白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第二十六話




第二十六話



 武陽の西。かつて鉱石の採掘で栄えたという山間の採掘場は、既に不穏な霧と霊気に包まれていた。空はまだ青く、夕闇が差す前だというのに、谷間にはまるで月夜のような陰気が満ちている。

 秋霖が現地に降り立つと、前方の斜面では霄嶺劍派の弟子たちが結界を張り、亡鬼や猛鬼の群れと交戦していた。青鸞嶺と黄雀嶺、それぞれの装束を着た者たちが、剣を抜いて果敢に応戦している。

「っ、これは……」

 事態は想像以上に深刻だった。これほどの鬼が一度に溢れ出している原因は、ただ一つ。

 ――鬼界に通じる鬼門が開いている。

 秋霖は霊気を研ぎ澄まし、鬼門の所在を探る。採掘場の最奥、崩れかけた岩棚の先に黒く歪んだ裂け目が見えた。そこから溢れ出す瘴気は、間違いなく鬼界のものだ。まだ完全には開き切っていないが、時間の問題だった。
 鬼門は、三界の境界が曖昧になる日に自然に現れることもある。だが、今日のような祭日でもない日に開いたのであれば、誰かが故意に開けた可能性が高い。

 秋霖は木剣に霊気を纏わせ、一息で亡鬼たちを祓う。亡鬼は肉体を求めて人間に襲いかかり、奪われれば魂ごと鬼と化す。そうなれば二度と人には戻ることができない。
 鬼門が開いた以上、これは人の手に負える範疇ではなく、天吏の管轄だ。

 風のように鬼を薙ぎ倒しつつ、秋霖は鬼門の近くへ駆けた。そこでは賀海之が数体の猛鬼を相手に、弟子たちを庇いながら応戦していた。
 黄雀嶺の弟子たちは鬼門の割れ目に結界を張り、鬼たちの侵攻を必死に食い止めている。しかし、結界は既に長時間張られていたようで、弟子たちの力も限界が近かった。

「賀海之殿…!」

 秋霖が呼びかけると、賀海之は息を整え、微かに笑みを浮かべた。だがその表情には疲労の色がにじんでいる。

「顧殿…! いいところに。私はあなたとお茶がしたい」
「今はそれどころではないようですが……」
「まさしくその通り…。事情は後ほどお話しますので、ひとまずお力をお借りしても…?」
「そのつもりです。来る途中で大方の鬼は祓ってきました」

 秋霖は空を仰ぎ見て言った。日が傾くにつれ、鬼の気配は濃く、動きも鋭さを増している。

「私がこの猛鬼らを引きつけます。弟子たちを安全な場所まで下げてください。夜になれば奴らが優位になる。…これ以上、被害は出せません」
「……ですが、」
「私にお任せを」

 躊躇う賀海之だったが、秋霖の瞳を見て頷く。弟子たちは賀海之の指示で順に退避していった。秋霖は猛鬼たちを相手に、木剣を華麗に振るって次々と叩き伏せていく。

「賀海之殿、あなたも弟子たちのもとへ……!」

 その腕前に一瞬見惚れていた賀海之は、すぐに剣を構え直した。

「……顧殿。薬幽堂の解体を主導している以上、霄嶺劍派の一角を担う青鸞嶺の嶺主として、最後まで見届けねばなりません」

 当然の主張だった。だが、賀海之がこの場にいる限り、秋霖は天吏として本気を出せない。秋霖の表情を読んだのか、賀海之は一歩踏み出し、霊気を剣に纏わせた。

「弟子たちに気を遣わずに済むなら、私も本気を出せる」

 瘴気が賀海之の霊力に煽られて吹き飛んでいく。人の身でありながら、剣術を極めた本物の"真人"だ。その霊威に秋霖も微かに目を細めた。

 ふと、秋霖の耳に空気の震えが伝わってくる。鬼門の周囲が一気に暗転し、風が止む。静寂の中、金属を引きずるような重い足音が響いた。
 やがて、鬼門の奥から黒く巨大な剣がずるりと差し込まれ、空間を切り裂く。そこから現れたのは、全身を漆黒の鎧で覆った巨体の鬼だった。

「――!!」
「……深鬼……!」

 二人は息を呑む。人の何倍もの背丈を持つその姿は、まるで山が動いているかのようだった。鬼門の奥からさらに亡鬼たちが溢れ出ようとするが、鎧の鬼が放つ鬼気によって一瞬で焼き尽くされていく。

 その視線が、秋霖を真っ直ぐに捉えた。地響きのような声が響く。

「待っていたぞ、天吏よ。我は鎧崇侯ジアチョンホウ。忌狐青様の命により、貴様を此処で討つ――反転」

 大鬼の足元から広がる結界が、秋霖と賀海之を呑み込む。

 賀海之が剣を構え、秋霖はその横顔を盗み見た。
 “天吏”という言葉を聞かれてしまった上に、彼はその意味を悟っているかもしれないが、彼は何も言わず、ただ敵を見据えている。

 天吏としての正体を見せる事は、天吏の三戒の一つに反する。このままでは本気は出せない。だが、深鬼相手に遠慮は命取りとなる。
 
 すると秋霖の背で、銀章が小さく震えた。霊力を帯びた剣が呼応しているようだ。
 秋霖は紐を解いて銀章を手に取る。

 (ですが一連君、私には……)

 槍を本職とする秋霖にとって、剣は副次的な武器だ。けれど、迷っている暇などなかった。
 
 鎧崇侯の大剣が唸りを上げ、ふたりに向かって振り下ろされる。
 秋霖と賀海之はそれぞれの剣技を繰り出して応戦する。秋霖の体は銀章に導かれるように流れる剣技を展開し、その動きに自分でも驚く。
 だが二人の攻撃は、鎧崇侯の異常なまでの鎧の硬さに阻まれた。

「なんという硬さだ……」
「鎧の繋ぎ目にも鬼気が纏われている。隙がない……賀海之殿、試したいことがあります」
「聞きましょう」
「この鬼を倒すには鬼魂を砕かなければなりませんが、最も守りが厚いのはおそらくそこです。そしてあの鬼の狙いは私だ。囮として動くので、あなたは鬼の胸元に、同じ場所へ攻撃を当て続けてください」
「お任せを」

 賀海之が、目にも留まらぬ速さで霄嶺剣の奥義を繰り出す。精妙な剣技に、秋霖は思わず息を呑んだ。

 鎧崇侯は巨体ゆえに機動力は乏しい。賀海之が懐に飛び込むと、秋霖はその大剣を足場にして跳び上がり、首を狙って剣を振るう。

 賀海之は鬼気を突き破り、三度、鬼の胸部の一点を正確に突き続けた。そこへ秋霖が銀章を突き込み、破邪の霊気を纏わせる。

 紫電が走り、鎧を裂こうとした刹那。鎧崇侯の左手が胸を覆い、攻撃を受け止めた。そのまま、秋霖の体を虫でも払うようにして吹き飛ばす。

「顧殿!!」

 秋霖は大きく飛ばされながらも、体勢を立て直し着地する。だが、確信した。

 ――やはり、本気を出さねば勝ち目はない。

「賀海之殿、巻き込んでしまってすまない――」
 
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