白冥霜花

紫雲丹

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懐誓月

第百三話



第百三話


 *


「……夜玉牙」

 鬼の気配が消えた静寂の中、先に口を開いたのは霍舟晟だった。姿の見えない空間で、夜玉牙は無言のままその先を待つ。

「僕は寧国の軍人として生きた。その誇りを護るためにこれまで謝罪をする事はできなかった」

 戦いとは正統性の衝突だ。その歴史を振り返った時、選び取った道が正しかったのか、間違っていたのか、後になってようやく考える事ができる。しかしどんな理由や大義があったとしても、犠牲が生まれたという事実は変わらない。やがてその道の先に、寧国は滅び、歴史の中の一つとして通り過ぎていった。

 だからこそ、今なら伝えられる事がある。

「寧国の金羽煌月ではなく、天吏となった霍舟晟として……君に言いたい事がある」

 心の底に残り続けた後悔。それは、自分が本当に正しいと思う道を、あの時は選べなかったことだ。争いを避ける道を選べるはずだったのに、国に尽くし、王が望む方向へと歩いた。誰かが選んだ道を、選択したにすぎなかった。
 意を決して霍舟晟が言葉を紡ごうとしたその瞬間、夜玉牙がその声を断ち切った。

「何を言われようと、オレは、お前を永遠に許す事はない。南玉のために戦い死んでいった者たちに敬意を払うためだ」

 遮るような言葉だったが、それは夜玉牙の覚悟でもある。霍舟晟が何を言おうとしているのか、さきほどまで彼の過去を見てきた夜玉牙には十分に理解できた。その謝罪は、安易に受け取れるものではない。

「……だが、オレを殺したことへの償いをしたいというのならそれはお前の勝手だ。お前と一対一で正々堂々と戦っていれば、オレが負ける事などなかったがな」
「……。その勇気は、僕にはなかったよ」

 本当は、夜玉牙と正面を切って戦うのが恐ろしかったのだ。否、戦いそのものから目を背けたかった。だからこそ弓を極めた。一撃で獲物を仕留める隼と呼ばれるまでに。

 霍舟晟の素直な吐露に、夜玉牙は小さく鼻で笑った。

「オレもお前も多くの民を殺した。……鬼であり、英雄だった。どんなに過去をやり直したくても、二度と戻らない。天吏として、今あるものを守り続けるだけだ。いくら鬼を祓えども、人の世には干渉できない。故に争いは新たに生まれる」

 低く紡がれた言葉の中に、夜玉牙の心を知る。霍舟晟はようやく合点がいった。

「忌狐青の術を破るために、現実をみるという事がどういう意味か分かったよ。この術は最も辛い過去と、理想を見せる。それならば、最も辛い過去を無くせばいいんだ。理想も叶えてしまえば、理想ではなくなる」

 夜玉牙は深く眉根を寄せた。

「……辛い過去を忘れろとでもいうのか。お前への堪え難い恨みすらも」
「もし、僕が君のためにここで魂を燃やし尽くせば……復讐は果たされたことになるのかな」

 消えてしまいそうなほど静かな声音に、夜玉牙は激しく声を荒げた。

「そんな事でオレの気が晴れると思うか!思い上がるな!もしそんな真似をしようものなら、来世でもお前を探し出して殺してやるッ!」
「来世なんて、ないさ」

 魂を燃やし尽くせば、二度と転生はない。淡々と、どこか投げやりに告げた霍舟晟に、夜玉牙は苛立ちを隠せず靄の中を荒々しく踏み分けた。

「霍舟晟!出てこい!どこにいる!!逃げるな!!」

 逃げるな、そう繰り返し叫んでから夜玉牙はふと気づいた。
 霍舟晟は自分の過去と向き合うために天吏となった。彼が天吏を辞さないのは、夜玉牙自身が今も天吏として残り続けているからだ。もし赦しを得られたのなら、霍舟晟はどんな形であれ、天吏を辞める事ができるのだろう。

 復讐がしたいとずっと思っていた。天吏となってから三百五十年以上、あまりに長い年月がたっていた。その間ずっと、霍舟晟は苦しみ続けてきた。夜玉牙が気づかないまま、復讐は途切れることなく続いていた。

 だが、やはり許せなかった。彼を縛り続けているのが己だと理解しても。霍舟晟の弱みが自分の中にあるのだと知ればなおのこと、許したくはなかった。

「お前が魂を燃やす事も、天吏を辞す事も許さん!オレという存在があるかぎり、未来永劫許されることはない!お前はオレと償い続けろ!!」

 怒りの混じった叫びが灰色の空間に反響する。霍舟晟はそっと目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
 逃げようと思えば、いつだって逃げる事はできた。全てを忘れて楽になるという選択もあった。けれど、それができないからこそこうして、魂となっても存在し続けている。

 夜玉牙もまた、苦しみ続けている。終わりがくるその時まで、お互いが存在する限り、どちらも天吏を辞める事はできないのだ。枷のようでいて、絆とも言えるその繋がりで、ようやく一歩先へ進めるのなら。

「それが償いになるというのなら、僕は従おう。その代わり……ここから出るんだ。霖戒をあのまま、一人にはしておけないからね。」

 霍舟晟が再び目を開くと、靄の中に黒い影が浮かび上がった。だんだんと輪郭が鮮明になる。忌狐青の術が崩れていく証だった。

 夜玉牙は、現れた霍舟晟の姿を鋭い眼差しで見つめる。
 緩やかな癖毛を後ろで束ね、梔子色の武人装束を身にまとっている。やや長めの前髪が、切れ長の明るい琥珀色の瞳にかかり、伏せたまつげの影が頬に落ちていた。口元には小さく黒子があり、そのささやかな印が彼の表情に穏やかな深みを添えている。武人らしくない白い肌に、どこか陰りを宿した好青年という印象を与える風貌だ。背丈は夜玉牙よりも頭ひとつほど低い。
 これが彼の全盛期の姿だとしても、あの滙川城で冷酷な弓を放っていた将軍だとは到底思えない。霍舟晟という人物を知ることの意味を、これから考えていく必要がある。

「……いいだろう。」

 夜玉牙が短く返事をすると、霍舟晟はほんのわずかに視線をそらし、影を差した笑みを漏らした。それが彼特有の、自嘲を含んだ癖なのだと夜玉牙はすぐに気がついた。

「夜玉牙、最後に一つ聞いて欲しい。僕は生前に黄将軍のお母上の形見を"南玉"の墓へ届けられなかった。形見の簪は僕の遺体と一緒に埋葬されてしまったと思うけれど……一度でいいから、墓のある場所を探して行ってみたいんだ。構わないかな……?」
「フンッ……好きにしろ」
 
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