77 / 123
幻燼夢
第五十八話
第五十八話
魏軍の到着はすぐに燕雲城に知れ渡った。城郭にいた凌峰と秋霖は馬を走らせ、急いで凌家の屋敷へと戻る。屋敷の前では、すでに魏昶と虎渓が馬を降り、顧涵仁は、馬車から降りようとする昭月公主を支ていた。
「魏昶!」
「凌峰!」
二人は満面の笑みを浮かべて駆け寄り、互いに抱きしめ合った。
「良く来てくれた!世話をかけたな」
「このくらい!お安いご用意です」
互いを労う声が交わされるなか、秋霖と虎渓も見つめあっていた。一歩、踏み込もうとする足に合わせて、相手もまた一歩、近寄ってくる。胸の高鳴りを抑えながら、そっと手を伸ばした。
「秋霖……」
「……虎渓」
凌峰たちのように熱く抱擁することはなかった。互いの体に触れようとしたところで、昭月公主が、胸を押さえながら叫ぶように凌峰に声をかけたからだ。
「あなた…!密詔を開くわ!みんなを集めて!」
その言葉に、秋霖と虎渓は凌峰達に向き直ると、すぐさま動いた。今は国を揺るがす緊急事態であり、一年ぶりの再会を喜び合っている余裕など、なかった。
凌家、顧家、魏昶、そして北軍の将軍たちが正堂に集うと、空気は一気に張りつめた。中央の高座に、昭月公主が静かに腰を下ろす。その手には、封蝋の施された密詔があった。
一同は静かに膝をつき、かしずいたまま、息を呑んで見守る。昭月公主は両手で封を解き、震える指でそれを開いた。そして、細く息を吐き、澄んだ声で読み上げた。
「遺命により、皇太子を正統たる承継者と定め、これを擁し守護する者に虎符を賜う。北彊の守りを司り、国難に備え、忠勇をもって皇恩に報うべし。
北軍総大将凌峰、汝これを受け、天の威を継ぎ、義をもって軍を率い、万民の平穏を護り、逆賊を討ち、天下の太平を成すこと、朕の望みにして、また民の祈りなり。
以て朕が志を継ぎ、勝義をもって乱を鎮め、
その功、天地に刻まれんことを願う――以上」
静寂のなか、一同は一斉に両手をついて深く頭を垂れた。
「臣凌峰、謹んで拝命仕る」
昭月公主は詔を横に置き、胸元から香袋を取り出した。そこには虎符が入っており、彼女が前に差し出すと凌峰は膝をついたまま両手で受け取った。
「この虎符は、天子からの信義の証です。凌峰、しかと受け取りなさい」
虎符の重みは、ただの金属の重さではない。それは国の命運と、先帝の最後の意志の重さだった。昭月公主は高座から静かに周囲を見渡し、ゆっくりと口を開く。
「この詔をもって、我らは天命を継ぎ、正義の旗のもとに立ちます。皆で心して臨み、凌峰を……我が夫を支えてください」
「はっ!」
一同の声が重なり、堂内に響き渡った。燕雲城の空気は一変し、決意と覚悟の熱に満ちた。
侍女たちに支えられながら、昭月公主が部屋を後にすると、一族と将軍たちは立ち上がる。凌峰はその場にいる虎渓と顧涵仁を呼び止めた。
「虎渓、涵仁、疲れているだろうが、着替えを済ませたら戻って来てくれ。皆がいる間に軍議をするぞ」
二人は頷いた。虎渓は秋霖の方に目を向けて、廊下へと出ていく道すがらにそっと声をかけた。
「秋霖……また後でな」
「ああ……」
*
正堂の床に大きく広げられた地図を、将軍たちが囲むように見下ろしていた。凌峰は隣に立つ魏昶に声をかけた。
「お前の兵は、どれくらい用意できる」
「一万です」
彼の即答に、凌峰はひとつ頷く。
「国境に二万。都に進軍するのに四万。諸侯に声をかけて、あと二万は欲しいな」
「舒王の軍は、禁軍や西軍、諸侯の軍も合わせて五万ほどになるでしょう。しかしこちらには詔があります。うまく働きかければ、諸侯の軍を引き剥がすことも可能かと」
魏昶の背後に控えていた将軍の一人が進み出た。
「我らに六万の軍勢があれば、二週間で都を落とせるはず。寄せ集めの軍など、北彊に比べれば恐れるに足りません」
「ああ。だが長く見積もっても、一ヶ月以内には終わらせねば。北彊が動くかもしれん」
凌峰が沈思の表情を浮かべると、虎渓が顔を上げた。
「北彊の動きはどうなんだ」
「……きな臭い気配はあるが、まだ顕著な動きはない。今までにない規模の大軍を編成している可能性もある。もしそうなら、編成が整う前に、皇太子を即位させねばならん」
凌峰は顧涵仁に視線を向けた。虎符を持ち、都を制圧するのは、詔に記された通り凌峰の役目だ。
「涵仁、お前に燕雲城を託すぞ」
「お任せを」
「魏昶、我らと共に都へ進軍してくれ」
「拝命した」
顧涵仁と魏昶がそれぞれ応じ、凌峰は次に虎渓と秋霖に目をやる。
「それから――」
その時、正堂の扉が荒々しく開かれ、伝令が飛び込んできた。
「急報です! 偵察部隊より、北彊軍が動き出したとの報告が! 現在、国境付近へ進軍中とのこと! 先鋒は、約五万!!」
伝令の言葉に、正堂の空気が一変した。将たちは顔を見合わせ、動揺が広がる。凌峰は歯噛みして叫んだ。
「くそっ!! 今か……! まだ雪も溶け切っておらぬというのに!北の狼どもめ……!!」
「五万だと!? もうこちらの動きを嗅ぎ取ったのか……」
魏昶が眉をひそめて言うと、凌峰は怒りを押し殺しながら皆を見渡した。
「ええい、今までの話はすべて白紙だ! 作戦を練り直す!」
虎渓が一歩進み出て、両手を重ねて願い出た。
「父上、国境には俺と秋霖で行かせてくれ」
北軍の中でも、虎渓と秋霖は攻撃連携において随一の存在だった。凌峰が城を守る盾なら、彼らは鋭い槍である。凌峰は即座に頷いた。
「お前たちなら、二万の兵で奴らの横腹を食い破れるだろう。だが……蓬然!」
「ここに」
呼ばれた鄒蓬然将軍が、静かに前へ出た。北軍の古参であり、北彊との戦で幾度も勝利を重ねてきた経験豊富な武人だ。
「お前にも一万を任せる。二人を支えてくれるか」
「お任せを」
「父上、必ず勝って戻ってきます」
虎渓と秋霖、そして鄒蓬然が深く一礼した。魏昶が改めて凌峰に問いかける。
「北彊と戦っている間、舒王が動くと思いますか?」
「……そこまで愚かな王ではないと信じたいがな」
もし国境が破られれば、北彊の侵略が始まり、玉座どころではなくなる。舒王が北軍を追い詰めるような真似をすれば、自らの首を絞めることにもなる。
「三万はここに残す。国境が最優先だ。五万が先鋒なら、本隊がまだ控えているはずだ」
「諸侯から集まる二万で、都を監視させるべきでしょう。万が一があります」
「苦しい立場ですな……」
顧涵仁と魏昶がそれぞれ意見を添える。長く続いた軍議が終わり、将たちは次々に立ち上がって、戦の準備に散っていった。
秋霖は、その場を離れようとする顧涵仁と虎渓を引き止める。
「父上、虎渓。兵のことは私に任せて、今日は休んでください」
「だが……」
「心配いりません。お二人がいない間も、我々が守ってきました。北彊も、さすがに一日で国境へは来られません」
虎渓がわずかに眉を下げた。秋霖は笑みを浮かべて続ける。
「早く母上や妹たちに顔を見せてあげてください。どれほど心配していたか……」
「……では秋霖、任せるぞ」
顧涵仁が軽く頷いて先に部屋を後にした。
虎渓は秋霖に歩み寄ると、今度こそその胸にしっかりと抱きついた。本当は、今すぐにでも旅の話を語りたい思いがあふれていた。だが、言葉は出てこなかった。
虎渓が秋霖の肩に顔を寄せる。秋霖はそっと背を抱き止め、優しく囁いた。
「私は、お前が無事で帰ってきてくれただけで嬉しい」
離れたくないとばかりにしがみつく虎渓を、秋霖はなだめるようにそっと引き離し、その頬に手を添える。
「お前のおかげで、次は一緒に戦える。だから、しっかり休め。途中で倒れられては困るからな」
「……分かった」
虎渓は頬に添えられた手をそっと取ると、その手のひらに口づけた。秋霖が目を丸くする間に、虎渓は顔を背け、早足で部屋を出ていった。
残された秋霖は、自分の手をじっと見つめ、わずかに苦笑を浮かべながら、静かにその手を握りしめた。
あなたにおすすめの小説
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
世間に秘された名門男子校・平坂学園体育科
空手の名選手であった高尾雄一は、新任教師として赴任する
高潔な人格と鋼のように鍛えられた肉体
それは、学園にとって最高の生贄の候補に他ならなかった
至高の筋肉を持つ、精神を削られ意志をなくした青年を太古の神に捧げるため、“水”、“風”、“土”の信奉者達が暗躍する
意志をなくし筋肉の操り人形と化した“デク”
消える教師
山奥の男子校で繰り広げられるダークファンタジー
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
【完結】兄さん、✕✕✕✕✕✕✕✕
亜依流.@.@
BL
「兄さん、会いたかった」
夏樹にとって、義弟の蓮は不気味だった。
6年間の空白を経て再開する2人。突如始まった同棲性活と共に、夏樹の「いつも通り」は狂い始め·····。
過去の回想と現在を行き来します。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。