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幻燼夢
第四十七話
第四十七話
後宮を出て、侍女たちを伴い内廷を歩いていた昭月公主と虎渓は、ちょうど宮門の手前で皇弟・舒王と鉢合わせた。それは偶然ではなく、彼が待ち構えていたのは明らかだった。
舒王こそが、皇太子を脅かすもう一つの派閥を率いる張本人である。齢五十で、皇帝が二十代の頃に授かった年の離れた庶弟だ。かつては「賢王」と称され、穏やかで聡明な人物として知られていたが、それは表向きの顔にすぎず、派閥を築くようになってからは、皇太子派の者から「狡猾で腹黒く、疑念深い男」とささやかれている。
舒王に気づいた昭月公主は一度足を止め、傍らの虎渓に目配せをした後、笑顔を作って近寄った。
「舒王様」
軽く膝を曲げ、礼を示すと、舒王は後手を組みながら二人を見渡した。
「昭月、久しぶりだ。見舞いに来ていたのだな」
「お久しゅうございます。本日、ようやく都に到着いたしました」
昭月公主は宮中らしい丁寧な口調で返し、傍らの息子へ視線を向ける。
「息子の虎渓ですわ」
「殿下!お久しぶりです!」
虎渓は軍人らしく一際大きな声で、深く礼を取った。その声に舒王が一瞬たじろぎ、昭月公主も思わず眉間に皺を寄せた。
虎渓には、好まぬ相手に対して無意識に声を張り上げ威嚇する癖があった。秋霖にはそれを"吠える"と例えられ、たびたびたしなめられていた。
「……阿虎か。大きくなったな。其方の父上にそっくりだ」
舒王は虎渓をゆっくりと眺め、皮肉を含んだように笑う。そして再び昭月へと視線を戻した。
「昭月、久方ぶりに顔を見たことだし、近いうちに我が邸にでも参らないか。ゆっくり話をしたい。虎渓とも久しく会っておらぬし、故郷の様子など、聞かせてほしいものだ。」
「ええ、ありがたきお言葉ですわ。積もる話もございますし、ぜひ改めて伺わせていただきたく存じます。」
「では──」
舒王が言葉を継ごうとしたところで、昭月公主が静かに先手を打った。
「ですが舒王様、虎渓が陛下にお目通りしたところ、陛下のご様子が幾分かお健やかに見えましたの。都に滞在している間は、できる限り陛下のそばに仕え、顔をお見せ申し上げたいと考えております。」
「……それはもっともだな。私も陛下の御身を案じておる。どうか、我が気持ちもあわせてお伝え願えないか」
表面上は微笑を崩さぬものの、その瞳に走った一瞬の陰りは、虎渓の目にもはっきりと映った。腹の探り合いは、虎渓が最も不得手とする分野である。母の涼やかな言葉の切り返しに、尊敬の念すら抱いていた。
「もちろんですわ。舒王様のお心は、しかと陛下にお届けいたします。」
にこやかな笑みを絶やさぬまま、昭月公主は空を仰ぎ見る。
「それにしても、今年の冬も寒くなりそうですこと。歳のせいか、道中の寒さが身にこたえました。舒王様もお気をつけませんと、お体に障りますわ」
遠回しな会話の締めくくりに、舒王もさすがに言葉を重ねることはできなかった。
「ああ。其方も長旅で疲れただろう。しかと休んでくれ」
「お言葉に甘えて。これにて失礼させていただきます。」
昭月公主が粛々と侍女たちを従えて歩き出すと、虎渓も舒王を一睨みしてから力強く礼をし、母のあとを追った。
二人の背が遠ざかっていくのを見届けながら、舒王はそばに控える宦官に低く命じた。
「後をつけさせろ」
「承知しました」
宦官は静かに頷き、そのまま下がっていった。
*
「母上、これからどう出る」
都の喧騒を抜け、凌侯府への帰路。虎渓は馬車を追う不穏な気配を察し、追手を素早く捕らえて地面にねじ伏せた。その手際に迷いはない。
屋敷に戻ると、昭月公主は連れてきた侍女と護衛だけを残し、他の使用人たちをすべて解雇してしまった。これからは、口にする食べ物一つとっても、慎重に選ばなければならない。
「都での行動は、すべて舒王に見られてると思った方がいいわね」
一息つける寝間に入ると、昭月は湯気の立つ茶碗を手に取り、静かに啜った。虎渓もその隣に腰を下ろす。
「今まで派閥に関わってこなかったから、新しい情報を得るにしても、すべてが後手に回っているわ」
冬の空気は深まり、屋敷の外ではすでに雪が降り始めていた。ひとたび積もれば、燕雲城への移動は困難を極める。虎符を凌峰へ届けるには早馬で駆けるしかないが、昭月公主を伴えば、舒王の追手に捕まる恐れは高い。
「都は虎穴だ。しかも、“小虎”を父上に届けなきゃいけない」
虎渓は苦々しげに呟き、茶を一息に飲み干す。
「これなら、最初から立場を明らかにしておいた方がよかったんじゃないか……」
空になった茶杯に新たな茶を注ぎながら、昭月公主は息子の焦燥を嗜めるように言った。
「虎虎、あなたは“大虎”の子なんだから、しっかりしなさい。あの人が国への忠誠を貫いているからこそ、陛下は“小虎”をお預けになったのよ」
それはどちらの派にも与しない者だからこそ、得られた信頼だった。しかし、玉座を狙う者にとって虎符は、喉から手が出るほど欲しい力だ。
「母上、“俺の弟”は、俺が預かってなくて大丈夫か……?何かあったら、心配だ」
冗談めかしつつも、不安をにじませて尋ねた虎渓に、昭月は胸元に手を当て、ひと呼吸置いてから静かに首を振った。
「いいえ。むしろ舒王は、あなたが持っていると疑っている可能性があるわ。あなたが北軍に合流することを、彼は何よりも恐れているはず」
そう言って、彼女は安心させるように虎渓の手の甲を軽く叩いた。
「大丈夫よ。もし見つかっても、舒王は体面を重んじる男。皇女の私にすぐに手を出してきたりはしないわ……皇太子のことも同じよ」
舒王は玉座を奪うために、大義名分を何よりも重視している。だからこそ、これまで慎重に動いてきた。強硬手段に出れば、かつての内乱のように、凌峰によって粛清されることを恐れているのだ。
「虎渓、手を出して」
「……?」
言われるまま、虎渓は両掌を差し出した。昭月は小皿に並ぶ茶菓子を一つ摘み、息子の手のひらに乗せた。
「皇太子の実父である許宰相はもちろん味方だけれど、陛下は許家が力を持ちすぎるのを警戒してらっしゃるわ。恩を売るのはいいけど、借りを作ってはだめよ」
言いながら、彼女はさらに二つ、茶菓子を積み重ねていく。
「長奉の様子を見るに、礼部は皇太子派。陛下が崩御された時には、葬儀を主導するのは皇太子になるでしょう。吏部も許宰相の影響下にあるわ」
掌に置かれる茶菓子と母の顔を、虎渓は交互に見つめる。
「それから、宮中で皇太子を警護している宿衛ね。そして……一番の問題は禁軍よ。今は皇太子派だけれど、彼らは一枚岩じゃない。ただ、許宰相のことだから、工部も抑えているはず」
茶菓子はさらに積まれ、虎渓の掌はもう満杯だった。
「じゃあ、それ以外は舒王の派閥ってことか」
「そうよ。以前の私たちのように中立を保っている貴族もいるけれど……それも陛下の崩御で、情勢は変わるわ」
ようやく手を止めた昭月は、遠くに視線をやりながら、小さく息を吐いた。
「あなたの父上は実直だから、利権で人を懐柔するのを最も嫌うの。だから都には“友人”が少ないのよ……困ったわね」
「さすが父上だ」
虎渓は小さく笑い、手に持たされた菓子を順番に口に放り込んだ。その様子に、昭月は呆れたように額を指先で軽く小突いた。
「まったく、この子ったら……。私たちの立場は、もう明確になったのだから、まずは涵仁に伝えないと。しばらくは都から動けないわね」
「叔父上は北軍の知将だ。それに俺と秋霖がいれば、舒王の軍など相手にならんぞ」
手のひらに残った菓子の粉を払いながら、虎渓は明るく笑って席を立った。
「屋敷を見回ってくる。母上、ゆっくり休んでくれ」
「ええ。あなたも早く休みなさい」
頷く昭月を背に、虎渓は戸を開けて廊下へ出る。中庭には薄く雪が積もり、遠くで時の鐘が静かに鳴っていた。夜は深く、そして静かだった。
広い屋敷を歩きながら、虎渓は母の言葉を思い返す。政を憂う気持ちはあっても、自分には関わる術がない。ただ、矢面に立つ母を守り、虎符を燕雲城へ届ける。それが、今の自分にできるすべてだ。
どうすれば、母の負担を少しでも軽くできるだろうか。もっと、何かできることはないのだろうか。
虎渓は小さく息を吐いた。吐息は白く凍り、空へと昇って消えていく。不安な時、彼はいつも秋霖に打ち明けていた。
「まったく、あいつがいないと落ち着かないとは……情けないな」
自嘲気味に肩をすくめたが、その声には冗談めいた響きはなかった。
いつも背後には秋霖がいた。それが当たり前だった。彼がいたからこそ、どの戦場でも安心して戦えた。だが、自分は一人で立っていたつもりでも、実は彼の背に凭れていたのだと、今になってようやく気づく。
ここに彼がいれば、どれだけ心強かったか。
「……傍にいないと、こんなにも、心許ないんだな」
空を仰げば、冷たい夜気が肌を刺すようだった。
――口づけてしまったこと、まだ怒っているだろうか。
「秋霖……お前の顔が見たい」
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