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幻燼夢
第七十七話
第七十七話
玄安の城門前には、入城の許可を求める民たちがずらりと列をなしていた。虎渓と秋霖もその列の端に加わり、静かな緊張をまとったまま検問の順番を待っていた。秋霖は虎渓の刀を一振り預かり、虎渓は顔に泥を塗って素顔を隠し、さらに遠目からの視線を遮るため、深く傘を被っている。
かつてこの玄安は、皇太子派の有力な諸侯が治めていた。しかし今では、皇帝の命により新たな役人が派遣され、実権を掌握している。旧領主たちは爵位こそ保っているものの、もはや民心を宥めるための飾りにすぎなかった。
虎渓と秋霖の正体がここで見抜かれれば、玄安どころか、二度と都に足を踏み入れることも叶わないだろう。だが、都へ向かうには玄安を通過する以外に道はない。北か南へ大きく遠回りして移動する案もあるにはあるが、それでは都に辿り着く頃には、北彊の侵攻が始まってしまう。
やがて二人の番が巡ってくる。門番は身分証を受け取ると、変装を施した二人の顔を順に見つめた後、城門の脇にある部屋を手で示した。
「男の二人組は、年齢を問わず尋問せよとの命令が出ております。しばらくこちらでお待ちを」
虎渓と秋霖は目を合わせると、抵抗せずに案内された尋問部屋へと入っていった。室内は薄暗く、どこか冷え冷えとしていた。秋霖はそっと声をひそめ、虎渓の耳元で囁く。
「虎渓……やはり引き返した方がいいのではないか……」
「……見抜かれたら逃げるぞ」
虎渓は腰に差した刀に手を添えた。すると、扉の外から足音が近づき、一人の武官が姿を現す。虎渓はその顔を見て、少しだけ表情を和らげた。
「叔父上の友人だ。以前、玄安に出入りした時に世話になった方だ」
現れた将軍は静かに扉を閉めると、二人の姿を見つめたまま眉を下げ、重々しく口を開いた。
「……お二人とも、危ない橋を渡られましたな。まさかとは思いましたが、もしかするとお通りになるかと、待っておりました」
「索将軍」
虎渓が丁重に礼をとると、秋霖も控えてそれに倣った。索将軍は、後ろ手に持っていた二枚の紙を前に差し出す。
「昨日の朝、届いた手配書です」
広げられた紙には、それぞれの似顔絵と共に、小笛と蒼洵という偽名が、凌虎渓と顧秋霖であると記されていた。虎渓は苦笑しながら秋霖の方を見た。
「まずいな……今度の似顔絵は、やけに出来がいい」
索将軍は秋霖に目を向ける。
「我が索家は顧家の遠戚にあたります。顧涵仁殿には、かつて大変世話になりました。このたびのこと……まことに、心よりお悔やみ申し上げます」
そう言った後、口調を重くしながら続けた。
「しかしながら、今やこの玄安は陛下の目が光っております。かつてのように自由には動けません。お二人を公然と助けることは……どうしても難しいのです」
深く頭を垂れた虎渓に、秋霖もすぐさま頭を下げる。
「見逃していただけるだけで、これ以上ない恩情です。ご迷惑をおかけして申し訳ない」
「我が父に代わりまして、心よりお礼申し上げます」
索将軍は二人の肩に手を置き、静かに頷いた。
「……どうか、くれぐれもお気をつけて」
やがて尋問部屋を後にした虎渓と秋霖は、後ろを振り返ることなく玄安の街を早足で抜け、劉致の診療所を目指して歩を進めた。
「……ついていたな」
秋霖が呟くと、虎渓はわずかに顔を上げて、空を見上げた。
「叔父上たちが見守ってくれている。……仇を討てと、背中を押してくれているに違いない」
秋霖はその言葉に何も返さず、ただ静かに歩みを続けた。
日が暮れ、人影がまばらになった頃を見計らって、二人は劉致の診療所の扉を叩いた。しばらくして開いた扉の奥から、怪訝そうな顔をのぞかせた老医者の前で、虎渓はわずかに傘の角度を傾けて顔を見せる。そして声を潜め、柔らかな笑みを添えて言った。
「夜分に申し訳ない、連れが病で診ていただきたいのだが……」
その顔を見た瞬間、劉致は目を見開いた。通りの人々の視線がないことを確認すると、素早く二人を中へ招き入れる。
「凌世子様……!!」
皺だらけの顔をさらに深く歪め、劉致は虎渓の腕に縋った。虎渓はその手を軽く支えながらも、柔らかい笑みを浮かべる。
「劉先生、俺はもう世子ではないさ。虎渓でいい」
劉致は堪えきれぬ涙を飲み込みながら、黙って首を振る。そして視線を秋霖へと向けた。秋霖も穏やかな表情で軽く一礼する。
「劉先生、お久しぶりです。幼少の頃、お世話になりました」
「秋霖殿……! ああ……お二人とも、よくぞご無事で……!ああ……」
劉致は再会の喜びに浸りつつ、二人を椅子に座らせたが、その顔にすぐ陰りが差す。
「鏡石のことも、燕雲城のことも……聞き及んでおります……何とも痛ましい……」
嗚咽が喉を震わせ、言葉が続かない。室内には重い沈黙が落ちた。しばしの間を置いて、劉致は意を決したように問いかける。
「もしかして……お二人は、本当に陛下のお命を……?」
虎渓は小さく肩を揺らし、笑いにもならぬ声を漏らした。その目には暗い憎しみが宿っている。
「……まさか。真の逆賊は潘廷傑だ。その証拠を掴んだから、陛下に知らせるためにここへ来た。それで劉先生、燕雲城に便りを出したいのだが、叔父上の鳩はまだここにいるか?」
劉致は即座に頷いた。
「ええ……! ええ、おりますとも。燕雲城の一件を知ってから、故郷に返すのが忍びなくて、ずっと面倒を見ておりました」
「それなら助かった。明朝、鳩を飛ばしたい。迷惑をかけるが、一晩ここに泊めてもらえないだろうか? その間に、秋霖の容体も診てほしい」
頭を下げる虎渓に、劉致は何度も手を振りながら力強く応えた。
「一晩などと仰らず、お好きなだけ留まってください……!」
「凌先生、感謝いたします」
秋霖も立ち上がって丁寧に頭を下げた。
その後、二人は劉致の案内で診療所の奥にある住居へと通された。劉致の妻に挨拶を済ませた後、虎渓は手紙を書くために書斎を借り、秋霖は寝間に案内された。
寝台に腰を下ろし、腕を差し出した秋霖は、体を蝕む毒について劉致に語った。劉致は脈をとりながら真剣な面持ちで聞き入り、次第にその顔が悲痛に歪む。
「絶血火散……おそらく南で開発された毒に違いありません。北の医者が知らないのも無理はない。波南では、武林や宗派、侠客や海賊が入り乱れ、奇々怪界な毒が数多く生み出されています。その猛毒が北に持ち込まれたとは……」
波南――それは南方の混沌とした地域を総称する言葉だ。数多の勢力が割拠し、鎮南がその暴威から都を守る盾となっていた。
秋霖は袖を下ろし、静かに尋ねる。
「劉先生、私は……あとどのくらい、もちますか」
劉致は息を呑み、覚悟を決めたように言葉を紡いだ。
「これまでの旅で随分無理を重ねてこられたようです……このままでは、半年と持ちません」
「半年……」
秋霖は目を伏せた。己の体が日々、思うように動かなくなってきた事は感じ取っていたが、残された時間は予想よりも遥かに短かった。冷静に受け止めながらも、噛み締めるように呟く。
「思ったより……少ないようだ」
「まだ諦めないでください。鍼を打ち、毒の痛みを和らげる薬も出します。ここでしばらく安静にしていれば、もっと長く生きられます」
促されるままに寝台に横たわると、秋霖は鍼治療を受けながら、かすかに唇を震わせた。
「劉先生……虎渓には、尋ねられても、絶対に伝えないでください」
「……承知しております」
劉致は深く頷きながら、静かに鍼を打ち進めていった。
その扉の外で、部屋の中の会話をじっと聞いていた影が、物音ひとつ立てずに、膝から崩れ落ちるように床に座り込んだ。
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