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新生の奇跡

Ⅷ:殺せよ

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 8秒も引きずられてようやく、止まる。
「――――」
 しかし、指一本動かない。死んだかと一瞬思った。だけどドクドクと脳天から血が濁流のように溢れる音が聞こえて、まだ生きているのだと理解した。
「が……かっ、か」
 風が吹きこぼれるような音が、口から漏れた。そしてなんとか、頭上半分を、微かに上げる。
「これが現実だ」
 剣神の言葉と視線は、厳しかった。
「峰打ちだ。死んではなかろう。だが、もはや動くこともかなわないはずだ。これで今のお前と私の言葉を理解したなら、早々に田舎に引きこもるがいい。二度と魔王や神技などとは口にせず、家でガタガタと震えていろ」
 そしてリズ=センは、踵を返す。入れ替わりにマダスカがこちらに駆け寄ってくる。その顔は、今まで見たことがないほど真っ青に染まっていた。そうか、それほど今の自分はひどい状態なのか。
 そうか。
「……く、かっ、か」
 リズ=センの背中が、震えた。
「まさか、な」
 このセリフを言わせただけでも、クッタの全身を達成感という悦びが駆け抜けていた。
 うれしい。
「……くっ、ま……だ……」
 本当は『まだ、これからですよ』と言いたかったが、現在の身体の状態がそれを許さなかったので、諦めた。そんなことより、笑う膝を制してなんとか立ち上がり――遥か10メートル先に転がる剣を諦め、腰の鞘を抜いて構えることの方が、よほど重要だった。エリューに3メートル殴り飛ばされた時といい、これは自分の宿命なのかもしれないと思った。
 リズ=センはスキアヴォーナを斜め下に構え、
「まだ、と言ったな」
 みぞおちに、衝撃。
「が――――ッ!?」
 また、吹き飛ぶ。そして村を囲む塀に、叩きつけられる。息が、詰まる。意識が白濁する。地面に倒れる直前、リズ=センがスキアヴァーナの柄の台尻を、こちらへと突き出しているのが見えた。
 顔から、地面に突っ伏す。同時、視界が真っ赤に染まった。
「クッタ!」
 マダスカの声。喉から迸るその感触が、気持ち悪かった。まるで身体から、命そのものを吐きだしてるような心地だった。
「ヴォえ"え"え"え"え"ぇ……げぇ、え……グゥ!」
 額を地面に叩きつけ、血まみれゲロまみれで、顔を上げた。そして手探りして――もはや剣も鞘すらもないことに気付き、立ち上がり、エリューのように拳を握り、構えた。
「――死にたいのか、貴様?」
 スキアヴァーナの切っ先が、喉元に突きつけられた。
 それにクッタは、死んだような顔色と惨状で――笑みを、作った。
「……殺せよ」
 それは今までのクッタのような、装飾されたものではなく――生身の、混沌とした心そのものだった。
「……殺して、くれよ。オレは、ずっと恐かったんだよ。他人がさ。それに、殺されることがさ」
 マダスカはそれを聞きながら、β討伐前日の夜を思い出していた。クッタの部屋を訪れた時、知った。この男の、仮面を。その在り方を、その時の自分は笑った。だが転職に際して自身の内側をのぞき見て、それは決して笑われるべきものではないことを知った。
 だからクッタが仮面をかぶる理由を、知りたいと思う自分がいた。
「それは……その先を生きれなくなることが、じゃなく……何も成せずに自分の人生が終わることが、恐かったからだ。オレの父は、足が動かなかった。ずっと、家にいるときは、嘆いてたよ。死ぬ時を、間違えたと。オレは盟友スクアートと、一緒にあの場で死ぬべきだったって。そう言って、オレに魔法剣を教えてくれたよ……」
 リズ=センはスキアヴァーナをクッタの喉元に突きつけたまま、微動だにせずその告白を聞いていた。
「オレは死にたくはなかったが、ずっと死に際を考えてきた。父の叶えられなかった想いを、引き継ぎたかったからだ。だからエギトンペ古代遺跡で聖騎士に選ばれなかったことは、少し悔しかったよ。やはり父は偉大だったのだと、思い知らされた感じだった。それに比べて、あとからきたのに既にクラスチェンジした仲間たちは、正直眩しかった……やっぱオレには、才能がないのかと思い知らされてるみたいでな。でも、ここで――神技を得るために剣神に殺されるなら、本望だ」
「……そうか」
 とたん、リズ=センは突きつけていたスキアヴァーナを引き、鞘に収め、背を向けた。それにクッタは力が抜けたように膝をつき、
「かっ、ぐ……な、どういう……?」
「認めてやろう。貴様が、死の覚悟を抱き生きていることを……私が意図したものとは、少々違っていたがな。それに、技量の方も――」
 そしてリズ=センは、スキアヴァーナを持っていた右腕を、真横に振る。
 その袖口は、微かに切れていた。
「それに、頬」
 マダスカが目線を送ると、そこに微かに血が滲まない程度の線が、走っていた。
「私の速攻に、不完全とはいえ返し技を、それも二度も合わせてきた人間は、貴様が初めてだ。誇るがいい。飛び込みで『剣神』の名を引き継ぐ者は、史上貴様が初めてのことだろうからな」
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