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幻燼夢
第三十四話
第三十四話
秋霖は、呆然とその手に引かれていた。
内に渦巻いていた幾つもの感情は、赤熹耀から放たれる圧倒的な威圧の前に鎮められていく。それは、恐怖という名の巨大な海にすべてが呑まれただけだった。
虓屠のあたたかな手と違い、赤熹耀が掴むその手は、肌を焼くように熱く、灼熱の炎のようだった。腕を引こうとするが、圧倒的な力の差にびくとも動かない。
「秋霖!!」
虓屠の叫びが響く。二本の骨刀を振るって割って入ろうとするも、赤熹耀の放つ鬼気に触れた刹那、その力は弾き返され、虓屠の身体が街中の建物に叩きつけられるように吹き飛んだ。
「虓屠…ッ!」
秋霖は反対側の手を伸ばして叫ぶが、視界は暗転する。
気がつけば、既に場所が変わっていた。そこは、豪華絢爛な赤と金の装飾に彩られた玉座の間だ。鬼王・赤熹耀の宮殿である。
赤熹耀は赤い衣を引きずるようにして歩きながら、秋霖の周囲をゆっくりと巡っていた。紅い瞳は愉しげに細められ、まるで遊戯でも嗜むように秋霖を眺めている。
「なぜ鬼界に参った。わざわざ鬼界まで降りてくるとは、天吏にしては欲深い奴だ」
秋霖は震える体に鞭を打ち、深く呼吸を整える。
この男の放つ威圧感は、これまで遭遇してきたどの鬼とも次元が違った。まるで自分の命が、その指先一つで砕けると、はっきり知らされているような感覚だ。"生きている"という事実さえ、ここでは不確かに思える。
「一体何が欲しい? 何を知りたい? 物か、人か」
秋霖は両手を揃えて軽く礼をとった。
「天命により、忌狐青が奪った天霄破邪の剣を捜索しに参りました」
「なるほど、祓魔剣のためか」
赤熹耀は足を止め、口元に手を添えながらくつくつと笑った。
「……ふふふ、そのためにわざわざ鬼の体に魂を入れてきたというのか。面白いことをする」
やがて秋霖の目の前に戻ると、後ろ手に腕を組み、見下ろすように問いかける。虓屠と同じか、それ以上の背丈から圧迫感が降ってくる。秋霖はおそるおそる、だが目を逸らさず見上げた。
「忌狐青のことならば……教えても良いが、貴公は吾に何を与える」
「一体、何がお望みと」
秋霖が問うと、赤熹耀は一片の迷いもなく答えた。
「貴公が欲しい。貴公が吾に与えられるのは、その身ぐらいだろうな」
秋霖の心は静かに身構えた。忌狐青の情報を得たとしても、魂を喰われてしまえば意味がない。覚悟を決めて、凛とした態度を保ったまま言い放つ。
「……それならば本末転倒です。赤鬼王よ、貴上のお力をお借りするまでもありません」
はっきりと「用はない」と跳ね除けられたにもかかわらず、赤熹耀は少しも機嫌を損ねる様子はなかった。喉の奥からくぐもった笑い声を漏らし、愉快そうに言う。
「吾は鬼界のことなら何でも知っている。貴公が欲しい答えも、吾が持っているだろう。吾が何であるか、貴公は知らぬ。だから特別に教えてやろうと思ったが──」
その言葉の続きは、衝撃でかき消された。赤熹耀の掌が秋霖の鳩尾を鋭く打ち据えたのだ。突然のことに反応しきれず、秋霖の身体は宙を舞い、壁に激突して崩れ落ちた。
「ッがは……!」
意識が揺らぎ、眼前に自分の体が床に倒れているのを悟る。だがそれは、自分であって、既に自分ではない。
肉体から魂を引き剥がされ、秋霖はよろめいて壁に背をもたれた。霜白色の衣を纏う彼の前に、赤熹耀が静かに迫ってくる。
「天吏は、天帝のお気に入りだ。天帝の”好み”で選ばれる」
赤熹耀が指を鳴らすと、秋霖のかつての肉体が業火に包まれ、紅蓮の炎に飲まれて消えていく。
「吾も昔は、天帝のために何でもしてやったというのに……今では、鬼として封じられた身よ。貴公も、同じ道をたどることになると思えば、哀れだな」
言葉と同時に、赤熹耀は片腕で秋霖の体を壁に縫い付けるように押さえつけた。距離があまりに近く、鬼王の顔が眼前に迫る。
整いすぎた美貌は畏怖すら感じられる。それはもはや鬼というよりも、神に近い。
「吾は永らく鬼王であるが、天吏の魂を喰ったことはない。手を出せば、天帝の不興を買うからだが──」
赤熹耀は秋霖の顎をすくい上げ、持ち上げながら微笑む。
「そちらから飛び込んできたのであれば、天帝も文句は言えまい?」
秋霖は、帰天と踏返鏡の両方の術を試みたが、どちらも鬼界では発動することができなかった。天の加護も地獄までは届かない。霊気の流れが寸断されており、空気そのものが術を拒んでいる。
そのとき、二人きりだったはずの玉座の間に、もう一つの気配が現れた。
赤熹耀の背後、重厚な柱の陰に、灰色の鬼気がゆらめいている。秋霖は、思わずそれを虓屠だと思いかけた。しかし、立ち上る気配はまるで異なっていた。静かなのに、刃のように鋭く、明確な殺気がそこにあった。
「白冥。貴公が吾の城に訪れるとは──どういうつもりだ」
赤熹耀は首だけを傾けて、後ろに現れたその存在へと低く問いかける。
秋霖には、赤熹耀の影に隠れて顔は見えない。しかし、その名を聞いた瞬間、喉元が冷えるような緊張が走った。
──白冥。白鬼王。
四鬼王のうち、また別の王がこの場に現れた。一人でも厄介だというのに、二人の鬼王を敵に回せば、鬼界での捜索は困難となる。鬼界は鬼王の領分であり、天吏が干渉することを拒みにきたのだろう。
秋霖はそう推測し、脱出の必要を痛感した。瞬時に銀章へ意識を向けるが、赤熹耀に魂の片腕を掴まれたままでは戻ることができない。
秋霖は、わずかに唇を噛んで覚悟を決めた。木剣の姿をしたままの霜曜槍の柄を強く握りしめ、霊力を注ぎ込む。
そして、躊躇うことなく自らの腕を、斬り落とした。
「な──…」
赤熹耀が驚きに目を見張る。
「ッ…!!」
激痛が意識を霞ませる。だが、秋霖はすぐに霊力を氷として凝縮させ、切断面を凍らせた。掴まれていた腕ごと凍結させると、そのまま粉砕し、跡形もなく霧散させる。
腕の一片たりとも残すわけにはいかなかった。
「銀章──!」
叫ぶと同時に、秋霖の魂は白い光に包まれ、人界へと引き上げられていった。
*
残された玉座の間で、赤熹耀はその一部始終を見届けていた。そして、ゆっくりと身体を反転させて、背後に立つ白鬼王を見やる。
「……逃げられてしまった」
落胆というより、愉快げな嘆息に近い。
一方の白冥は、黙ったまま何も返さない。彼の周囲をまとっていた灰色の鬼気が、まるで生き物のようにうねり、玉座の間に張り詰めた気をさらに重くする。
白銀と黒が入り混じる髪が灰の風にたなびき、毛皮を纏った黒く艶やかな衣が揺れる。ただ立っているだけの姿が、空気を煙たい灰色に濁らせていた。
「“あれ”に手を出すな。あいつは、俺のものだ」
静かな一言に、赤熹耀は喉の奥で笑った。
「それは……吾への“お願い”か?」
愉悦を含んだ声音で挑発は明らかだったが、白冥は言葉では答えない。代わりに、彼の鬼気が強く波打った。
瞬間──赤熹耀の玉座の間にひびが入り、壁や柱や天上が、白い灰となって崩れ落ち始める。それらが燃えることはなく、ただ「燃え尽きた後」のようにさらさらと崩れていった。
「やめよ、吾の城を壊すな。忌々しい……貴公は吾の炎では燃えぬから嫌いだ」
赤熹耀は憮然とした顔で相手を見据える。
二人にそれ以上の会話はなく、白冥はただ一瞥をくれて、そのままゆっくりと身を翻す。灰燼を巻き起こしながら、彼はその場を去っていった。
白冥――炎すら通らぬ灰を身に纏い、すべてを燃え尽きた静けさで覆い尽くす灰燼の王。
その性質ゆえ、鬼界では「赤熹耀とは決着がつかない」と言われている。
崩れた壁の隙間から、赤熹耀は遠くに広がる紅の都を見下ろした。吹き抜ける熱風に髪を揺らしながら、にやりと牙を見せ、口元を歪める。
「……愉快な宴が始まりそうだ。なあ、天よ。吾の席も、当然、用意してもらわねばなるまい」
彼の言葉に応える者はいなかったが、その声音は確かな期待と熱を孕んでいた。
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