白冥霜花

紫雲丹

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啓春花

第十三話




第十三話



 羽衣で雁字搦めにされている男は、灰色の衣をまとい、目元を覆う怪しげな仮面をつけていた。秋霖が目を凝らして見やると、その仮面と姿こそ異なるが、見知った相手であることに気づく。

 虓屠を羽衣で取り押さえていたのは、紫葳仙姫の五番弟子・瑭珂だった。

「珂姐!」
「錦妹!」

 そこへ六番弟子の瑭錦が現れ、異なる色の羽衣を巧みに操り、虓屠の体をさらにぐるぐると巻きつけていく。

「あいつ…!」

 さらなる誤解を招く前に止めねばならないと、秋霖は廊下に飛び出し、手すりから身を乗り出すと、ひらりと一階へと舞い降りた。一階にいた客たちはその姿に驚き、席を離れてざわめく。
 秋霖は虓屠の前に立ちはだかるようにして庇い、そこへ姉妹の羽衣が新たに彼らを狙って飛来した。

「何者?!」
「お前も鬼か?!」

 秋霖は羽衣に霊気を注ぎ込み、虓屠を拘束していた力を打ち消す。

「お前…! なぜここにいる?! どうやって入ってきた!」
「ご主人様よ、やっと来てくれたか。待ちくたびれたぞ」
「どっちが主人だ…! 外で待っていろと言っただろう」
「"外で"とは言っていなかったぞ」
「…ッ!」

 秋霖は苛立ちをにじませ、虓屠の胸ぐらをつかむ。しかしその瞬間、瑭錦の羽衣が殺気を孕んで飛んでくる。二人は即座にそれをかわしたが、なおも攻撃の姿勢を崩さぬ瑭珂と瑭錦を、二番弟子の瑭華がまとめて押さえ込んだ。

 そのとき、紫葳仙姫が二階からゆるやかに階段を降りてくる。

「瑭珂、瑭錦、その方達はわたくしの客人よ」
「師匠……!! ですがっ、私には分かるんです! あいつは鬼です!!」
「そうです師匠!! 珂姐が間違うはずありません!!」
「分かったから静かにおし」

 瑭華はそれぞれの手を取り、二人を奥の部屋へと引きずっていった。
 紫葳仙姫はそのまま舞台へと歩み、客席に向かって深く頭を下げる。

「わたくしの弟子たちが早とちりをしてお騒がせしてしまいました。皆様の興を削いでしまったお詫びに、酒を一杯、無料で振る舞わせていただきます。どうか引き続きお楽しみくださいませ」

 その恭しい姿に、客たちは一瞬見惚れた。
 紫鳳閣の主たる仙姫の姿は、日常的に目にできるものではない。彼女の一声で楽師たちはすぐに演奏を再開する。

「見ろ、紫葳仙姫だ!」
「本物だ!」
「なんて綺麗なんだ!」

 と、次々に声が上がり、酒楼の賑わいはふたたび戻っていった。
 秋霖は虓屠の襟首をつかんだまま、舞台を降りた紫葳仙姫の後に続き、奥の部屋へと向かう。

 部屋の中では、瑭珂と瑭錦が床に膝をつかされていた。秋霖は申し訳なさを覚え、紫葳仙姫とその弟子たちに向き直って頭を下げる。

「彼女たちの言う通り、これは私が従わせている鬼です。外で待たせていたところ、勝手に中へ入り込んでしまいました。驚かせてしまい申し訳ありません。どうか彼女たちを立たせてください」
「やっぱり鬼じゃないのよ」
「フンッ」

 瑭珂と瑭錦が、悔しそうに虓屠を睨みつけた。

「悪いなお嬢さん達、俺はいい鬼なんだ」
「いい鬼はここに入ってきたりしないのよ!!」
「師匠を騙したら承知しないわよ!!」

 紫葳仙姫は、再び噛みつこうとする二人の弟子をひと睨みし、視線だけで黙らせた。そのまま静かに瑭華へ目配せする。

「瑭珂、瑭錦、仕事に戻ってちょうだい。瑭華、あなたも席をはずしていいわ」
「はい」

 瑭華に連れられて、姉妹はぶーぶーと不満を垂れながら部屋を出ていった。紫葳仙姫はその背を見送ってから、ふうと息を吐く。

「秋霖様、ご事情は分かりましたわ。うちの瑭珂は特別な目を持っていて、どんな鬼でも見分けることができるの。それで紫鳳閣の護衛を任せているのです。手荒な真似をして、こちらこそ申し訳ありませんでした」
「いいえ。彼に説明を怠った私の責任です」

 半鬼である紫葳仙姫は、人間からも鬼からも狙われる立場にある。そのため紫鳳閣では、鬼断陣きだんじんが常に張られている。
 虓屠はようやく事情を理解したらしく、一言謝罪した。

「酒が飲みたかったんだ。悪かった」 

 不遜な態度に秋霖が鋭く睨みつけるが、紫葳仙姫が手を軽く振って彼を宥めた。

「…お聞きしたいのですけれど、紫鳳閣を建ててから、これまで一度も鬼断陣が破られたことはありません。わたくしたちの安全のために、どうやってそれを乗り越えたのか、教えてくださるかしら?」

 彼女が問いかけると、虓屠は黙ったまま秋霖の方へと目を向けた。

「…話さなきゃダメか?」
「答えろ」
「…本当にいいんだな?」

 念を押す虓屠。だが、秋霖が返す前にその意味を察し、「まさか」と思った時にはもう遅かった。

「俺は”真人様”の"血"を奪ったんだ。その力を俺の体内で術の起点にして人間に化けると陣が誤認するらしい。真人の血を得て生きてる鬼は俺くらいだろうから…陣の護りは暫く大丈夫なんじゃないか」

 天吏の血を奪い、なお生かされている鬼など前代未聞である。
 秋霖は顔を手で覆った。紫葳仙姫は、扇を傾けたままその場に凍りつく。

「まあ…なんてこと」

 やがて、ゆっくりと扇を仰ぐ手が再び動き始める。

「たしかに、陣を張るだけでは真人の血を飲んだ鬼まで防ぎようがないわね」

 彼女は納得した様子だったが、最終的には秋霖の方を見やり、どこか同情するような眼差しを向けた。

「秋霖様。わたくしが言うのもなんですけれど、いくらなんでも…鬼に甘すぎるのではなくて?」
「……返す言葉もない」
「……あなた様らしいですわね」

 紫葳仙姫は、視線を虓屠へと移す。

「秋霖様の鬼さん、お名前は何とおっしゃるの?」
「…虓屠だ」
「鬼らしくて素敵なお名前ね。あまり秋霖様を…困らせないでさしあげてね」
「…肝に銘じておく」
 

 *
 

 秋霖と虓屠が紫鳳閣を去った後、紫葳仙姫の部屋に、瑭華が茶器を抱えて静かに入ってきた。

 夜も更け始め、先ほどまで騒ぎがあったとは思えないほど、酒楼は賑わいを見せている。客の笑い声と楽の音が、かすかに部屋の奥まで届いていた。

「師匠、楽しいお客様達でしたね」

 瑭華が茶杯を手渡す。弟子たちの中で唯一、師匠の身の回りの世話をしている彼女は、長く仕えているが、あのように奇妙な来客は初めてだった。

「そうね。物語と違って、本物の真人様はあなたの想像と違ったかしら?」
「…確かに、想像とは違いました。高潔で近寄りがたいお方かと思いきや、お二人が話しているのを聞くと親しみを感じます」

 その言葉に、紫葳仙姫は口元を綻ばせる。瑭華は遠慮がちに、けれど興味深そうに話を続けた。 

「あのお方は否定しておられましたけれど、本当に師匠のお美しさに見惚れて、師匠をお救いになられたのではないのですか……?」
 
 紫葳仙姫はくすりと笑って、目を細めた。
 
「……彼はね『悪鬼を倒しに参っただけで、貴女まで殺せとは命じられていない。だが次は無い』そう言ってすぐに帰っていってしまったのよ。味気ないでしょう」
  
 ふたりは顔を見合わせ、小さく笑い合った。紫葳仙姫はそのときの情景を胸の奥に呼び戻す。 
 天から舞い降りた救いの手。彼の放った「命じられていない」の一言が、確かに彼女の心を救った。自分にはまだ生きる道があるのだと、前を向く事ができた。

「我々も祓魔剣の地方捜索に人員を動員しないのですか?」

 瑭華の問いに、紫葳仙姫は静かに茶杯を置き、首を横に振る。

「わたくし達にはこれが精一杯よ。これ以上、弟子たちを犠牲にはできないわ」

 薬幽堂の一件で行方不明となった弟子たちは、いまだ見つかっていない。
 紫葳仙姫は胸に重く沈む想いを抱きつつ、楼閣の縁に立つ。扇を手に眼下に広がる洛漓の夜景に目を細めた。

「あのお方が祓魔剣の行方を探しておられるということは……この件は、もう人の手には負えないということよ」
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