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幻燼夢
第四十話
第四十話
青花宴の後、都をさらに賑わせるのは安天祭である。
安天祭とは、皇帝が国家の安寧を天に誓う重要な祭典であり、その起源は、かつて漣昱君が寧国に現れた鬼を祓った日を記念して始まった。
それ以来、歴代の皇帝は特別な衣を身にまとい、天霄破邪の剣を携えて祝詞を読み上げ、天霄子に記された鬼祓いの儀を厳かに再現してきた。
都でもこの祭の日には市が開かれ、破邪の象徴として鬼の面や桃の木で作られた木剣などが売られ、人々の熱気に包まれる。
当日。虎渓と秋霖は、天霄破邪の剣を間近で見られる機会に胸を高鳴らせていた。凌家の配慮により、秋霖も宮中で行われる儀式に特別に参加できることとなったのだ。
儀式が始まる前、虎渓は祭壇に安置された天霄破邪の剣を遠くからしげしげと見つめながら、隣の秋霖にそっと囁いた。
「天霄子では、“青光が放たれて鬼を切り裂いた”とあったから、一体どんな豪勢な剣かと思いきや、案外普通の剣だ」
「近くで見れば、精巧な細工がしてあるのかもしれない」
天霄破邪は、遠目には青銅で打たれたように鈍く光り、重厚な印象を与えていた。剣身は先端にかけて徐々に細くなり、柄には白い房飾りが揺れている。だが、鬼を斬るという逸話に比して切っ先の鋭さは控えめで、二人はどこか拍子抜けして肩を落とした。
「あの剣は相当重いらしいぞ。持ち上げるのがやっとらしい」
「お前なら振り回せるやもしれんな」
秋霖が冗談めかして返すと、虎渓は得意げに頷く。
「よし、後で陛下にお願いしてみるか」
そんなふざけたやりとりも、祝祭の高揚の中では自然だった。
やがて儀式が終わると、虎渓は昭月公主に呼ばれ、肩をすくめて秋霖に笑いかけた。
「俺は“おじいさま”に挨拶をしてくる」
昭月公主は皇帝の娘であり、虎渓にとっては祖父にあたる。遠く燕雲城から訪れた孫との再会は貴重な機会であり、丹瑤の婚儀の後も、皇帝は昭月公主たちをしばらく都に留めていた。
秋霖は頷いて手を挙げ、虎渓を見送る。
「では、私は朔伯父上に会いに行ってくる。都に来ていると、先ほど教えていただいた」
朔家は秋霖にとって母方の実家であり、距離もあってなかなか顔を出せない。都にいる今こそ、訪ねるにはまたとない機会だった。
「じゃあ、また夜にな!街を一緒に見る約束だぞ」
「ああ、分かった」
日中の役目を終え、ふたりはまた夜の再会を約束してその場を後にした。
*
凌家の屋敷の前に佇み、通りをぼんやりと眺めていた秋霖は、不意に背中を叩かれて振り返る。そこには、鬼の面を被った虎渓が立っていた。
「わっ!」
「……なんだ、わざわざ裏口から回ってきたのか」
「相変わらず驚かし甲斐のない奴だ」
秋霖が平然と目を細めると、虎渓は面をずらして唇を尖らせた。昭月公主たちを乗せた馬車と一緒に帰ってくると思っていた秋霖は、再び通りを見渡して問う。
「公主様達はどうしたのだ?」
「そのうち来る。俺は待ちきれなくて先に来てしまった」
「まったく……」
呆れたようにため息をつくと、虎渓は秋霖の手を取って歩き出す。
「秋霖、早く行こう。帰ってくる時に少し覗いたが賑わっていたぞ」
腕を引かれるまま、二人は都の大通りへと歩を進めた。夜になっても祭りの熱気は冷めやらず、香ばしい匂いや甘い香りが入り混じって漂い、人々の歓声や太鼓の音があちこちから響いてくる。
屋台で買った串焼きを食べ終えた虎渓が、通りの先の人だかりを指差した。
「なあ、あそこで碁を打ち合ってるぞ。お前も行ってみたらどうだ?」
茶屋の軒先に並べられた机の上で、何人かが囲碁の対局を繰り広げている。虎渓と秋霖は人垣の隙間から、盤面を覗き込んだ。向かい合う文士らしき二人が、難しげに眉を寄せながら石を置いている。
「……私では相手にならないだろう」
「叔父上と良い勝負をしてたじゃないか。俺の父上も一度も勝ててない」
秋霖が視線で盤面を追いながら言うと、虎渓は面白そうに彼を小突いた。家族の中でも最も碁に長けていたのは顧涵仁であり、秋霖もその手ほどきを受けている。
「私はお前を打ち負かしている方が楽しい」
「な!ひどいやつだ!鬼!」
飄々と答える秋霖に、虎渓は声を荒げる。そんなやり取りをしていたところへ、一行が近づき、声をかけてきた。
「これはどうも、凌世子殿と顧公子」
声をかけたのは、青花宴で挨拶を交わした記憶のある貴公子だった。虎渓は名前を全く思い出せずに頭を捻るが、秋霖はすぐに礼を取った。
「許公子、またお会いできるとは」
そして、彼の背後にいた友人たちにも秋霖は丁寧に挨拶をする。取り巻きの名前まで覚えているのかと、虎渓は舌を巻いた。
「凌世子殿、碁にご興味がおありでしたら私と一手いかがです?都の者とは大方対局したことがあるので、ちょうど新しい相手を探していたのです」
許公子が涼しげに微笑むと、その取り巻きたちもにやりと笑みを浮かべる。虎渓は片眉を上げた。
「あー、許公子はさぞ腕に自信があるとお見受けする。俺達なんかは全く相手にならないだろう。特に俺は碁石の正しい持ち方も分からない。なあ秋霖」
「ええ、武人の我々には碁石を的に投げて遊ぶ方が向いている」
秋霖が静かに応じると、取り巻きたちはどっと笑った。だが、許公子は笑みに動じることなく、咳払いひとつして秋霖を見つめる。
「碁は兵法に通ずるといいます。北の国境を預かるお二方が兵法を知らずに戦に出られる事はないでしょう。どうか謙遜なさらず、私に手解きの機会を与えてくれませんか」
その言葉の裏には、秋霖を試す意図がありありと滲んでいた。青花宴で秋霖が女性達の視線をさらっていったのを快く思っていなかったのだろう。それに気づいた虎渓が視線を送ると、秋霖は静かに一歩前に出て答えた。
「それでは……お相手になるかは分かりませんが、一手お願いします」
「ええ、どうぞ」
二人は空いた席に向かい合って腰を下ろす。許公子が黒石を指し示した。
「先手をお譲りします」
「顧公子、許公子は都の名人を打ち負かした事がある。これくらいは当然だ、遠慮なさるな」
取り巻きのひとりがけしかけるように言うと、秋霖は口元に微笑を浮かべ、黒石を指先に取った。
「……それではお言葉に甘えて」
「置き碁にしましょうか?」
「いえ……それで負けてしまっては主君に顔向けできませんので」
許公子が勧めると、秋霖は笑みを浮かべたまま視線を伏せた。
黒と白の石が盤上で交差し始めると、すぐに人だかりができた。虎渓もその中で顎に手をやり、盤面を見つめる。
「ずいぶんお考えになる」
許公子が鼻で笑いながら、碁石を音高く打ちつける。取り巻きたちも「これは時間の無駄か」などと囁き合っていたが、秋霖はまるで耳に入っていないかのように、黒石を指に挟み、音もなく盤に置いていった。
静かに、一手、また一手と戦局が進んでいく。やがて秋霖が置いた一手が、周囲の空気を変えた。冗談交じりの笑い声が次第に消え、すべての視線が盤上へと引き寄せられる。
虎渓は、顎から手を外してにやりと笑んだ。
(……かかったな)
それは、秋霖がよく使う手だった。この誘い込みに自分も何度騙されたか分からないと、虎渓は吹き出しそうになるのを必死で堪える。
許公子は、盤面の全体を見渡していた。視線を彷徨わせ、手が止まる。盤の隅から中央へと伸びていた黒石の配置に、白石の群れは気づかぬうちに包囲されていた。
「……っ」
許公子の額に汗が浮かぶ。微かに震える指先を、秋霖はただ一度だけ見た。その瞳には、敵意も侮蔑もない。あるのは、目の前の現実だけだった。
「詰みじゃないか?もう打つ手がないぞ」
対局を見ていた誰かが囁くように言った。数手後、白石は完全に封じられ、息の根を止められた。
「……参りました」
許公子がようやく小声で呟き、頭を下げた。秋霖は静かに礼を返す。
「お相手、痛み入りました」
秋霖が立ち上がると、周囲は言葉を失った。白と黒が並ぶ盤上で何が起きたか理解できなかった者も、これが完勝であったことは、誰の目にも明らかだった。
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