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幻燼夢
第三十九話
第三十九話
二人が談笑していると、昭月公主の侍女が虎渓を呼びに来た。
「母上め……俺をどこぞの淑女様にでも会わせる気だな。腹から声を出してやる」
「おい、“吠える”のもほどほどにしておけ。公主様に恥をかかせるなよ」
ぶつぶつ文句を言いながら侍女に連れられていく虎渓の背を見送り、秋霖はふと周囲に目をやった。どこかで一息つける場所はないかと探していると、不意に名前を呼ばれる。
「顧公子」
振り返ると、雲郡主が侍女を二人ほど従えて立っていた。間近で見る彼女は、艶やかな衣と髪に飾られた花々に彩られ、その愛らしさをいっそう際立たせている。
「雲郡主…」
秋霖は姿勢を正し、礼を取った。虎渓の不在を見計らって会いに来たことは、すぐに察しがついた。
雲郡主は団扇を口元に当てたまま、じっと秋霖を見つめてくる。その丸い瞳は、まるで春野に跳ねる野うさぎのようだと、秋霖は思った。
「都に来られるのは久方ぶりと伺いましたが、こちらの生活にはもう慣れましたか?」
「はい。都は過ごしやすくて助かります。私には新鮮です」
秋霖は助けを求めるように虎渓の方を見たが、彼はまだ昭月公主に捕まっているらしく姿が見えなかった。凌家の女性を除けば、淑女とこうして二人きりで話す経験などなく、気の利いた言葉など出てこない。
「私に、何かご用でしょうか…?」
「……先日の鎮南王府での婚儀でお見かけして、少しお話してみたいと思っていたのです。ほら、凌世子さまとの縁談の話があったことは、お耳に入っているでしょう?」
雲郡主が小さな歩幅で歩き出したため、秋霖も少し遅れてその後ろについた。
「私の主君は、郡主様のお眼鏡にかなわなかったと、先ほど落ち込んでおりましたよ」
「ふふふふ」
雲郡主はくすくすと笑った後、柔らかな声で答えた。
「私は生まれつき身体が弱くて、北へ向かうのは負担になるだろうと、お父様が心配なされたのです。凌世子さまには……どうか、お気になさらぬよう、お伝えいただけますか?」
「もちろんです……」
そのとき、二人の前方に、異なる色の衣をまとった侍女がそれぞれ別の方向から現れた。秋霖と雲郡主は思わず立ち止まり、侍女たちも互いに気づいて気まずそうに固まる。
「どうかなさいましたの?」
雲郡主は涼やかな様子で尋ねた。侍女たちはどちらも萎縮した様子で、か細い声を出す。
「あちらで武芸の腕を競うとかで、お嬢様が顧公子をお呼びしてはと……」
「同じく、お嬢様が顧公子をお連れしてはどうかと……」
どうやらそれぞれ別の主から命を受けて来たらしい。先に雲郡主の侍女が声を上げる。
「今は郡主様がお話中なのよ。割って入るなんて、あまりに無礼だわ。一体どこの家の方かしら」
雲郡主は団扇の陰から目を細め、秋霖を見上げた。
「どうやらあなた様とお話ししてみたい方が、たくさんいらっしゃるようですわね」
秋霖は冷や汗をかいた。どう答えればよいかも分からず、思わず虎渓を探すように視線を走らせたが、その姿はすでに見当たらなかった。
困り果てていたところ、背後から肩を叩かれる。
「おい秋霖! 主君の俺を差し置いて、ずいぶんといい思いをしてるみたいだな」
突然現れた虎渓に、侍女たちと雲郡主は驚いて小さく後ずさりし、引きつった笑みを浮かべる。
「「「凌世子さま……」」」
秋霖はようやく虎渓の姿を見つけて、大きく安堵の息を吐いた。虎渓は秋霖の肩に手を置いたまま、にっこりと侍女たちに笑みかける。
「武芸の腕を競うなら、俺もぜひ参加させてもらいたいぞ! なあ秋霖。――それで、“顧公子”をお誘いしてくれたのは、どこのお嬢様なのだ? ぜひともご挨拶に伺いたい!」
侍女たちは顔を見合わせた後、苦笑を浮かべながら同じ方向へと先導した。虎渓はうやうやしく手を差し伸べる。
「雲郡主様も、お先にどうぞ?」
雲郡主は扇で顔を隠したまま、なんとも言えない表情で虎渓を見つめ、そして歩き出した。
秋霖は距離をとって後ろから続きながら、虎渓にそっと耳打ちする。
「……助かった。都は、恐ろしいところだ」
「まったくだ。少し目を離した隙に、お前が淑女たちに両腕を引きちぎられそうになるところを見るとはな……阿秋よ阿秋よ、やはり俺がついていないと駄目だな」
「私のそばを離れないでくれ」
虎渓は秋霖の顔を見て、嬉しそうに笑いながら、その肩を組んで引き寄せる。
「阿秋」
「なんだ」
道中、ふと立ち止まった虎渓が、傍らの茂みに目を留めた。低く枝を垂らした丁香花の木が、春風に揺れて白い花を咲かせている。
虎渓は手を伸ばし、その枝から一房摘み取ると、迷いなく秋霖の髪へと挿した。黒髪が細やかな白に彩られ、ふわりと甘い香りが漂ってくる。
「……私に花を贈ってどうする」
秋霖は頭に添えられた花にそっと触れ、呆れたように笑みを浮かべた。虎渓が上機嫌であることは明らかで、秋霖は花をそのままにして歩みを再開する。
「なんだ、綺麗なんだからいいだろう。みんな花をつけてるじゃないか」
「……確かに、そうだが」
周囲が何と言おうと、虎渓はやりたいことをやる男だということを秋霖はよく知っている。だからこそ、いちいち注意する気にもなれなかった。
虎渓は小走りで追いつくと、再び秋霖の隣にぴたりと並んだ。
「ずっと隣にいてやるからな」
*
武芸を競うといっても、宴に参加していた者の中で、虎渓と秋霖の相手になる者はいなかった。仕方なく二人は弓を射て見せたり、剣で軽く打ち合ったりしながら、昭月公主の顔を立てる形で時間を潰すこととなった。
とはいえ、二人が武芸を披露すれば、自然と貴公子や淑女たちの注目を集めた。体格に恵まれ、実年齢よりも大人びて見えるその姿は、特に女性たちの目を引いた。
中でも、寡黙で控えめな秋霖はひときわ関心を集め、昭月公主の元には縁談の話が次々と舞い込んだ。
都に暮らす淑女たちにとって秋霖は、美と武を兼ね備え、品性があり、家柄も申し分ない存在に映っただろう。
だが近づこうにも、彼を守る“虎”がぴたりと張り付いて離れず、彼女たちは始終歯がゆい思いをするしかなかった。
やがて宴も終わりに近づき、貴族たちが次々に席を立ち始める頃、昭月公主もようやくその場を離れた。ようやく解放された二人は、帰路に就くことができた。
「母上、浮かない顔だな」
馬を寄せて馬車の窓の傍らに並ぶと、虎渓は中で深いため息を繰り返す母に話しかけた。
「どの子も、あなたには釣り合わないわ」
どうやら、馬車の中で今日の成果をあれこれ考えていたらしい。昭月公主は不満げに口を開く。
「凌家に嫁ぐには、器量がよくて家の采配もできなきゃ駄目なのよ。度胸も必要ね。血だらけで帰ってきた夫を見て失神するような子は、お断りよ。……まったく、雲郡主ときたら。北に来る気がないんだもの」
縁談はいくつかあったものの、どうやら昭月公主の理想とする相手は見つからなかったらしい。
「秋霖、あなたには良さそうな縁談がいくつかあったわよ。如清にも話しておくわ」
「公主様、私は虎渓より先に身を固めるつもりはありません」
秋霖は即座に答えた。虎渓の縁談の話が出るたび、いつも自分にまで飛び火してくるため、この返しはもはや常套句となっていた。
「まったく、あなたって子は……」
「母上、焦る必要はないだろう。まだ時間はあるし、ゆっくり考えてくれ」
「まあ!他人事みたいに言って! 時間なんて、あっという間に過ぎるのよ! あなたがそんな調子だから、いつも秋霖が巻き込まれるのに……!」
怒りながらも、昭月公主は馬車の窓を開け、顔を覗かせた。その視線はすぐに、隣を進む秋霖へと移る。
「あら、秋霖。その花はどなたからいただいたの?」
その問いに、秋霖と虎渓は顔を見合わせ、ふっと小さく吹き出した。
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