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幻燼夢
第五十五話
第五十五話
西軍の軍馬を奪い、虎渓は濡れた山道をひたすら駆けていた。その途中、見覚えのある一台の馬車が道脇に乗り捨てられているのを見つけ、思わず手綱を引いた。
「まさか……」
嫌な胸騒ぎが背筋を這う。虎渓は馬上から身を乗り出し、その先に視線を走らせた。道沿いに点々と転がる兵の死体。それは一筋の血の道となって、山道の先へと続いていた。
敵を斃しながら、それでもなお前へと進んでいった者が刻んだ赤い道だった。虎渓は息を呑み、警戒を保ちながら慎重に馬を進めた。
「くそ……この近くの山を捜索してたのか……!」
その死体の列はあまりに長く、たった一日で築かれたものではない。倒れた兵たちの斬られ方を見て、誰の仕業か、虎渓にはすぐに察しがついた。もっと早くここにたどり着いていればと胸に悔恨が広がる。
やがて、死体の途切れた道の先に小さな人影が見えた。膝をつき、前かがみになって蹲っている。
「鏡石!……っ!」
虎渓は馬から飛び降り、泥を跳ね上げながら駆け寄った。鏡石は雨に濡れて全身が冷え切っており、数日間に及ぶ激闘の末、すでに精魂尽き果てていた。
「鏡石……?!」
肩を支えて揺さぶると、睫毛がわずかに震えた。かろうじて息はあり、赤く染まった唇が微かに開かれる。
「虎兄……」
かすれる声に、虎渓はすぐに腹部の傷を探った。深く貫かれた傷口からは、まだ血が流れ続けている。虎渓は自身の外套を剥ぎ取り、鏡石の身体を包み込んだ。その背にあった剣は刃先がすり減り、既に限界を迎えていた。
彼は静かにそれを外し、自分の背へと回した。
「師匠から貰った丹薬を飲みましたが、血を流し過ぎました……もうもちません」
「喋るな」
虎渓は鏡石をしっかりと抱き上げ、馬へ押し上げると、自らもすぐに鞍へまたがった。だが、鏡石はゆるく首を振り、かすれた声を絞り出す。
「足手纏いです……置いていってください……」
「喋るな!俺がお前を置いていくと本気で思うなら、俺のことを二度と虎兄と呼ばせないぞ」
「ふふ……」
鏡石は薄く笑い、静かに虎渓の背に身を預けた。そのまま、意識が落ちるように、深く沈んでいく。虎渓は傷に障らぬよう、細心の注意を払って馬を進めた。
途中、小さな沢を見つけると、虎渓は馬を止めて鏡石を下ろす。岩の陰に身体を休ませ、川の水で傷口の周りを拭き、持っていた傷薬を丁寧に塗ってから、火を起こし、外套で包んだ身体を温めた。
闇に包まれた静寂の中、焚き火の赤が鏡石の顔を照らす。その顔はまだ幼さを残し、安らかにも見えた。
虎渓は傍らに座り、そっとその手を握った。
「鏡石、お前のおかげで助かったぞ」
そっと呟くように言ったが、鏡石の反応はない。胸の上下はかすかに動いているが、その呼吸は次第に弱くなっていた。
「燕雲城に来てくれる約束だろう……!」
炎がぱちんと音を立てた。虎渓は、もう一度強く、彼の名前を呼んだ。虎渓は夜が開けるまで手を放さなかった。
*
日が西に傾き、山道に夕暮れの色が差し始める頃、虎渓は鏡石を抱えたまま、まっすぐな道を馬で駆けていた。その腕の中にある身体は、まるで霜に覆われたように冷たく、静かだった。
それでも虎渓は何度も呼びかけ、何度もその頬に声を寄せた。
「鏡石……しっかりしろ、もうすぐだ。太晋城が見えてる……!」
けれど、鏡石は返事をしなかった。
「たのむ……秋霖に……会ってくれ……」
支えていた手のひらに感じていたかすかな鼓動が、徐々に、そして確実に薄れていく。虎渓は言葉もなく、ただ涙を流しながら、その身体を強く抱き締めた。
目前にうつる太晋城の城門には、すでに兵の影があった。門上で兵の先頭に立つ二人の男は顧涵仁と、太晋城の城主、朔清遠だ。ふたりは静かに佇み、遠方を見据えていた。
「……あれか」
朔清遠が目を細める。土煙を巻き上げながら、一頭の馬が地平線の彼方からこちらへ向かってくる。
「虎渓!」
顧涵仁の声に応じて、兵たちが門を開けた。金属の軋む音が響き、重々しく城門が上がっていく。虎渓の馬はその隙間を駆け抜け、太晋城の中へと滑り込んだ。
馬が止まるよりも早く、虎渓は地面に飛び降りる。その腕の中には、鏡石が静かに抱かれていた。顧涵仁が駆け寄り、その姿に言葉を失う。
「鏡石……」
腕の中の鏡石は、もはや何も言わない。ただ、まるで眠っているように穏やかな顔で、虎渓に抱かれていた。
「……遅かった、俺が……」
震える声を漏らしながら、虎渓は涙を堪え、朔清遠の前に出て深々と頭を下げた。朔清遠は顧涵仁に目をやる。
「この者は……?」
「鏡石といいます。南から来た剣士で、我々に命を懸けて尽くしてくれました。彼のおかげで、追っ手に阻まれることなくここまで辿り着けたのです」
顧涵仁は鏡石の肩にそっと手を置き、瞼を伏せた。
「すまない、彤一……」
朔清遠も静かに目を閉じ、そしてやがて顔を上げると、城兵に向けて命じた。
「将の忠臣を、丁重に迎えよ」
命を受けた兵たちが無言で歩み寄り、虎渓の前に膝をついて鏡石の遺体を丁寧に受け取る。虎渓はゆっくりと手を離し、立ち尽くす。
やがて彼は姿勢を正し、その場に膝を折って朔清遠へ礼を捧げた。
「朔伯父上、鏡石は俺の弟分です。手厚く弔っていただけること、感謝いたします」
「……私はお前の伯父上ではないぞ。もう良い、今日は休め」
朔清遠は鼻を鳴らしてそう言うと、虎渓の腕を取って無言で立ち上がらせ、城内へと歩み去った。朔清遠と凌家に血縁はないが、虎渓は秋霖を真似て朔伯父上と呼び、朔清遠は毎度それをやんわりと否定していた。
「叔父上、母上たちは大丈夫か」
虎渓が顧涵仁の方へ向き直ると、彼は頷いた。
「無理をさせてしまったが、大事には至っていない。到着してからずっと休んでおられる」
「叔父上……ありがとう」
「虎渓、お前もよくやってくれた」
わずかに表情を和らげた顧涵仁に一礼すると、虎渓は城内へ向かって歩き出した。その背に揺れる剣は、痛みと共に、持ち主の最期を語っているようだった。
その様子を見た顧涵仁が、思いつめたように声をかけた。
「虎渓……。その剣を……鏡石の師匠に返してやろう。私が手紙を書いて、必ず送り届けさせる」
虎渓は立ち止まり、静かに頷いて引き返すと、背負っていた剣を外して顧涵仁に差し出した。
「俺の気持ちも伝えてほしい。叔父上の字は、綺麗だから……」
「ああ……」
顧涵仁は剣を受け取り、しっかりと抱いた。虎渓は鼻を啜りながら背を向け、足取り重く去っていく。顧涵仁は、言葉なくその背中を見送っていた。
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