白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第四十九話




第四十九話



 葬儀が終わったその日、昭月公主は息つく間もなく、皇太后からの呼び出しを受けて参内した。彼女の母、すなわち先帝の正妃は既に早世しており、今の皇太后は義母にあたる。
 安嘉宮に訪れた昭月公主は御簾の前で足を止めた。

「太后様……」

 低く呼びかけて礼を取ろうとしたその瞬間、御簾の奥から皇太后が血相を変えて立ち上がり、駆け寄ってきた。

「昭月……!」

 その顔は、悔恨と悲痛に染まっていた。
 震える手で公主の手を取り、すぐに近くの几帳の前へと導く。宮女に支えられながら腰を下ろすと、胸元を押さえ、しばし言葉を選んでいた。

「私は……私は……!」

 唇を震わせる義母に、昭月公主は息を呑み、続きを待つ。

「私は……舒王に脅されて詔を書いたわ……書かなければ、皇太子の命はないと……」
「なんと、悪辣な……!」

 昭月公主の声に怒気がにじんだ。皇太后は深くうなだれたまま、言葉を続ける。

「皇太子は病で即位の儀式を行えず、舒王が監国として暫定的に政を執ると……。その旨が、近いうちに発令されるわ……」

 膝上で昭月公主の指が静かに拳を握った。
 皇太子を即位させる虎符の密詔は、皇太后と皇太子、そして虎符を持つ者のみが知っている。力付くで奪われないためにも、武力が整うまで明らかにすることはできない。
 舒王は、正式な即位が行われる前に動いたのだ。

「そう……“監国”の立場を借りて、王座を乗っ取るつもりなのね」

 昭月公主は低く呟き、目を伏せた。
 監国とは、皇帝不在の間、国政を一時的に代行する立場にすぎない。だが、一年に及ぶ喪が明けるまで、朝廷を掌握するには十分だ。

「皇太子殿下は、今どちらに?」
「……おそらく、まだ東宮よ。宿衛と禁軍がずっと睨み合っているわ」
「まさか禁軍が裏切るとは……」

 昭月公主の声に苦味がにじむ。禁軍、宿衛、巡衛は都における三つの武力であり、内二つが舒王に掌握されていた。皇太子は事実上、東宮に幽閉されている。
 皇太后は顔を伏せ、首を振った。

「……禁軍大都督の妹君の夫が離叛して、禁軍内部で勢力が分裂したの。きっと、弱みを握られたのでしょう。大都督のお立場では、義弟にも皇太子にも手が出せない。だから、今は……ただ睨み合いを維持しているのが精一杯なのよ」

 舒王は何十年もかけて都の人脈と武力を掌握してきた。もはや皇太子派の力は、正統性という名の細い糸にすがるのみである。
 それでも昭月公主は、義母の暗い面持ちに、わずかでも希望を与えようとした。

「太后様……時間はかかるでしょうが、皇太子殿下がご無事である限り、希望は失われません。私と息子が北へ戻るまで暫し、ご辛抱ください」
「……ええ、分かっているわ」

 皇太后はわずかに頷いたものの、その胸元を押さえた手は震えていた。やがて唇をかすかに動かし、まるで何かが溢れ出すように呟き始めた。

「思い返せば……祺儿チーアル悠儿ヨウアルは……私の悠儿は……。あの頃はまだ子どもだからと、気にも留めていなかったけれど……。あの事故は……あの男……わざと助けなかったのよ……!!」

 震える声が、次第に怒りに染まっていく。
 祺儿は正妃の嫡子であり、昭月公主の兄だ。悠儿は、皇太后が身籠った唯一の皇子だった。二人は少年の頃、乗馬の事故によって命を落とした。あの悲劇が、皇族の力学を大きく変えてしまった。
 昭月公主は当時の惨劇を思い返し、きつく瞼を閉じた。
 事故当時、皇子達と共に乗馬していた舒王は、祺儿より少し年上でまだ少年であった。舒王は二人の死に直接関係していなかったが、あの日を境に、先帝と舒王の間に大きな溝が生まれてしまった。

「……あの男が玉座に座ることだけは、決して許さないわ……!」

 皇太后は叫ぶように言い、声は悲鳴に近かった。その胸には、息子の死という、癒えぬ傷が今も燃えさかっていた。
 その時、御簾の外から宮女が小さく忍び寄り、緊張した面持ちで言上した。

「皇太后様、公主様……。舒王様が、御目通りを願われております」

 二人は一瞬その場に凍りつき、互いに顔を見合わせた。言葉は交わさずとも、二人の表情がすべてを語っていた。
 次の瞬間、昭月公主は立ち上がりざま、わざとふらりと身を揺らし、目眩を装ってよろめいた。

「昭月!? 昭月!! しっかりなさい!」

 皇太后がすぐに駆け寄り、その身体を支える。慌てて駆けつけた宮女たちに、太后が鋭く命じた。

「早く大医を呼んで!早く! 奥の部屋へお運びして! 舒王には……事情をお伝えして出直していただくように!」

 命を受けた宮女たちが一斉に動き出す。昭月公主は腕をとられ、奥の静かな部屋へと運ばれた。
 寝椅子の上に身を落ち着けると、やがて御簾が上がり、一人の大医が姿を現す。だが、その顔は昭月にとって見慣れた者ではなかった。彼女はわずかに眉をひそめ、腕を差し出すことを拒んだ。

「……楊大医ではないのね」

 困惑した表情を浮かべた大医は、戸惑いながらも静かに口を開く。

「公主様、脈を取らなければ、症状を見極めることができません……」
「私も父上も、長年楊大医に診ていただいていたの。彼は今、どこに?」

 問いに対し、大医はわずかに目を泳がせ、言葉を選ぶように答えた。

「……ああ、楊大医は……ご高齢を理由に、自ら職を辞されました」

 昭月公主の眼差しが冷たくなる。

「そう……」

 その一言には、怒りと悲しみがにじんでいた。先帝に忠義を尽くした名医が、舒王の圧力を拒んで追放されたのだ。昭月公主は心を痛めた。
 彼女は静かに息を整え、問いを変えた。

「ところで、皇太子殿下は病を患っておられると聞いているわ。どのようなご様子なのかしら?」

 平静を装いながら、鋭い眼差しで大医を見つめる。
大医はあらかじめ用意された答えを、まるで台本を読むかのように口にした。

「皇太子殿下は……先帝の崩御に深く御心を痛められ、ここ数日、床を離れることも叶わぬご様子です。脈はやや乱れ、食も細く、何より人との対面をお望みになられておりません」

 昭月公主は大きく溜息をつき、言葉を挟まずに侍女へと目配せした。侍女は心得た様子で、手に包んだ心付けをそっと大医に差し出す。

「……舒王に、私の容体について尋ねられたら。今あなたが言ったことと、まったく同じ内容を伝えていただけるかしら?」
 
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