白冥霜花

紫雲丹

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幻燼夢

第八十二話




第八十二話



 診療所の戸を大きく叩く音が響いた。
 劉致は胸騒ぎを覚えながら、おそるおそる扉を開ける。すでに診察の時間を過ぎていたが、物々しい空気を纏った玄安の兵士の小隊が外に並んでいた。その光景を目にして、劉致は息を呑む。
 一歩前に進み出たのは、鎧を纏った一人の男だった。

「索将軍……」
「劉先生……」

 互いに名を呼び交わす。劉致は無言のまま後ろへ下がり、索将軍を中へと招き入れた。索将軍は周囲に聞かれぬよう声を低く潜め、静かに用件を告げる。

「通報がありましたので、……形式的なものです。お騒がせして申し訳ない」
「いいえ……」

 玄安の治安を担う将軍として、職務がある以上は動かざるを得ない。かつて顧涵仁によって引き合わされた事がある二人は、多く言葉を交わさずとも状況を互いに察していた。
 索将軍が手を挙げ、兵たちに指示を出す。命を受けた兵士たちは診療所と住居の部屋をくまなく見回ったのち、将軍のもとへと戻ってきた。

「怪しい者はおりませんでした!」

 索将軍は頷いた後に、劉致に軽く頭を下げて診療所を後にした。一難が去った安堵とともに、劉致が住居の方へ向かうと、彼の妻が暗い顔をして秋霖が休んでいた部屋の前に立ち尽くしていた。
 劉致は血の気が引いて、部屋の中に飛び込んで周囲を見渡す。荷物は既に無く、虎渓と秋霖の姿は忽然と消えていた。

「行ってしまわれた……」

 劉致は中庭に出て、空を見上げながら呟いた。

「行ってしまわれたのか……」

 その声は虚しく秋風にさらわれ、劉致の診療所には、かつての静けさが戻っていた。


 *


 虎渓と秋霖は劉致の屋敷の塀を乗り越えて、夕闇に染まる街を人目を忍びながら小走りで裏路地を駆け抜けた。幸いにも裏口までは囲まれておらず、二人は難なく外へと出る事ができた。
 秋霖の手を引いて走る虎渓の胸には、早くも後悔が押し寄せていた。
 どうしても離れられなかった。置いていけなかった。連れてきてしまった。

 ――自分は一体何をしている。

 建物の影に身を隠すように小道へ入った二人はそこで息を整えながらお互いの顔を見た。走ったせいで秋霖の髪が少し乱れていたが、その表情は柔らかで、どこか嬉しそうに見えた。

「こんな状況なのに、何を笑ってる。今からでも劉先生の所に戻るか」

 虎渓が表情を顰めて秋霖から手を離した。だがすぐに秋霖がその手を捕まえ、指を絡めるように握り返した。

「虎渓……共に連れて行ってくれ」

 囁く声色はどこか甘えるような響きがあり、穏やかな瞳に見つめられる。秋霖のその仕草が、虎渓の泣きどころを優しく撫でるようで、思わず唇を噛む。

「私の路銀がまだ残っている。それで冬支度を整えてから出よう」

 虎渓は片手で顔を覆って深く息を吐いた。けれど繋いだ手は強く力を込めて握り返す。

 二人はその夜、近くの宿で一晩を過ごした。翌朝、直近に出立する募集で、都へ行く途中にある街まで向かう商隊の護衛仕事を見つけ、隊列に加わる事ができた。
 山の街道には冬眠前の獣や、越冬の物資を狙う賊が出没するので護衛の需要は幾らかあり、それで報酬を得ながら都までを目指す計画を立て直す。

 商隊の護衛をしながら、二週間ほどかけて目的の街に到着した二人だったが、都に近づくに連れて、玄安から続く街道は人通りが多くなる事に気づき、思うように先に進めずにいた。
 道中でも正体が見抜かれないか、肝を冷やす場面が何度かあり、二人は仕方なく、雪が降り始める時期を待ってから街を出る事にした。

 冬の始まりを知らせるように、道がうっすらと白く染まりはじめた頃。虎渓は先を歩き、秋霖はその背を追いながら眺めていた。
 変装のために髪を下ろし、高い位置で緩く纏めた髷に刺してある痛んだ簪。秋霖はそれを目にとめ、もう一度、早く新しいものを作ってやらなければと思いながら、虎渓の背中にそっと話しかけた。

「虎渓。復讐はやめて、南へいかないか。密書を送ったら、すぐに鎮南へ行こう」

 やや沈黙があり、虎渓は前を向いたまま落ち着いた声色で返事をした。

「……悪いな、秋霖」

 その言葉に込められた決意は、揺らがなかった。虎渓の中で、復讐だけは果たさなければならないという思いが、どうしても消えなかった。
 一族を滅ぼした元凶を北彊へ逃してしまえば、これまで国境を守ってきた先祖に顔向けができない。奴をこの手で討ってこそ、憂いを断ち、前に進める。その為に、ここまで来た。
 虎渓は視線を足元へ落として白い息を吐く。

「お前だけでも、先に南へ行ってくれて構わない」

 むしろその方が、ありがたいとさえ思う。南は冬でも過ごしやすく、秋霖ひとりなら目立たず逃げられる。
 鎮南はもともと舒王の領土と隣接しており、今の鎮南王は丹瑤と子ども達を守るだけで精一杯だろう。おそらく舒王も虎渓と秋霖が鎮南を頼ることを予想している。だからこそ、舒王に見つかった際の覚悟が必要になる。
 虎渓はその覚悟を、いまだに出来ずにいた。

「……私は、どこであろうと、お前と共に行く」

 秋霖の決心も固く、一切の迷いはなかった。本来であれば、死地に赴こうとする主君を止めるのが忠臣の務めだ。けれど、秋霖は虎渓の一番の理解者でありたかった。
 彼の行先が困難な道だとしても、地獄への一歩だとしても。どこまでも、どこまでも共に行こう。そう決めていた。

 雪の上を静かに踏み進める虎渓と秋霖の後方から複数の馬の足跡が近づいてくるのが聞こえた。すぐに二人に追いついてくる。

「おいそこの二人組!止まれ!」

 街道を避けたつもりだったが、兵士達が巡回していたようだ。都の近くでは兵士は五人一組になって警備にあたる事が多い。兵士が馬上から虎渓達の顔を見下ろしながら荒々しく言い放った。

「都に行くものか!身分証を出せ!」

 その時、別の兵士が秋霖の顔を見て、懐を探りながら手配書を取り出した。

「おい、手配書の顔と似てないか……!」

 兵士が言い終わる前に、秋霖は近くにいた兵士の腰から剣を奪い抜いていた。虎渓は一瞬ぎょっとしたが、すぐに合わせて刀を抜く。馬上から引き摺り下ろされた兵士達は尻餅をつきながらも応戦した。援軍を呼ぶ救援筒を取り出そうとした兵士の胸を秋霖が貫く。
 雪が降る中、剣が交錯するが、すぐに決着がついた。

「秋霖……!大丈夫か!」

 鞘に刀を収めながら、虎渓は慌てて秋霖の方に駆け寄る。秋霖は倒れた兵士達の前で剣を手にしたまま白い息を吐き出す。

「毒に侵されようと、ただの一兵卒に遅れは取らない」

 秋霖が微笑む。
 その姿が、雪の中に咲く花のようだった。虎渓は、その花が雪に倒れぬように、そっと手を差し伸べる。ふいに抱き締められた秋霖はあたたかな外套の中に包まれた。

「無理をするな……!焦ったぞ!」
「……本当に大丈夫だ」

 体は軋み、痛む。しかしその痛みなど、どうでもよかった。こうして抱き締められることが、彼の隣にいられることが、共に戦える喜びが秋霖を高揚させていた。生きている実感があるからこそ、痛みすら幸福に変わる。

 
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