白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第五十一話




第五十一話


 劉致は一度周囲に目を配ってから、声を落として静かに尋ねた。

「お二方は、先帝から賜ったものをお持ちなのですね……?」
「ええ。舒王は私たちが虎符と密詔を持っていることに勘付いているわ」

 昭月公主が答えると、劉致は頷き、顧涵仁から託された言葉を語り始めた。

「燕雲城へ戻る最短の道は、すでに舒王の軍に監視されており通過は困難を極めます。ですので、玄安を通って北へ向かい、太晋城たいしんじょうで兵を借ります。そこから陽泉鎮ようせんちんを経て、燕雲城へ入るという道筋です」

 昭月公主と虎渓はうなずきながらも、それぞれの疑念を口にした。

「太晋城は如清県主の実家ね。遠回りして行くのは分かるけど、潘家に近いわ。大丈夫かしら」
「しかも、いくら叔母上の兄とはいえ、朔清遠サー・チンユエン殿は表向きは舒王派ではなかったか……? 協力を得られるのか?」

 太晋城の城主、朔清遠サー・チンユエンは、如清の実兄である。
 朔家は寧国を建国した大寧太祖の末裔とされる名門であり、後継争いに巻き込まれぬよう、古くから朝廷とは距離を置いてきた。朔清遠自身も、長いものに巻かれることを信条とする穏便主義の人物として知られている。
 劉致はその問いを想定していたかのように、落ち着いた口調で応じた。

「顧涵仁将軍曰く、密詔と虎符があれば我らの旗本に入るはずだと。朔家が味方につけば、他の諸侯もそれに続くはずです。陽泉鎮へ行けば北軍もそこへ合流できます。合流さえできれば、潘家も手出しはできません」

 陽泉鎮は凌峰の盟友、魏昶ウェイ・チャンの地であり、燕雲城にも近い。虎渓と昭月は目を合わせて頷いた。

「つまり、諸侯を味方につけながら北へ帰るということか」
「長い旅になるわね……。でも、それしかないわ」

 舒王派の追手を避け、関門を潜り抜けて太晋城へ至り、さらに燕雲城まで辿り着くには、順調でも一年はかかるだろう。不測の事態が起これば、それ以上の時間がかかる可能性もあった。

「俺たちが移動している間、皇太子の方は大丈夫だろうか」

 虎渓の問いに、昭月公主は俯いて胸元を押さえ、それから目を上げて答えた。

「もし皇太子が亡くなれば、私たちの持つ密詔が世に出て、舒王は逆賊として糾弾される。舒王が焦らない限りは……大丈夫なはずよ」

 しばしの沈黙のあと、昭月は視線を劉致に移した。

「それで私たちは……この屋敷から、都からはどうやって出るの?」
「それも、事が整い次第、顧涵仁将軍から言伝をいただきます。今後とも、我らが使者としてお手伝いさせていただきます」

 虎渓は頷いて席を立ち、劉致と鏡石に向かって深々と礼をした。昭月公主も、それに続いて頭を下げる。

「さすがは叔父上だ。劉先生、鏡石殿、これから世話になる」
「私からも礼を言うわ」

 二人は姿勢を正して礼を返す。

「とんでもない、寧国の臣下として尽力させていただきます」
「暁流心剣の名に恥じぬよう、必ず皆様をお守りいたします」

 こうして四人は長い旅路への計画を推し進めた。

 
 *


 燕雲城に春が訪れていた。
 山々にはまだ残雪が残るものの、顧家の中庭では白木蓮が見頃を迎えていた。それは如清が好む花で、彼女が顧家に嫁いだ年に植えられたものである。顧家で春を最も早く告げるその純白の花は、秋霖にとっても特別な存在だった。

 彼は庭先に立ち、静かに咲き誇る花々を見つめていた。その背後から、弟の夏霖が駆け寄ってくる。

「兄上、どうでしょう。最後の部分、兄上の言葉を元に修正してみました」

 そう言って差し出した紙には、杏霞の誕生日に贈るために推敲を重ねた詩が綴られていた。秋霖は受け取ると、その場で目を通す。そこには、若々しくも真摯な恋の想いが込められていた。

『杏花初めて綻びて春煙を照らし
 一笑傾城、夢裡むりかる。
 春風は語らず情寄せ難く
 心事を潜かに隠して袖底に眠る。』

「“春風は語らず”……さすが兄上ですね。情緒のある詩になった」

 にやにやと笑う夏霖に、秋霖は視線を落として片眉を上げた。

「……そのうち、兄に相談せずとも自分で詠めるようになるといいがな。清書しておけ」
「いいじゃないですか。私のおかげで兄上の才能も無駄になりませんし」
「……こいつ」

 秋霖が額を小突こうと手を伸ばすと、夏霖はひょいと身をかわして机へ戻っていった。
 秋霖は再び庭に目をやり、満開の白木蓮を見上げる。

 ――春風は語らず、想いはうまく託せない。
袖の中に隠したこの心を、そっと眠らせるだけ。

 夏霖は想いを詩にして伝えることができる。それは幸せなことだと、秋霖は微笑む。だが同時に、そっと目を伏せた。雪が溶け、春が来ても、虎渓にはまだ会えない。彼の無事を祈るたび、胸の奥に不穏なざわめきが広がる。
 恋の詩に、自分の気持ちを重ねるなど、愚かしい。そう思っても、思いは勝手に芽吹いてしまう。
 もう二度と、彼に会えなくなるのではないか。その考えが胸を締めつける。
 
 ――かつて、自分が毒に倒れた時、虎渓も同じ思いを抱えていたのだろうか。

 秋霖はそっと胸元に手を当て、苦しげに咳き込んだ。

「兄上……その咳、やけに長引いてませんか?」

 心配そうな声をあげた夏霖の方を、秋霖は振り返る。

「阿秋、咳を侮っては駄目よ。薬を煎じましょうか」

 ちょうど如清が、侍女とともに茶を運んで現れたところだった。だが秋霖はすぐに首を横に振る。

「大丈夫です。軍医に診ていただいてますから」
「でも……」

 如清が口を開きかけたとき、廊下の向こうから大股の足音が響いてきた。音だけで誰かは分かる。次の瞬間、力強い声が部屋を貫いた。

「秋霖! 涵仁から文が届いたぞ!」

 顧家の者たちは一斉に礼を取ったが、凌峰はそれを手で制した。

「いい、すぐに顔を上げてくれ」

 如清と夏霖は顔を見合わせると、察して席を外した。

「お前と一緒に読もうと思ってな」

 そう言って封を破り、手紙を広げた凌峰の目が、瞬時に大きく見開かれた。

「何?! 都の凌侯府を……燃やしただと!?」

 書状には、昭月公主と虎渓が顧涵仁の手引きで無事に都を脱し、玄安に向かっていることが記されていた。脱出のために凌侯府を焼き払うという強硬策が取られたことに、凌峰はしばし絶句し、やがて唸るように言った。

「……まあいい。家などまた建てればいい。命には代えられん。敵の目を欺くためなら致し方ない」

 秋霖は手紙を受け取り、改めて文面を読んだ。丁寧に折り畳んでから凌峰に返し、そして深く頭を下げる。

「伯父上、援軍を出すのであれば、私を太晋城へ向かわせてください」

 凌峰は受け取った手紙を懐にしまいながら、難しい顔で首を振った。

「だめだ。太晋城へ兵を出せば、そこで西軍と全面戦争になる」

 西軍と北軍が衝突すれば国を二分する内戦の幕開けである。そうなれば、北彊の侵攻を招き、寧国は背中を刺される事になる。北軍は正統性を盾に、舒王に挙兵させず、あくまで“制圧”の形で都を取らねばならない。
 秋霖も理解はしていた。だが、ただ待つことが心苦しかった。

「涵仁たちが陽泉鎮まで辿り着けば、魏昶が必ず守ってくれる。阿秋……お前の出る幕ではない。気持ちは分かるが、備えて辛抱してくれ」
「……承知しました」

 静かに頭を下げた秋霖の背に、木蓮の花が風に揺れていた。春は確かに訪れていたが、心の内にはまだ、冬の寒さが残っていた。
 
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