白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第五十九話




第五十九話




 北軍の一端を担う馬家は、五千の兵を擁する名門の一族だった。今回の作戦でも、馬将軍は自ら進んで燕雲城の西門の守備を志願し、誰からも不審に思われることなく希望通りの配置に就いた。
 
 馬家は北軍創設の頃から凌家に忠誠を誓っており、現当主である凌峰からの信頼も厚い。顧家のように名を轟かす将は輩出していないものの、堅実な戦ぶりで前線を支え続け、陰ながら北軍を支える存在だった。
 
 だが、長年にわたる北彊との戦で馬家の犠牲は積み重なり、疲弊していた。戦いに、もう疲れ果てていた。
 凌家はこれまで馬家の功績に報い続けてきたが、顧家や魏家のように片腕と称されるような立場には決してなれなかった。多くの犠牲を払ったところで、顧家と並び立つことは叶わず、いつまでも中堅のまま、鬱屈とした思いだけが胸に残った。
 
――そんなとき、先帝が崩御する少し前。北軍が皇太子派につくか、それとも皇弟派につくかをめぐる軍議が紛糾したことがあった。
 虎渓や馬将軍をはじめ、複数の将が皇太子派の支持を明言したが、凌峰は最後まで態度を明らかにしなかった。

「顧涵仁、お前はどう見る?」

 凌峰が尋ねたとき、顧涵仁はただ静かに、「お前に従う」とだけ応えた。

 そのやりとりに、馬将軍は落胆した。

 ――またか。結局、また戦うのか。

 凌峰は先帝への忠義を貫こうとしている。だがその忠義の影で、実際に血を流すのは我らのような者たちだ。険しい道を選ぶたび、踏みつけられるのは名もなき兵たち。疲弊し、失われるのは、我々の家族だ。
 たとえ凌峰が政争を避けようとしても、舒王が先帝から遠ざけられている時点で、後継者の座はありえないと分かっているはずだ。いずれ先帝が詔をもって皇太子の支持を命じるのは明らかだった。それならば、先んじて動けばよかった。
 しかし、凌峰は動かない。義を重んじるあまり、背中を押されるまで決して踏み出そうとしない。先手を打てば勝てる戦も、後手に回れば取り返しがつかなくなる。

 今は義を貫くよりも、時流を読むほうが賢明だ。名を捨ててでも、生き残るべき時だ。
 裏切り者と呼ばれようと、地位を失おうと、これ以上、馬家の者が血を流し続けるのは耐えられない――。
 それが、馬家の出した答えだった。

 馬将軍は密かに、西軍にいる旧友に書簡を送った。もしも北軍と西軍が全面衝突する日が来たとき、馬家が逃れる道を用意してほしい。その代償として、必要な働きはすると。
 やがて、その手紙は潘廷傑のもとへ届けられた。

 
 *

 
 虎渓、秋霖、鄒蓬然が率いる三万の北軍は、国境近くの前線に陣を構えていた。すでに北彊軍は目前まで迫っている。
 三人の前に伝令が駆けつけた。

「報告します!偵察兵によれば、北彊軍の主力は数十万規模の編成を進めている模様です。予想では約三十万、後方支援も含めれば五十万に達する可能性があります……」

 その圧倒的な兵数を聞いた三人は、息を呑み、唇を噛み締めた。これほどの大軍の準備には時間がかかるとはいえ、年内にも攻め込まれる恐れがあった。

「奴ら……本気で寧国を滅ぼすつもりか……」
「我らも団結せねば、到底勝ち目はない……」

 青ざめた顔をしている三人のもとへ、さらに別の伝令が駆け込んできた。

「報告!潘廷傑将軍率いる西軍が、北彊軍討伐のため援軍を申し出ております!」
「何だと…?!援軍の数は?」

 虎渓が険しい顔で問い返す。

「はっ……一万とのことです」
「たった一万か?!」

 声を荒げた虎渓は、隣の秋霖に目を向けた。

「秋霖、どう思う」
「……都に本軍を残しているようだ。おそらく、我らが北彊と戦っている隙に玉座を狙うつもりだろう。……まさか、舒王は北彊の兵数を知らないのか」

 ――もしくは、意図的に知らされていないのか。

 秋霖の胸に疑念が灯る。四万近く擁する西軍の潘廷傑が一万のみを動かした意図は明白だった。鄒蓬然が口を開く。

「凌世子、顧将軍。潘廷傑の狙いは、燕雲城かもしれません。西軍の別動隊が、虎符と詔を奪いに向かっている可能性もある」

 虎渓は頷きながら、燕雲城の方角へ目をやった。そして自分の懐へと軽く手を当てる。

「……だとしても、父上が守る燕雲城がそう易々と落ちるはずがない。“不動の山侯”だぞ。父上もその可能性は読んでいるはずだ」

 そのとき、立て続けにまた伝令が飛び込んだ。

「報告!潘廷傑将軍率いる西軍がすでに国境へ進軍中!間もなく北彊軍と接触する見込みです!」
「なに?!援軍を申し出たくせに、勝手に先陣を切る気か……!秋霖、鄒将軍、どうする!」

 焦りをにじませて振り返る虎渓に、秋霖と鄒蓬然がそれぞれ渋い顔で応じた。

「潘廷傑と手を組むのは不本意ですが……先を見越せば、西軍の一万の兵を失うのは惜しいかと…….」
「……やむを得ません。我らも進軍しましょう」

 三人はすぐに号令をかけ、北軍の旗を掲げて騎馬部隊を先頭に進撃する。そして西軍と交戦中の北彊軍の側面へ突撃した。

「はははは!雙鉤白虎に孤槍寒雨!来ると信じていたぞ!」

 潘廷傑が高笑いを上げたかと思うと、西軍に命じた。

「目標変更!全兵反転、北軍を叩け!」

 突如として西軍は進路を変え、北軍の背後に襲いかかる。北彊軍は西軍を追わず、包囲を完成させるように動きを変えていた。

「なっ……?!」
「虎渓、囲まれるぞ!槍兵、側面に守備陣形を組め!」
「俺について来い!包囲を突破する!」

 西軍の裏切りに混乱しながらも、北軍は即座に陣形を変え、槍のような細い楔となって敵陣を突き破り、反転して再び陣形を整えた。しかし、不意を突かれた後方部隊の損害は大きい。

「舒王は国を売る気か!」

 虎渓は敵をなぎ倒しながら、秋霖に怒声を飛ばす。

「そうではない。……もしそうなら、皇太子を一年も幽閉したりしない!あの男は、国も主君も裏切っている!」

 潘廷傑は太晋城での失態で追い詰められ、もはや後はなく、舒王をも見限った。生き延びるため、一族の栄華と引き換えに寧国を敵に差し出す道を選んだのだ。

 虎渓は怒りに任せ、潘廷傑に向かって吠えた。

「潘廷傑!この国賊め!なぜ裏切った!!」
「ハッ!凌虎渓!それが分からぬようでは凌家に生き残る道はないな!」

 潘廷傑は肩を揺らして嗤った。その声には、まるで勝者の余裕と愉悦が滲んでいた。

「凌家が我ら潘家と婚姻を結んでいれば北彊に寝返らずとも別の栄華があったに違いない!誠に惜しいぞ!!」

 虎渓は怒りで顔を赤くした。

「なんという奴だ……!姉上を鎮南王に嫁がせてくれたお祖父様はまことにご聡明だ!!」

 言葉を吐き捨てるように叫ぶと、刀を握る手により一層の力を込め、潘廷傑のいる方向に馬の手綱を引く。

「潘廷傑……!不義、不敬、不忠、まさにお前を表す言葉だッ!裏切り者が!今すぐ殺してやる……!」

 ――裏切り者。裏切り者……。

 秋霖の脳裏に引っかかっていた違和感が、徐々に輪郭を成していく。北彊に恐れ逃げ道を求めているのは、潘廷傑だけではないはずだ。

「虎渓!待て!!挑発に乗るな!嫌な予感がする!」

 秋霖が叫んで呼び止める。

「西軍が“勝機がある”と判断して燕雲城へ進軍していたとしたら……!“不動の山侯”といえど、内側から城門を開けられれば崩れてしまう!」

 虎渓が敵の血飛沫を浴びながら目を見開く。そのとき、後方を指揮していた鄒蓬然が馬を蹴って駆け寄った。

「あの売国奴は北彊に燕雲城を明け渡すと約束したに違いありません!あそこが敵の拠点になれば、寧国はひとたまりもない!」

 三人は、敵を薙ぎ払いながら迫る窮地に決断を迫られる。鄒蓬然が先に口を開いた。

「お二人は、燕雲城へ戻ってください!」
「しかし……!」

 秋霖が首を振ると、鄒蓬然は静かに、しかし力強く言った。

「北軍は立て直しが必要です!ここは私にお任せを!潘廷傑の裏切りを凌侯爵に伝え、援軍の呼びかけをしてください!さもなくば寧国は呑まれます!」

 戦場では、先を見通す判断が命運を分ける。犠牲を覚悟してでも、生き延びるための一手を打たねばならない。

「先鋒の勢いさえ削げば、いくらか時間は稼げるでしょう!私も機を見て一度撤退します!さあ、行ってください!」
「鄒将軍、恩に着る!」
「ご武運を……!」

 虎渓と秋霖は、鄒蓬然に二万の兵を託し、それぞれ五千の兵を率いて燕雲城へと急いだ。

「逃がすな!追え!!」

 潘廷傑が怒号を上げ、追撃を命じるが、鄒蓬然が鬼神の如き勢いで立ち塞がった。その気迫に気圧された潘廷傑は、北彊軍の陰に紛れて後退する。
 彼にとって、ここで命を賭ける理由など、もう無いのだ。

 
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