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幻燼夢
第三十七話
第三十七話
* * * * *
燕雲城――凌家の屋敷。中庭に続く階段へ腰を下ろした秋霖は、幼い弟・夏霖の相手をしながら一冊の書を広げていた。
「兄上!何をよんでるの」
「うん……、昔の剣聖のお話だ」
秋霖が十一歳の年、凌家の客院には一人の客人が滞在していた。この本は彼から譲り受けたものである。
「ちくしょうー!また勝てなかった」
「…あの方はお強いからな」
客院の方から二刀の模造刀を持った虎渓が悔しがりながら戻って来る。秋霖はちらりと虎渓の方を一瞥したのち、再び書へ視線を戻す。
その客人は、北に来る途中で山道に住み着いていた盗賊をたった一人で倒し、凌侯爵に感謝されて屋敷に迎えられていた。彼は燕雲城で冬を越す間に、街の子供達に武術を教えたり、物語を語って聞かせていた。
「こっちは二刀流なんだぞ…、何とか笑剣なんかに…」
ぶつぶつと文句を垂れながら虎渓は秋霖の隣に腰を下ろす。夏霖も、書の中身が気になるのか、秋霖にぴたりと寄り添って覗き込んだ。
「兄上!僕にもよんで!」
「阿秋!そろそろ俺とも手合わせしてくれ!」
「ああ……」
二人に挟まれた秋霖は仕方なく顔を上げると、それぞれを順に見た。幼い弟の面倒も、弟分との約束もどちらも大切だ。
秋霖が書を夏霖に手渡して立ち上がると、廊下から虎渓の姉・丹瑤が現れた。
「虎虎、阿秋を阿夏に譲ってあげなさいよ。そろそろ次の妹が生まれるんだから、お兄さんらしくしてみたら?」
丹瑤の言葉に虎渓は拗ねたように鼻を鳴らす。
「弟かもしれないだろ。…俺に弟ができたら"お兄さん"になってやる」
丹瑤は庭に落ちていた小石を拾い、虎渓に向かって軽く投げつけた。
「いてっ!」
「生意気な子ね!」
親譲りで気の強い姉と負けん気の弟はよく口喧嘩をしていた。秋霖はそれを微笑ましく見守りつつ、そばに立てかけてあった槍を手に取る。
「丹姐、阿虎と約束してたんだ。阿夏を見ててくれますか」
「ええ、いいわよ阿秋。甘ったれな虎虎をこらしめて!」
「見てろよ二人とも!今に驚かせてやるからな!」
虎渓は秋霖の一つ下だが、体格でも技量でも秋霖に敵わず、手合わせではいつも負けていた。だからといって手加減をすると、虎渓は烈火の如く怒るので秋霖はいつも本気で応えていた。
しかも今は、先ほど書物から得た剣聖の技を試したくて、秋霖はうずうずしていた。
「阿夏、私が読んであげるわ。かして。……なあにこれ?"迅流無剣"……?」
丹瑤が夏霖に書を読み聞かせている間、秋霖は虎渓と数合交えた。だが数手で、虎渓はあっけなく転がされた。
「槍はずるいぞ!剣で勝負しろ!」
虎渓は秋霖を指差して叫ぶ。体格と武器の差で今の虎渓に勝ち目がないのは明白だった。丹瑤は玉を転がしたような笑い声を上げる。
「虎虎、阿秋に手加減してもらいたいのね!」
「姉上は黙っててくれ!」
顔を真っ赤にして立ち上がった虎渓に、秋霖は得意げに笑って見せ、近くの庭木に槍を立てかけると、屋敷の武器庫へと向かおうとした。
「なら、剣をとってくる」
ちょうどその時、軍の訓練場から戻ってきたばかりの顧涵仁が息子の姿を見つけて静かに注意した。
「秋霖、庭で槍を振るうなと何度言った」
「……父上」
ニヤついていた秋霖は、すぐに表情を改めて礼をとった。その直後、さらに体格のいい男が陽気な声で現れた。
「良い良い、構わん!阿秋!見事だったぞ!」
「伯父上」
秋霖はすかさず同じように礼をとる。隣に立った凌峰は燕雲城の主であり、顧涵仁の従兄弟にあたる。凌峰の父の妹が顧家へと嫁いでいたため、両家の縁は深い。
「さすがは一歳で槍を持ち始めただけあるな!」
「三歳です」
凌峰の豪快な褒め言葉を、顧涵仁が淡々と訂正する。
「大して変わらん!」
凌峰の声を聞いて、中庭から丹瑤が夏霖を抱えて現れた。その奥で不貞腐れていた虎渓を見つけた凌峰は、豪快に手招いた。
「阿虎!来い!」
「父上ぇ…おかえりなさい。叔父上も」
しぶしぶ現れて礼をとる虎渓の背を、凌峰は気合いを入れさせるように叩いた。
「阿虎!阿秋に勝てるようになるまで将軍の名は継がせんぞ!来い、父が鍛えてやろう」
「父上~~俺は阿秋と遊びたいんだよお」
父子のやりとりを聞きつけて、屋敷の奥から侍女達を引き連れ二人の女性が現れる。赤紫の艶やかな衣を纏った気品ある女性、昭月公主は身重で、それを支える清廉な白い衣を纏った女性、如清県主が夫と子ども達に優しく微笑みかける。
「あなたたち、おかえりなさい」
「賑やかな声が聞こえたから見に来たのよ」
丹瑤が駆け寄り、心配そうに母の手を取った。
「母上、歩いてても平気なの?」
「大丈夫よ。今日は気分がいいもの」
大きなお腹を撫でながら、昭月公主は夫と息子に視線を戻す。
「ちょっとあなた!阿虎をまた軍に連れていく気なの?!」
「母上ぇ~~」
虎渓がすがるように昭月公主を見るが、宮中で育った誇り高い彼女は息子の教育にも手を抜かない。
「剣ばかり教えていたらあなたみたいになるわ。阿虎、先生から宿題をいただいていたでしょう?あなたのことだから、どうせ終わっていないでしょうね」
「母上ぇ~~!!そんなあ…」
打ちひしがれる虎渓を見ていた如清県主は息子にそっと問いかけた。
「阿秋、あなたは終わったの?」
「……まだです、母上」
その真意を察して、秋霖は答えた。
「あっ!阿秋と一緒ならやるぞ!」
「なら一緒にやりなさいね」
「はい!」
ぱっと表情が明るくなった虎渓に、秋霖と如清は目を合わせ、微笑み合う。その様子を見ていた凌峰は、納得のいかない声をあげた。
「しかし昭月…武を極めるにはこの年頃からの鍛錬が重要なのだ。筆では敵を倒せんぞ!」
昭月公主はぴくりと眉を動かして、凛とした口調で返した。
「文を修めて武を帯ぶ、是れ士の務めなり――」
普段の親しみやすい言葉ではなく、都育ち特有の響きに、凌峰は口をつぐむ。
「武で勝つことなど、誰にでもできましょう。されど、百戦して敗れぬ者は一握り。知略なき者に、それが為せるとお思いなの?かの韓将軍もまた、幼くして人に侮られても、なお学を忘れなかったと申します」
「ああもう分かった分かった!この"城"ではそなたが一番強くて賢い!」
"不動の山侯"と称えられる凌侯爵であっても、妻には頭が上がらない。彼女の一声は山をも突き崩すと燕雲城では有名だ。
庭にいた者達は皆、明るい笑い声を漏らす。これが彼らの日常であった。
*
秋霖は自室でふと、一冊の古びた書を手に取った。表紙はすっかり擦り切れ、頁の角は折れ、紙も柔らかくなっている。幼い頃に何度も読み返した思い出の書物で、丹瑤や夏霖も気に入って度々貸してほしいとせがんできたため、すっかりくたびれていた。
「秋霖!」
扉が勢いよく開かれて、虎渓が早足で部屋に駆け込んでくる。十六歳になった彼の背丈は、今では秋霖とほとんど変わらない。
「妹達の準備がやっと終わったらしい。待たせたな。もう出られるか?」
今日は丹瑤の婚儀のため、凌家一同が都へ向かう日だ。顧家は国境の守備に残ることになっていたが、秋霖は顧家の代表として、凌家に随行することになっていた。
「……ああ、問題ない」
秋霖はゆっくりと頷いた。その手には、まだ書が握られている。
「おっ……懐かしいな、この本。姉上もずいぶん気に入ってた」
虎渓が本に気づき、ふっと笑った。二人の間に、幼き日の記憶がよぎる。
「あの姉上が嫁入りなんてなあ……」
虎渓がぽつりとつぶやく。
「……寂しくなるな」
秋霖は本をそっと懐にしまい、立ち上がって虎渓と並んで部屋を出た。
屋敷の前には、出立のための馬車が数台並んでおり、その傍らには三人の少女たち――凌家の春花三姉妹が、涙に濡れた顔をして立っていた。頬は赤く腫れ、目元は泣き腫らしている。
「ふぇえ……行きたくないってばあ」
「姉上ぇ…姉上ぇ…」
しゃくりあげる声を漏らす妹達を見て、虎渓は困ったように眉をひそめた。
「おい、泣くなお前たち。都に行ったら、点心を腹いっぱい食べよう。な?」
そう言いながら、彼は順番に妹たちを抱きかかえ、馬車に乗せていく。
梅霞、杏霞、季霞は春の花の名をもらった愛らしい娘たちで、両親はもちろん、姉の丹瑤と兄の虎渓にも溺愛されて育った。
中でも末の季霞は、虎渓が九歳の時に生まれた子で、当時「弟が欲しい」と言っていた彼は、いまでは家族の誰よりも甘やかしている張本人だった。
「ふふ……」
秋霖は思わず吹き出した。虎渓の、武門の家の嫡男とは思えぬほど甲斐甲斐しい世話ぶりが微笑ましいのだ。
「おい、何笑ってる!」
虎渓が睨むように振り返ると、秋霖は槍を肩に担ぎながら、己の馬に颯爽と跨った。
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