白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第四十四話




第四十四話



 冬を前に、秋霖と顧涵仁は軍を率いて、燕雲城へ続く山の街道に出没する山賊の討伐任務に当たっていた。
 川の氾濫による被災地から流れてきた者や、長引く戦で飢えた兵が落ちぶれて賊となる例も多く、街道を通る商人たちの被害は年々深刻さを増していた。越冬を前に討伐を終えなければ燕雲城の民達の生活も苦しくなる。
 鬱蒼とした木々が生い茂る山は視界が悪く、任務の最中に秋霖は、不覚にも毒矢を受けた。

 鋭い痛みが肩口に走り、瞬間、身体の内を駆け巡る熱に顔が歪む。

「十二年前、南から来たたった一人の男に仲間を滅ぼされた!絶血火散ぜっけつかさん!これは武芸に長けた者を殺す毒だ!お前も足掻き苦しむがいい!」

 秋霖の槍が男の胸を貫いた刹那、山賊の頭目は血を吐きながら狂気じみた笑みを浮かべ、断末魔の声を残して崩れ落ちた。
 突き刺さった毒矢を歯を食いしばって引き抜くと、全身の気が乱れ、内力の巡りが急速に鈍っていくのがわかった。呼吸が荒くなり、指先が痺れる。
 その時、別部隊を率いていた顧涵仁が駆けつけてきた。土埃を巻き上げて馬を飛ばし、地面に跳び降りると、すぐさま秋霖の傍に駆け寄った。

「秋霖!」

 血相を変えたその声に、秋霖はかろうじて顔を上げる。身体の奥に潜り込んだ毒を、丹田の気で無理やり押し戻すようにして巡らせる。吐き気と眩暈に襲われながらも、必死に気を練り、毒を内から吐き出した。しばらくして、ようやく痺れが引き、視界が戻る。
 秋霖は袖で口元をぬぐいながら、わずかに息を整え、顧涵仁に向き直った。

「……問題ありません。毒はあらかた抜きました。頭目は倒しましたが、まだ残党が逃げています」

 その言葉に嘘はなかったが、顧涵仁の目には不安が映っていた。秋霖の顔色は明らかに悪く、吐き出しきれなかった毒の気配が、まだ微かに体内に残っていた。
 しかし面妖な山賊たちは地の利を活かし、複雑な山道を逃げ回るため、この機を逃すまいと秋霖は傷の手当もそこそこに追撃を優先した。幸い矢傷は浅かったが、任務を終えて帰還すると同時に高熱を発し、丸一週間、床に伏すこととなった。

「このまま熱が下がらねば命も危うい」と医師に言われ、顧家と凌家の者たちは日替わりで秋霖の枕元に詰め、悲痛な面持ちでその回復を祈った。
 中でも虎渓は、ほぼ一日中、秋霖の側を離れなかった。あまりの熱心さに凌峰が呆れて引き戻しに来るほどで、そのたびに虎渓は「秋霖は魂の半分なのだ」と言い張り、看病の場を離れようとしなかった。

 八日目の深夜に、秋霖はようやく意識を取り戻した。
 腕にぬくもりを感じて視線を移せば、虎渓が手を握ったまま眠り込んでいる。彼の額には疲れが浮かび、髪が頬にかかっていた。

「虎渓、自分の部屋に戻って休め……」

 秋霖はそっと腕を引き抜き、眠る虎渓の頭を軽く撫でる。すると虎渓は目を覚まし、驚きと安堵の入り混じった表情でぱっと顔を上げた。

「秋霖……!!」

 思わず手を握り直し、その額に触れて熱を確かめる。まだ微熱は残るが、危機は脱したようだ。

「ああ、よかった。熱が下がってるな」
「……水をくれるか」
「待ってろ」

 虎渓は急須から白湯を注ぎ、慎重に茶杯を手渡した。秋霖が飲み終えるのを見届けると、薬を煎じに行こうと立ち上がる。

「薬を煎じてもらえるよう言ってくる」
「いい、誰も起こすな。今はだいぶ楽だ、朝でいい」

 言われた通りに戻ってきた虎渓は、寝台に腰を下ろして秋霖を寝かせる。しばしその顔をじっと見下ろし、掌でそっと額を撫でた。

「阿秋……俺は生まれて初めて、死ぬほど怖い思いをしたぞ」

 静かに紡がれた言葉には、計り知れぬ不安と恐怖が滲んでいた。秋霖は安心させるつもりで口元に微笑みを浮かべる。

「大袈裟だな……」
「何日眠ってたと思ってる。医者には、熱が下がらなければ命はないとまで言われたんだぞ」

 顧涵仁に支えられて帰還した後の記憶は、秋霖にはほとんどなかった。両親や弟、そして虎渓にも、深い心配をかけてしまったことを自覚する。

「……迷惑をかけた」

 額を撫でる虎渓の手を握り、冗談めかして言葉を返す。

「虎渓、お前のような大男が甲斐甲斐しく男の世話を焼くなんて……皆に笑われていないか」
「父上には呆れられたがな。人の目なんてどうでもいい。俺がいない間にお前がいなくなるかもしれないと思うと……離れられなかった」

 虎渓の声に滲むのは、安堵と未だ消えぬ恐れだった。戦で怪我を負ったことは何度もあるが、丈夫な秋霖が一週間も寝込むなど初めてのことだった。幼い頃は虎渓の方が無茶をしては熱を出していたのに、立場が逆転している。

「私はそんなにやわじゃない……」
「叔父上から聞いたぞ。毒もちゃんと抜かずに戦ったから、少量でも巡ってしまったって。ちょっとの傷でも侮るから、こうなるんだ」

 耳が痛いなと秋霖は苦笑し、小さく頷いた。

「虎渓、私の心配もいいが、お前こそ疲れているだろう」

 虎渓の目の下にはくっきりと疲労の影が落ちていた。秋霖が柔らかく声をかけると、虎渓は一瞬視線を彷徨わせたのち、にやりと笑う。

「なあ、布団に入れてくれ」
「……今のお前は大きすぎるぞ。もう入らないだろう」
「やってみなきゃ分からん」

 秋霖が奥へ詰めて場所を空けると、虎渓はその隙間に潜り込んできた。子供の頃と変わらぬように、ぴたりと体を寄せてくる。長身の男二人が寝台に収まるには無理があるが、それでも彼は無理やり秋霖に抱きつくようにして丸くなった。

「お前と俺は、きっと前世でも縁が深かったに違いない」

 すぐ側で虎渓が呟いたのを聞きながら秋霖は仰向けになって目を閉じた。
 
「…例えば?」
「夫婦だ」
「ふっ……どちらが妻だ」

 秋霖が思わず吹き出す。

「お前だ」
「お前だろう」

 くだらない言い合いに戻れる安堵が、ふたりの間に漂う。しばらくふざけた後、虎渓は秋霖に額を寄せるようにして甘えた声で言った。

「……どちらでもいい。俺を一人にしないでくれ」

 その言葉の重みは、寝台をともにするほどの距離だからこそ真っ直ぐに伝わる。秋霖は薄目を開けて隣を見た。虎渓はすでに目を閉じ、呼吸がゆっくりと落ち着いている。

「阿虎……」

 秋霖もまた、静かにその頭を寄せた。

「お前を一人にはしない」

 その囁きは、もう夢に落ちた虎渓に届いたかは分からなかったが、確かに彼の心に寄り添うような温度を宿していた。


 翌朝、秋霖の容体を確かめに来た如清と夏霖と入れ替わるように、凌家の春花三姉妹が見舞いに現れた。
 梅霞は十七、杏霞は十五、末の季霞は十二歳になっていた。梅霞は丹瑤に似て器量がよく、気品ある立ち居振る舞いを自然と身につけている。杏霞は虎渓に似て明るく甘え上手で、朗らかさに人を巻き込む力がある。末の季霞は人見知りがちな少女だが、凌峰すら認める武の才を持つと言われていた。

「秋兄様、おかゆを作ってきたの!食べて」

 杏霞が笑顔で、蒸籠に入った椀の乗った折敷を机に置く。

阿杏アーシンは器によそっただけでしょうに」

 その様子を見ていた梅霞が呆れたように片眉をあげ、そっと言葉を挟んだ。

「秋兄様、あげる……」

 季霞が恥じらうようにして、秋霖へ包みを差し出した。秋霖がそれを受け取り、丁寧に紐をほどくと、中には干した果物が並んでいた。香りのよいあんずすももが、小さく丁寧に包まれている。

「美味しそうだ、ありがとう」

 秋霖が一つ摘んで笑いかけると、季霞はぱっと顔を赤くして、姉の梅霞の背に隠れた。

「夏にみんなで作ってたのよ」

 代わりに梅霞が柔らかく答え、続けて彼女自身も包みを差し出す。

「香袋を作ったわ。秋兄様がよく休めるようにって、調香してみたの……」

 梅の花の刺繍がほどこされた赤い香袋で、薬草の香りにほのかな花の甘さが混じっている。秋霖はその精緻な刺繍と香りに目を細めた。

「よくできてる。梅霞は器用だな」

 ちょうどそのとき、着替えを済ませた虎渓が部屋へ戻ってきた。姉妹たちがそれぞれに持ち寄った見舞いの品を見て、どこか納得がいかないような顔で問いかけた。

「おい、阿梅アーメイ。俺にはまだ作ってくれてないのに、秋霖にはあげるのか?」
「……兄様のはまだ作ってる途中なの。それに、丹瑤姉様が作ってくれたのがあるでしょ?」
「秋霖だって持ってるぞ?!」
「秋兄様は病み上がりなのよ!兄様と違うじゃない!」
「なっ……」

 言い返しかけた虎渓だったが、梅霞に軽く睨まれて黙り込んだ。
 そのやりとりの横で、杏霞はお粥の椀を手に取り、れんげに少量をすくってふーふーと冷まし始めていた。そして、にこにこと秋霖に近づく。

「秋兄様、はい、あーんして」
「ありがとう、阿杏。自分で食べられる」

 秋霖は苦笑してれんげを受け取り、ゆっくりと口にした。

「阿杏~……俺には近寄ってもこないくせに……」

 虎渓が拗ねたようにぼやくと、杏霞は無言で兄を一瞥し、また秋霖へと視線を戻した。それを見かねたのか、季霞がそっと果実をひとつ掴み、虎渓に差し出す。

「虎兄様……」
季季ジージー……俺のことをわかってくれるのは、お前だけだ……」

 虎渓は果実の甘さを噛みしめながら姉たちをうらめしそうに睨んだ。その後も姉妹たちは賑やかに話し込み、長居しそうな気配を見せたので、虎渓は半ば強引に彼女たちを追い出し、凌家へと戻らせた。

「……俺の妹たちはみんな見る目があって困るな」

 そう言いながら、虎渓は秋霖の寝台に腰掛けた。秋霖は果実を口にしながら、小さく咳払いし、布団をめくって立ちあがろうとする。

「……そろそろ軍に戻らねば。体も鈍る」
「まて!まてまて、まだ行くな!」

 慌てて虎渓は秋霖の肩を押し戻し、寝台に押し倒す。

「おい、放せ」
「せめてあと一日は休んでいろ!昨日まで生死を彷徨ってたんだぞ!?」

 虎渓の制止を無視して、秋霖は抵抗し、腕の中から逃れようともがく。しかし病み上がりの身体では、力強く抱きしめられるともうどうにもならなかった。

「心配しすぎだ、お前は……」

 その言葉を最後に、虎渓の唇が秋霖の口を塞いだ。

「んっ……?!」

 柔らかく、熱を帯びた感触が唇に触れた。秋霖は驚きに目を見開き、後頭部を押さえられて逃げ場を失い、ただ虎渓の服を掴んだまま息を止めるしかなかった。

「ん、んぅ……」

 抵抗もままならず、ようやく唇が離れたとき、秋霖は呆然としたまま寝台に横たえられていた。

「……な……?まだ寝ていろ」

 虎渓はそっと秋霖の頬を撫でる。その手つきは、咲いたばかりの花に触れるようにやさしい。照れ隠しのような笑みを浮かべたその顔を、秋霖はただ無言で見上げていた。
 
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