白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第十四話




【幻燼夢】第十四話



「なあ、天吏様。あの演目でやっていた内容は本当なのか?」

 二人は夜の街を歩きながら、城門の方へと向かっていた。虓屠はにやにやと笑みを浮かべ、横を歩く秋霖を見つめている。

「……いつからあそこにいたんだ」
「最初からだ。天吏様が酒楼に来る前から飲んでいたぞ」
「まったく……」

 人間に化けている虓屠は、仮面をつけている怪しげな様子こそ残っているが、街中でその正体を見破られることはない。紫鳳閣の鬼断陣をすり抜けるほどの精度であれば、そうそう気づかれることはないだろう。

「お前はまだその格好でいるつもりか」
「ダメか? 悪くないだろう? どこからどう見ても人間だ」

 秋霖は横を歩く虓屠の仮面越しの顔をちらりと見た。獣骨の面よりも仮面が小さいぶん、表情がよく見える。
 顔の雰囲気も体つきも、初めて見るもので、秋霖の記憶には掠らなかった。

「その仮面は取れないのか。無い方が自然だぞ」
「……ああ、顔が定まっていないんだ」

 深鬼は複数の魂から成る存在――そのため、一定の“個”としての顔を持たないのだと、秋霖はすぐに察した。

「天吏様、どんな顔が好みだ? あんたの好きな顔になれるぞ」

 試すように言ってくる虓屠の言葉に、秋霖は呆れて足を止めた。しかし次の瞬間には、楓台山へ向かおうと早足で歩き始めていた。

「悪趣味な。……そのままでいい」
「……あっ、待ってくれ」
「城門が閉じる前に都の外へ出るぞ」

 
 * 

 
 楓台山の朱川。なじみの場所へとたどり着いた秋霖は、静かに座禅を組み霊気を整えていた。
 虓屠はすでに鬼の姿へ戻っており、焚き火を焚きながら、川で獲った魚を焼いている。

「酒楼で肉を食いそびれたからな。鬼は腹が減るんだ。あんたも食べるか?」

 秋霖は一度だけ虓屠に視線を向けたが、すぐに目を閉じた。天吏には肉体的な欲求がないため、食事も睡眠も本来必要としない。霊気のある食物から力を補うことはできるが、それ以上に、水辺で霊気を整える方が効率的だ。
 虓屠もそれを承知で訊いてきたのだろう。

「そういや、あそこで面白い噂を聞いたぞ」

 酒楼では、あらゆる噂話が飛び交っていた。虓屠は魚を炙りながら、どこか愉快そうに語り出す。

「祓魔剣を失ってからの永祐帝は、鬼に怯えるあまり道士たちに万寿宮へ結界を張らせ、中に引き籠もって出てこないらしい。しかもそこで朝議をするならまだしも、仙人になる修行をしているそうだぞ」

 秋霖に焼き魚を差し出してみたものの、断られた虓屠は仕方なく、魚の横腹へかぶりついた。

「今の政治は、祭文を書くのが上手い宰相に任せっきりで、朝廷では宦官や道士まで口を挟んでる。その奇々怪界な派閥が四つもあるらしい。
 その中の道士に不老不死の仙薬を作らせたんだが、処女の経血を混ぜていたとかで、後宮でも大いに不興を買ったそうだ。不老不死どころか、まるで呪術だな」

 道士が宮廷に出入りしているという話は、秋霖も耳にしていた。
 虓屠は魚を食べ終えると、残った骨ごと串を焚き火に投げ入れ、やや間を置いて静かに言った。

「北の国境も危ういというのに、皇帝があの様子じゃ、地方の民は大いに苦しんでいるだろうな。……この様子だと、澄の国もいつまでもつか分からんな」

 その言葉に、秋霖はゆっくりと目を開け、虓屠を見やった。
 霊気の流れを切って体勢を崩し、焚き火の前で楽な姿勢をとる。

「お前は政治に関心があるのか?」
「……いや? 滑稽だと笑っているだけだ」
「それにしては、ずいぶんと国の行く末を案じていたぞ」

 指摘すると、虓屠は少しばつの悪そうな顔になった。

「あんたは気にならないのか?」
「……天吏になってからは、距離を置いている。関心を持ったところで、何もできないからな」
「人の世事に興味がある鬼もいるんだよ」

 虓屠は、二匹目の魚にかぶりつきながらそう言った。

 その様子を見つめながら、秋霖の脳裏には自然と過去の記憶が浮かんでいた。
 生前、虎渓と朝廷についてよく語り合っていた。正確には語り合ったというより、一方的に彼の不満を聞かされていたと言った方が近い。

 物資の調達も、軍への補給も、金の流れも、中央の不手際の皺寄せがくるのは、いつも地方だった。
 軍侯爵は国境を守るだけではなく、常に中央の動向にも目を光らせねばならなかった。
 そんな中、虎渓と彼の父が熱く語り合う姿を見るのが、秋霖は密かに好きだったのだ。

 虓屠の口ぶりに、どこかあの頃の記憶が重なった。


 
 朝日が昇りはじめた頃、立ち上がった秋霖の背に、虓屠が声を投げかけた。

「これからどこへ行くつもりなんだ」
「……穂州だ」
「……穂州? 南に行くのか」
「お前はついてこなくても良いぞ」
「いやだ。ついて行く」

 少し子供っぽい言い方に、秋霖は思わず口元をゆるめた。

「私は穂州に、これまで一度も訪れたことがない。魂とその地の霊気を結ばなければ、踏返鏡の術は使えない」
「じゃあ……楽せず歩いて行かなきゃな」

 とはいえ、歩いて行くといっても、かつてのように馬や馬車で旅をするわけではない。彼らは人ではなく、どちらも御風術を使うことができる。

「だが天吏様、まだあんたの体は万全じゃないだろ。俺が運んでってやろう」
「やめろ、必要ない」

 両手を広げて近寄ってきた虓屠から逃れるように、秋霖はふいに空へと舞い上がった。虓屠もすぐにそれを追う。

「なあ、穂州のどこへ行くつもりだ?」

 秋霖は、紫鳳閣で得た情報を思い出しながら答えた。

蓉瀧鎮ようろんちんだ。薬幽堂の拠点がある。……それと、人を探す」
「人? 一体誰だ」
「……穂州で行方を晦ませた天吏がいる」
「天吏が行方不明になるのか……?」
「分からない。それを確かめられればいいと思ってな」
「お前たちは行方不明になったら、すぐに探さないのか?」

 その問いはもっともだった。だが、天界の理と人界の常識はまったく異なる。秋霖も天吏になりたての頃は、その違いに戸惑ったものだ。
 天帝には天帝の考えがある。人の基準と、人ならざる者たちの基準は、常に一致するとは限らない。

「探したかった方は、たくさんおられるだろう……だが天吏は、天命がない限り勝手に動くことができない」
「……祓魔剣の捜索ついでに見つかれば行幸か」

 虓屠の皮肉のような言葉に、秋霖は静かに頷いた。

「もしかすれば、祓魔剣に関わっているかもしれない」
「そいつと知り合いなのか?」
「……いや。お会いしたことはない。私が天吏になった時には、すでに消息を絶っていた。何度か噂にはなっていたが……近頃は何も聞かなくなった」
「そんなに昔だったら、もう魂を失って消滅してるんじゃ……」

 その言葉に、秋霖はしばし沈黙した。どう答えるべきか迷っていたのである。
 
 天吏宮には、天吏たちの名が刻まれた石碑がある。かつて天吏だった者、今も天吏宮に住まう者の名前が一覧になっており、そこに刻まれた名前は、魂が生きていれば淡く光を放つ。すでに魂を失った者の名は、光を失い、ただの刻印となる。

 秋霖はかつて、その石碑を前に、ひとつの名を探した。その名は今にも消えそうに、か細く揺らいでいた。

「そのお方は……天霄破邪の持ち主であった漣昱君の、ご友人なのだ」
 

 
 二人は御風術を用いて数日間空を駆け、やがて穂州の地へと入った。目的地の蓉瀧鎮は、まだこの先である。
 穂州は温暖で湿気が高く、この時期は雨も多い。空には濃い雲が垂れこめ、今にも降り出しそうな気配を見せていた。
 虓屠は前方を飛ぶ秋霖の姿を、少し離れた位置から追いかけていた。霜色の衣が風にたなびき、まるで空に溶け込むように舞っている。その様子を、虓屠はどこか陶然とした目で見つめていた。
 
 人ではないとはいえ、休みなく空を飛び続ければ身体に負担がかかる。気にしていた矢先、秋霖の体がふらりと傾いた。
 そのまま失速し、霊気を失った体が空から落ちていく。

「霖戒!」

 すぐに追いついた虓屠が、秋霖の体をしっかりと抱き止めた。秋霖は決して小柄ではなく、平均よりも背が高い。けれど、鬼である虓屠の方がさらに大柄で、その腕の中にすっぽりと収まった。

「ほら見ろ、無理をするから……」

 虓屠はため息を漏らしながらも、抱き留めた秋霖の体を崩さないように支え続けた。起き上がろうとする秋霖が鬼の胸元を押すが、びくともしない。

「……そうではない。ここから先の霊気が、乱れている……」

 秋霖の魂は霊気によって補完されている。その霊気の質が不安定になると、術の制御にも影響を与える。御風術が使えなくなったのは、霊気の乱れが原因だった。

 虓屠は秋霖を抱えたまま、地上へと降り立った。

「霊気の乱れか。……確かに、このあたりは他と違うようだな」

 鬼である虓屠は霊気だけに頼っているわけではない。そのため、天吏である秋霖ほど敏感ではなかったが、ここに漂う空気の違和感は感じ取っていた。

「……もういい。降ろしてくれ」
「まあ待て。いい場所を探してやる」

 力なく言いながらも、されるがままの秋霖を抱えて、虓屠はふたたび空へと舞い上がった。彼は“主人”と言いつつも、秋霖の命令をまともに聞く気がないのだ。

 幸い、穂州には水資源が豊富にある。けれど普通の川や溜め池では意味がない。少し西に逸れた先で、虓屠は石柱のように並ぶ霊峰を見つけた。その麓に小さな湖が広がっている。人気はなく、霊気も澄んでいる。

 湖畔に降りた虓屠は、秋霖を抱いたまま水の中へと足を踏み入れた。そして、そっとその身体を水に浸す。

「水につけた方が早いかと思って」
「私を乾燥豆腐みたいに……」

 秋霖は不満げに睨んだが、虓屠の判断は間違いではなかった。神聖な水は霊力を多く含み、天吏の回復には適している。

「冷たいか……?」
「構わない。もう、降ろしてくれ」
 
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