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幻燼夢
第七十六話
第七十六話
仏殿の外から戻ってきた虎渓は、座って荷をたたむ秋霖の姿を見つけて足を止めた。
「起きたのか」
声をかけると、秋霖の肩がかすかに跳ねる。虎渓は、自分の足音で起こしてしまったのではと気まずくなり、誤魔化すように頬をかいた。
「用を足しに行ってた」
「そうか」
秋霖は手を止めず、短く答える。虎渓はその隣にしゃがみ込んで彼の顔を覗き込むが、その横顔はいつも通り涼しげで、感情の揺れは見えなかった。やがて秋霖は荷を背負い、伏し目がちに虎渓を見やる。
「虎渓……お前は、春夢楼にはもう未練はないのか」
妓女が洩らしていた想い人の話が、どうしても頭に残っていた。真実かどうか、出立前に確かめておきたかったのだ。少し踏み込みすぎたかと虎渓を見たが、彼は特に気にする様子もなく立ち上がった。
「まあ、世話にはなったからな。未練があるとすれば、今月の給金を貰い損ねたことくらいだ。迷惑をかけただろうし、金のことは諦めるしかないな」
「……それだけか?」
あまりにもあっさりした口ぶりに、秋霖が見上げて問うと、虎渓がまばたきのあと、眉間に皺を寄せた。
「なんだ……まさか、自分のせいで追い出されたとか、そんなくだらんことを考えてるのか?」
「……いや、そうではない」
秋霖はすぐに視線を手元へ戻す。春夢楼には、虎渓の想い人などいなかったのだ。義理堅い虎渓が何も言わずに離れるとは思えない。胸の奥が微かにざわめくのを感じながら、秋霖は立ち上がった。
「では……そろそろ移動しよう」
虎渓は秋霖のわずかな笑みに気づいたが、なぜかは分からず、問い詰めるのもやめた。首をかしげつつも、ふと脇に立てかけた槍に目をとめる。
「槍は置いていくんだな」
「ああ……一晩の礼になるかは分からないが、捧げていく」
言葉少なに、ふたりは廃寺を後にし、山道を辿って玄安を目指し始めた。馬で街道を走れば三日で着く距離だが、人目を避けて山中を歩けば、一週間はかかる。過酷な移動と野営の日々が続いた。
数日後、川へ水を汲みに寄った折、ちょうど良い岩場を見つけた二人は、川辺で身を清めていた。虎渓は上着を脱ぎ、水の中で泳ぎながら魚を獲っている。夏の西日が水面を照らし、大きな水飛沫が時折あがった。秋霖は焚き火を起こし、その様子を眺めながら調理の準備をする。
ふと懐に違和感があり、手を差し入れると、簪が折れていた。街を出た時か、移動中か。何かの拍子に力がかかったのだろう。秋霖はそれを眺めて肩を落とした。
前回よりも上手く作れた、小さな虎の彫りが施された簪だった。虎渓の誕生日は明後日で作り直すには間に合わない。
これでは、持っていても仕方がない。
秋霖は、折れた簪を焚き火へくべた。小さな虎が炎の中でぱちぱちと音を立てて、やがて形を失って消えていく。
「秋霖!」
名を呼ばれて顔を上げると、虎渓が水面から顔を出して手を振っていた。
「すごく大きいのがいたぞ! お前も手伝え!」
秋霖は苦笑しながら立ち上がり、川べりに足を運ぶ。
「私は病人だぞ、当てにするな」
「こういう時だけ病を言い訳にするのか!……お前の槍があれば一突きだったのにな……」
そう言って虎渓は再び水中へ潜っていく。やがて彼は、大きな川魚を両手で抱えて現れた。秋霖は目を見張りつつも、それを受け取って手際よく捌き、焼き魚に仕立てた。
しかし口にした瞬間、期待と違った味に二人は揃って顔をしかめる。
「……泥臭いな」
「……塩だけでは誤魔化せなかったか」
「秋霖、もう食うな。腹を壊すぞ」
「……生姜や酒があれば、美味くなったかもしれない」
「秋霖……」
虎渓は呆れたように秋霖を見つめた。繊細な味覚をもつ彼に対し、秋霖は大抵のものは平然と食べられてしまう。まるでお手本のような料理をこなすとはいえ、虎渓の好みに味つけを調整できるだけで、本人の味覚自体はざっくりしていて大雑把とも呼べる。
「せっかくお前が獲ってきた獲物だぞ。勿体ないだろう」
「……今度はもっと美味いのを獲る」
虎渓は照れ隠しのように秋霖の手から魚をはたき落とす。
「あっ……」
残念そうな秋霖の視線に、虎渓はふいと顔を背けた。膝を抱えたまま頬杖をつき、手持ち無沙汰に焚き火に枝をくべる。
秋霖は仕方なく手を拭くと、つまらなさそうに火を眺める彼の横顔に問いかけた。
「虎渓、もうすぐ誕生日だろう。……何が欲しい?」
焚き火の灯に照らされ、虎渓は頬杖をついたまま秋霖を見つめた。そのまっすぐな視線の熱に、秋霖は、あの簪を燃やしてしまったことを少しだけ後悔した。
「お前が……隣にいてくれるだけでいい」
その答えに、秋霖は考えを巡らせて目を閉じる。そして何かを決めたように虎渓の隣へ座り直した。
「秋霖……?」
肩が触れ合う。虎渓は胸の鼓動が跳ねるのを感じながら秋霖の顔を見た。彼は焚き火を見つめたまま、小さく口を開く。
「隣にいてほしいと、言っただろう」
頬が赤く見えるのは、焚き火の灯りのせいか、熱のせいか。虎渓は息を詰めた。そう言われると、ほんのわずかに期待してしまう。同じように自分を求めてくれるのではないかと。けれど、秋霖はまだ、その気持ちを理解していない。彼が自分を主君と仰ぐ限り、これからもずっと。
虎渓は秋霖を抱き寄せかけた手を途中で下ろし、いつもの調子で平静を装った。
「お前は誕生日に、何が欲しい」
「まだ二ヶ月も後だぞ」
秋霖は小さく笑う。虎渓が「ん?」と微笑んで続きを促すと、彼は無意識に胸元に手を当てる。痛む時に触れる仕草が、既に癖になっていた。
「私は……」
私もお前が――そう続けかけて秋霖は呑み込み、言葉を選び直す。
「お前がくれるものなら、何でも嬉しい」
これが、毎年変わらない答えだった。
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