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幻燼夢
第六十話
第六十話
虎渓たちが国境へ出陣したのと入れ替わるように、潘廷傑の弟、潘廷董が三万の兵を率いて燕雲城を包囲した。
潘廷董は城門の前に立ち、声を張り上げる。
「凌侯爵!虎符と詔さえ渡せば、家族の命だけは助けてやるぞ!」
堅牢な城門を閉ざした燕雲城は、その地形と構造からして籠城戦では無敵を誇った。門楼に立つ凌峰は、鼻で笑ってその言葉を聞き流す。
「目と鼻の先に北彊軍が迫っているというのに、ここへ来るとは……愚か者め」
彼はすぐに弓兵に構えを命じ、傍らの顧涵仁に呟く。
「丹瑤をあの男に嫁がせずに済んで、本当に良かったぞ」
号令と同時に、弓兵が一斉に威嚇射撃を放ち、潘廷董の軍勢を後退させた。そのとき、顧涵仁が僅かに眉を顰めて言った。
「……何か妙です。たかが三万の兵で、この城を落とせるとは思っていないはず。各将軍に警戒を呼びかけるべきでしょう」
その言葉通り、すでに燕雲城には潘家に寝返り、国を裏切る者が密かに潜んでいた。だが北軍は、長年にわたり生死を共にしてきた名門一族達の結束によって、その武勇を誇ってきた。凌峰も顧涵仁も、その絆に揺らぎなどあるはずがないと信じて疑わなかった。
北軍の風紀を厳しく監督していた顧涵仁は、この一年、燕雲城を離れていた。鬼の居ぬ間に、すべては水面下で着々と進められていた。
燕雲城の西門が――凌峰の意志に反して音を立てて開いた。
「報告!西門を守っていた馬将軍が反旗を翻しました!馬一族が五千の兵を率いて西門を開け、そのまま逃走しました!」
「何だと……!!なんということだ!」
長年の信頼ゆえ、馬将軍が進んで西門の守りを申し出たとき、誰も疑わなかった。北軍の強固な結束に、初めて綻びが生じた瞬間だった。
「天よ……!」
凌峰は叫ぶと、顧涵仁と共に兵を率いて急ぎ西門へ向かわせる。城郭の弓兵たちは、侵入した敵に向けて矢を構えた。
潘廷董の軍勢はその隙を突き、開いた西門から一気に城内へとなだれ込んだ。
一方、城を捨てて逃げた馬軍が向かった先は都ではなく、潘廷傑のいる国境の方角だった。潘廷董は北上する馬軍を迎え撃つことなく、まるで見逃したかのように振る舞っていた。両者が通じ合っていたことは明白だった。
「おのれ、恥知らずの裏切り者め!!凌峰、奴の首は私が討つ!」
怒りに顔を紅潮させた魏昶が、城郭を駆け下りようとした。その背を凌峰が呼び止める。
「魏昶……奴らは国境へ向かった。まさかとは思うが、虎渓たちが心配だ。馬軍を討ったら……息子を頼む」
「凌峰……!」
言葉を飲み込んだ魏昶は、すぐに一礼して応じた。
「承知した。ご武運を!」
魏昶の一万の軍勢は即座に馬軍を追撃し、国境へと向かった。
燕雲城は潘廷董率いる西軍の突入を許し、瞬く間に戦火に飲み込まれていった。市街は混乱に包まれ、決死の思いで抵抗する民や、避難する民の叫びが四方に響く。
北軍の兵たちは民を誘導させながら不利な状況で必死に応戦し、西軍は黒い波のごとく城内を蹂躙してゆく。
凌家の屋敷を目指し、虎符と詔を狙う西軍の兵を見て、夏霖は駆け出した。その動きを見た顧涵仁が怒声を飛ばす。
「夏霖!兵を連れていけ!」
「しかし、父上は……!」
「行け……!」
逡巡の末、夏霖は顧涵仁から兵を受け取り、屋敷へと急行した。顧涵仁は戦火に包まれる街を見渡し、主君のいる方へと視線を投げる。
やがて北門も破られ、平穏だったはずの燕雲城は地獄の惨状と化した。だが北軍の兵たちは執念を燃やし、敵を巻き添えにしながら一人、また一人と倒れていく。
「潘廷董……!」
凌峰は血に染まった剣を投げ捨て、新たな剣を拾い上げて敵を切り伏せる。その体は返り血で赤く染まっていた。
「凌侯爵!“不動の山侯”の異名も、今日限りだと思い知れ!」
城郭の一角を占拠した潘廷董が、兵たちに命じた。
「火矢を放て!」
炎が建物に燃え移り、狭い路地では逃げ場もない。民の悲鳴が響き、凌峰の耳に焼きつく。
彼は矢を振り払い、城郭に向かって剣を投げつけた。それは風を切って回転し、敵弓兵の首を一撃で刎ねる。
「なんという奴だ……!」
顔を引きつらせた潘廷董が再び弓兵を構えさせたとき、背後で兵士たちの悲鳴が上がった。顧涵仁が、疾風のごとく西軍をなぎ倒して迫っていた。
「放て!!」
無数の矢が顧涵仁に向けられた。防ぎきれずに、いくつかは彼の体を貫いていく。潘廷董のいる場所まで、惜しくも届かなかった。
「凌峰……ッ」
「涵仁……!」
「力及ばず、先に、逝く……許してくれ……」
城郭の上から主君を見下ろし、血を吐きながら顧涵仁は最期の力を振り絞って近くの敵兵を掴むと、共に身を投げた。
「涵仁!!!」
*
外を飛び交う怒号、金属のぶつかり合う音、鼻を刺す煙の匂い。娘たちのすすり泣く声が微かに聞こえる中、昭月公主は静かに目を覚ました。
長らく床に伏せていた彼女が身を起こすと、部屋には三姉妹と侍女たちが身を寄せ合い、皆、涙をこぼしていた。目を開いた昭月公主に最初に気づいたのは如清だった。彼女はすぐに駆け寄り、昭月の体をそっと支える。
周囲の気配から、事の重大さを悟った昭月公主は、如清の手をそっと握った。
「公主様……」
「……一体、何があったの」
如清から事情を聞いた昭月公主は、胸を詰まらせたまましばし沈黙し、やがて深く息を吐いた。そして侍女たちに命じ、着替えを始めた。
荘厳な正装を身に纏い、髪には金の花冠が戴かれた。気品と威厳を纏ったその姿は、まさに皇族としての威光を取り戻したかのようだった。
そのとき、外から響く無数の足音に続いて、扉が重々しく軋む音と共に、数本の槍が突き刺さる。扉に穿たれた穴から、槍に貫かれた体の血がにじみ出し、木戸は赤く染まっていった。
「――っ」
次の瞬間、扉が外側から押し破られ、赤黒い影がなだれ込む。倒れ込んだのは、血に濡れた夏霖だった。
「夏霖――!」
杏霞が立ち上がって叫び、如清は顔を覆って泣き崩れる。
「はは、うえ……お逃げ……くださ……い……」
その言葉を最後に、夏霖は力尽きた。
西軍の兵たちが武器を手に室内に踏み込み、威圧するように進み出る。だがその中で、昭月公主はひときわ大きく声を張り上げた。
「お下がりなさい!誰の許しを得て、この屋敷に足を踏み入れたのか!」
彼女の姿と声に、兵士たちは一瞬たじろぎ、顔を見合わせる。
「私が誰か、知っての狼藉か!」
堂々たる出立と威圧に満ちた声。その威厳に圧され、兵士たちは思わず目を伏せた。昭月公主は床に倒れる夏霖に一瞥をくれると、袖の内で手を強く握りしめ、その白い指先に力をこめた。
「無礼者……!国に仕えるべき臣下が、主君を見誤るとは。誰の命を受けてここに現れたのです!」
「……潘廷董将軍です」
一人の兵が、俯いたまま小さく返答した。
「では、その将軍と私が直に話をしましょう。案内なさい」
そう言って、昭月公主はゆっくりと歩き出した。その後ろには、侍女頭と如清が涙を拭いながら控える。しかし、怯えていた若い侍女たちや、李霞が泣きながら昭月にすがりついた。
「公主様……!」
「母上ぇ……!」
「お前たちはここにいなさい」
涙を堪えながら、昭月は彼女たちにそう告げた。
そこへ、屋敷を検めていた西軍の部隊長が姿を現す。昭月に気圧されていた兵たちの様子を見て、怒号を飛ばす。
「何をしている!屋敷の者はすべて殺せとの命令だ!誰であろうとな!」
兵たちが士気を取り戻して再び武器を構え直す。その動きに、昭月公主は一歩足を止めた。そして、淡々と強い意志をこめて口を開く。
「私を潘廷董の元へ連れて行きなさい。虎符が欲しいのでしょう」
部隊長は昭月公主を一瞥すると、にらみつけるように言い放った。
「……この女たちを全員捕えろ!将軍の御前に引き出せ!虎符のありかを吐かねば一人ずつ首を刎ねてやる」
城郭の上から散っていった顧涵仁の最期に、凌峰は唇を噛み、深く目を閉じた。その表情には、長年の盟友を失った無念と、主君としての悔恨が滲んでいた。
そんな彼のもとに、昭月公主と娘たちを連れた西軍の兵が現れる。炎が立ちのぼる街の中、戦況はすでに西軍の勝利に傾いていた。だが、その代償はあまりに大きく、潘廷董を含め、残存兵は数千に満たなかった。
昭月公主は城門前の広場で、瓦礫と死体が散乱するその場に立ち尽くす夫の姿を目に焼き付けた。城郭の上にいる弓兵達が凌峰と昭月公主達に向けて矢を構えた。
焼け焦げた空気の中、まるで時間だけが止まったように、ふたりの視線が交差する。
「あなた……」
その一言に、凌峰が悲しみに顔を歪める。
「昭月……」
敵の手に家族が囚われていると知った凌峰は、静かに剣を手放し、膝をついた。声はかすかに震えていた。
「すまなかった……私のせいだ」
「いいえ。これも、天意でしょう」
昭月公主の声は穏やかで、それでいてどこまでも深かった。戦乱の中で再会を果たしたふたりの姿に、梅霞、杏霞、季霞の三姉妹は両親を呼んで泣きながら縋りつき、涙を流した。
如清もまた、膝をつき、震える唇で秋霖の名を小さく呟いた。
そして潘廷董が弓兵達を構えさせたまま口を開いた。
「凌侯爵、昭月公主よ。虎符のありかさえ吐けば、娘たちは見逃してやってもいいぞ」
にじり寄るようなその言葉に、凌峰と昭月は互いを見やり、ゆっくりと頷いた。ふたりの表情には、覚悟を決めた者の穏やかな微笑があった。
「ご苦労なことだ」
凌峰が静かに言い放つ。
「虎子を追って虎穴に飛び込んだとて、そこに虎子がおるとは限らぬ」
それはまるで、潘廷董に向けた皮肉にも、子を信じる親の言葉でもあった。
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