聞きながら、夜玉牙は彼を抱えたまま城壁を飛び降りる。気づけば、仲間たちは誰一人としてついてきていない。彼らは"唯一の希望"を逃がすために奮闘し、燃え尽きていた。
「おのれッ……霍舟晟ッ!!!」
夜玉牙の怒号が響き渡る。外へと降り立った二人だったが、滙川城の外にも弓兵の包囲が待ち構えていた。絶望的な数の差である。
例え今夜の奇襲が成功し、滙川城を落とし、貴蘭と再び交渉の席につけたとしても結局、南玉は小国だ。寧国が本腰を入れて攻め込んでくれば勝ち目はないのだ。
少数ながらも精鋭達を集め、戦術と知恵を駆使し、ここまで抗ってきた。その結束と努力は、夜玉牙自身が最も誇りに思うものだった。しかし、戦いを続けるには、あまりにも多くのものが足りなかった。
霍舟晟は城郭を降り、静かに城壁の上へと歩みを進める。足元に横たわるルォメンの亡骸を通り過ぎた先で、城下を見下ろした。
月光から逃げるように闇の中に紛れ、黒い外套の中で少年を抱いた夜玉牙の姿が見えた。
「子どもを傷つけては駄目だ。私がやる」
霍舟晟は隣にいた部下に低く告げ、弓を構えた。三本の矢を取り出してつがえ、一気に放つ。放たれた矢は凄まじい速さで飛び、二本は夜玉牙の鞭で弾かれたが、残りが肩を貫いた。
「ぐっ……!」
血が夜風に散る。夜玉牙は苦痛に顔を歪めながらも鞭を振り、包囲の一角を強引に打ち破ると、トゥンカンを抱えて川岸へ走り、そのまま雲滙江の闇へと身を投げる。
その勢いでトゥンカンは一度水中に沈んだが、すぐに夜玉牙に引っ張られ、流されてきていた船の残骸に押し上げられた。
「お頭!!!」
トゥンカンが振り向いた直後、目に映ったのは霍舟晟が次々と放つ矢に貫かれていく夜玉牙の姿だった。
「お頭ぁぁあぁぁ!!!」
「……ッ、トゥンカン……、お前は……、負けるな……」
血を流しながら、夜玉牙は残る力を振り絞って板を押し出した。流れがトゥンカンを下流へと運んでいく。急所を貫かれた夜玉牙の体は、力尽きて浅瀬に崩れ落ちた。
岸辺で再び弓を構えた部下達に霍舟晟が声を張り上げた。
「やめるんだ!子どもは殺すな。逃がしてやりなさい」
「しかし……」
「いいんだ、もう……終わったんだ」
滙川城の周囲に、再び静けさが戻っていた。燃え尽きた幾つもの船の残骸が、時折軋む音を立てて濁流に吸い込まれていく。
浅瀬に伏した夜玉牙の体を兵たちが取り囲み、陸へと引き上げる。かろうじてまだ息はあったが、すぐにその命は絶たれた。
それを見届けた霍舟晟は一瞬だけ目を伏せ、背を向けた。
「……彼の遺体は玉紳王にお返しする。首は取らない。代わりに……髪を一房、切り取ってくれ。急ぎ洸貴王に届けるんだ」
「はっ」
兵士の一人が頷き、玉飾りのついた夜玉牙の髪を一房、静かに切り取った。
*
「霍将軍はどうして将軍になったの?」
難民の村で、子ども達に弓を教えていた霍舟晟は、その問いに頬をわずかに緩めた。
雲滙江の戦いからおよそ一ヶ月。寧国と南玉は正式に和平を結び、南玉には新たな総督府が置かれた。滙川城でも難民の受け入れが少しずつ始まり、この村もいずれ解体されていくだろう。
霍舟晟は弓を構える子ども達を見渡し、その無邪気な表情を心に刻むように眺めた後、のどかな青空へと視線を向けた。
「僕にはね、恩師がいたんだ。その人が僕を将軍にしてくれたんだよ」
「霍将軍の先生?」
「そうだよ。黄儀将軍といって、立派な将軍だったんだ」
子ども達は互いに顔を見合わせ、知らない名前に小さく首を傾げた。霍舟晟は微笑んで彼らの前にしゃがみ、手招きをして近くに座らせた。
「僕は昔、とても貧しくてね。森に入って狩りをして、その日食べるものを得るような暮らしだった。ある時、弓で獲物を射ったところを、たまたま黄将軍に見られてしまったんだ」
黄儀は、霍舟晟がまだ幼い頃から滙川城を守っていた老将である。
趣味として狩りを好み、また農村を荒らす獣を仕留めるためにも山に入っていた。その日、黄儀が狙っていた獣を、事情など何も知らない霍舟晟が先に射貫いてしまったのだ。
「将軍!捕まえました……!この小童が獲物を横取りした犯人です!!」
兵士に腕を掴まれ、霍舟晟は小さな体を震わせながら引きずられた。勢いよく地面に額をつけると、声は泣き声と震えで滲んでいた。
「将軍様……!ご……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……!よ、横取りするつもりはありませんでした……」
馬上から見下ろしていた黄儀は、霍舟晟の手に握られた粗末な弓矢に目を留めた。
そしてゆっくりと馬を降り、少年の前に立つ。死を覚悟した霍舟晟は震え上がったが、黄儀の声は意外なほど穏やかだった。
「その弓矢はお前が自分で作ったのか?」
霍舟晟は顔を上げられず、答えるべきか迷った。だが迫る兵士の叱責に押され、か細い声を絞り出す。
「こ、この弓は、戦場跡で壊れていたものを拾って……自分で削って、小さくしたものです……」
「ほう。その弓はどれほど飛ぶのだ? 私の弓よりも早く獲物を射ることなど、本当に可能か見せてみろ」
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