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第四章
㊼父と娘
クリン公爵の記憶が蘇ってくる。
クリン公爵が30歳の頃、飛び地のクリン公爵領に公務で月に何度か出向くことになり、その領地からの帰り道、畑を耕す娘に声をかけたのが、ルーズと知り合うきっかけになった。
二人はそれから何度も出会う度に話をするようになり、やがて深い関係へと進んだ。
ある日ルーズが言った。
「私、妊娠したみたい」と……。
そう言われて焦ったクリン公爵は、ルーズには自分の素性を隠していたので、そのまま逃げることにした。
だがそれでもルーズが心配で、毎月金貨二枚をルーズの家に仕送りした。
本当はもう少し送りたかったのだが、クリン公爵は婿養子であったので、妻や義父の目をくぐり抜けて使えるお金は金貨二枚が精一杯だったのだ。
そして知り合いのルカルト男爵が後妻を探していると聞いてルーズを紹介した。
秘密裏にルーズを見に行ったルカルト男爵がルーズを気に入り、この縁組は成功した。
これで安心したクリン公爵は、ルーズも娘も男爵家に迎え入れられ、幸せに暮らしていけるだろうと安堵し、それからは記憶からだんだんと遠ざけていった。
クリン公爵は時間をかけて全ての報告書を読み終え、セルフを見た。
クリン公爵は厳しい表情になっていた。
「それで用件とはなんだ?」
「我が主の伝言をお伝えします」
「ああ」
「父親と名乗らなくても良いから娘のカンフルと会話をしてはもらえないかとのことでした」
「……」セルフのその言葉に胸が熱くなるクリン公爵。
セルフはそれだけ言うとお辞儀をして部屋を出て行った。
クリン公爵は妊娠したと聞かされてから、一度もルーズに会っていない。生まれた娘の名前も確かめようとはしなかった。
ただただ無関係を装い逃げた。だがそれでも、少ないながらも仕送りは続けた。ルーズと娘が困らないように……。
大広間では踊り疲れたヤンセン伯爵とカンフルが椅子に座ってワインを飲んでいた。
「ねえ、リッスー」
「ん?」
「ワインって串焼きと合うんじゃない?」
「うーん、確かに合うかもな」
「今度私のお店で串焼きパーティーをやらない?クロッグやアガサを呼んで」
「いいな、それやろうか」
「うん」
その時二人の前に影ができた。
見上げるとクリン公爵が執事を連れて立っていた。
慌てて立ち上がる二人。公爵がヤンセン伯爵に声をかける。
「今夜はお楽しみいただけているかな?ヤンセン伯爵」
「ええ、もちろんです」
公爵はカンフルを見て声をかける。
「どうですかな、私と一緒に踊ってはくれませんか?」
カンフルは戸惑いながらヤンセン伯爵を見て、遠慮気味にクリン公爵に返事をする。
「構いませんけど、足を踏んでしまうかもしれませんが、それでもよろしいですか?」
公爵は笑って頷いた。
「では、お相手願えますか?」
カンフルは窺いを立てるように、ヤンセン伯爵の顔を見た。そして、伯爵が静かに頷いたのを見て返事をした。
「はい、喜んで」
カンフルは立ち上がるとクリン公爵とホールの中央へ一緒に歩いていった。
アップテンポのメロディーからスローテンポに変わる。
踊り始める二人。公爵が声をかける。
「ダンスがお上手ですね」
「高等部の授業以来久しぶりなんですよ」
「ほう?学校の授業でダンスがあるのですか?私の頃はなかったが……」
「うふふ、時代ですわ、時の流れが変えるんですよ、その時代に合わせて」
「そんなものかね」
「そんなものです。それにダンスが踊れるほうが、異性との出会いのチャンスが広がるでしょう?」
「はは、学校も大変だな、生徒の未来も考えなくちゃいけなくて……」
二人はまた無言で踊り始める。
するとカンフルがクリン公爵の胸に顔をうずめダンスを続ける。
戸惑う公爵だったがそのままの姿勢でダンスを続けた。
カンフルが口を開く。
「私の両親はユニベス侯爵夫妻です」
「え?」
「自分の両親をそんな他人行儀な呼び方するなんて可笑しいでしょう?」
返事に詰まる公爵。
「私の実母は農民出身なのです。父親は誰なのか知りません」
クリン公爵が真っ青になりカンフルに質問する。
「君は……その父親のことをどう思っているの?誰なのか知らないということは……父親は……逃げたんだろう?」
カンフルは笑いながら、
「どうして逃げたと思われたのですか?私が生まれる前に亡くなったのかもしれないのに」
「それは……ただ、なんとなく……」少し焦る公爵。
カンフルが話を続ける。
「いいえ、いいんですよ。本当のことですから」
クリン公爵はさらに質問をしてみる。
「その父親のことは……今でも恨んでいるのかい?」
カンフルが顔を上げて公爵を見る。
「恨む?」
顔をガン見され顔が引きつる公爵だったが我慢する。
「恨んだことなど一度もありませんよ?」
予想外のカンフルの言葉に返事ができない。
カンフルが話を続ける。
「誰もが聖人君子にはなれませんもの。父には父の都合があったはずですから」
「しかし……」
「母が言っていました。父は毎月仕送りをしてくれていたと……私と母を気にかけてくれていた証拠です。そのことを後で聞いて……私は嬉しかった」
クリン公爵の目に不覚にも涙が浮かぶ。
公爵の心の中で葛藤が起きていた。
父親と名乗りたい……でも、できなかった。
今日、ヤンセン伯爵の執事に会うまでルーズのことさえ忘れていたのに……そんな薄情な自分が今さら父と名乗り出るなんてできないと……それに……。
会場の隅でじっと公爵を見つめる妻シェリーがいたから……できなかった。
「ではもうこの辺でダンスは終わりにしませんか?」
「あ、ああ、そうだな」
カンフルは公爵から離れると軽くお辞儀をしてヤンセン伯爵の元へ歩いて行った。
公爵はそんなカンフルの背中を見つめ寂しそうに呟いた。
(時を戻せるものなら、あの時に戻ってやり直したいが……きっと私はまた同じ道を進むのだろうな……)
カンフルはヤンセン伯爵と合流する直前に立ち止まりクリン公爵を振り返る。
そして小さく呟いた。
「お父さん……」と。
クリン公爵が30歳の頃、飛び地のクリン公爵領に公務で月に何度か出向くことになり、その領地からの帰り道、畑を耕す娘に声をかけたのが、ルーズと知り合うきっかけになった。
二人はそれから何度も出会う度に話をするようになり、やがて深い関係へと進んだ。
ある日ルーズが言った。
「私、妊娠したみたい」と……。
そう言われて焦ったクリン公爵は、ルーズには自分の素性を隠していたので、そのまま逃げることにした。
だがそれでもルーズが心配で、毎月金貨二枚をルーズの家に仕送りした。
本当はもう少し送りたかったのだが、クリン公爵は婿養子であったので、妻や義父の目をくぐり抜けて使えるお金は金貨二枚が精一杯だったのだ。
そして知り合いのルカルト男爵が後妻を探していると聞いてルーズを紹介した。
秘密裏にルーズを見に行ったルカルト男爵がルーズを気に入り、この縁組は成功した。
これで安心したクリン公爵は、ルーズも娘も男爵家に迎え入れられ、幸せに暮らしていけるだろうと安堵し、それからは記憶からだんだんと遠ざけていった。
クリン公爵は時間をかけて全ての報告書を読み終え、セルフを見た。
クリン公爵は厳しい表情になっていた。
「それで用件とはなんだ?」
「我が主の伝言をお伝えします」
「ああ」
「父親と名乗らなくても良いから娘のカンフルと会話をしてはもらえないかとのことでした」
「……」セルフのその言葉に胸が熱くなるクリン公爵。
セルフはそれだけ言うとお辞儀をして部屋を出て行った。
クリン公爵は妊娠したと聞かされてから、一度もルーズに会っていない。生まれた娘の名前も確かめようとはしなかった。
ただただ無関係を装い逃げた。だがそれでも、少ないながらも仕送りは続けた。ルーズと娘が困らないように……。
大広間では踊り疲れたヤンセン伯爵とカンフルが椅子に座ってワインを飲んでいた。
「ねえ、リッスー」
「ん?」
「ワインって串焼きと合うんじゃない?」
「うーん、確かに合うかもな」
「今度私のお店で串焼きパーティーをやらない?クロッグやアガサを呼んで」
「いいな、それやろうか」
「うん」
その時二人の前に影ができた。
見上げるとクリン公爵が執事を連れて立っていた。
慌てて立ち上がる二人。公爵がヤンセン伯爵に声をかける。
「今夜はお楽しみいただけているかな?ヤンセン伯爵」
「ええ、もちろんです」
公爵はカンフルを見て声をかける。
「どうですかな、私と一緒に踊ってはくれませんか?」
カンフルは戸惑いながらヤンセン伯爵を見て、遠慮気味にクリン公爵に返事をする。
「構いませんけど、足を踏んでしまうかもしれませんが、それでもよろしいですか?」
公爵は笑って頷いた。
「では、お相手願えますか?」
カンフルは窺いを立てるように、ヤンセン伯爵の顔を見た。そして、伯爵が静かに頷いたのを見て返事をした。
「はい、喜んで」
カンフルは立ち上がるとクリン公爵とホールの中央へ一緒に歩いていった。
アップテンポのメロディーからスローテンポに変わる。
踊り始める二人。公爵が声をかける。
「ダンスがお上手ですね」
「高等部の授業以来久しぶりなんですよ」
「ほう?学校の授業でダンスがあるのですか?私の頃はなかったが……」
「うふふ、時代ですわ、時の流れが変えるんですよ、その時代に合わせて」
「そんなものかね」
「そんなものです。それにダンスが踊れるほうが、異性との出会いのチャンスが広がるでしょう?」
「はは、学校も大変だな、生徒の未来も考えなくちゃいけなくて……」
二人はまた無言で踊り始める。
するとカンフルがクリン公爵の胸に顔をうずめダンスを続ける。
戸惑う公爵だったがそのままの姿勢でダンスを続けた。
カンフルが口を開く。
「私の両親はユニベス侯爵夫妻です」
「え?」
「自分の両親をそんな他人行儀な呼び方するなんて可笑しいでしょう?」
返事に詰まる公爵。
「私の実母は農民出身なのです。父親は誰なのか知りません」
クリン公爵が真っ青になりカンフルに質問する。
「君は……その父親のことをどう思っているの?誰なのか知らないということは……父親は……逃げたんだろう?」
カンフルは笑いながら、
「どうして逃げたと思われたのですか?私が生まれる前に亡くなったのかもしれないのに」
「それは……ただ、なんとなく……」少し焦る公爵。
カンフルが話を続ける。
「いいえ、いいんですよ。本当のことですから」
クリン公爵はさらに質問をしてみる。
「その父親のことは……今でも恨んでいるのかい?」
カンフルが顔を上げて公爵を見る。
「恨む?」
顔をガン見され顔が引きつる公爵だったが我慢する。
「恨んだことなど一度もありませんよ?」
予想外のカンフルの言葉に返事ができない。
カンフルが話を続ける。
「誰もが聖人君子にはなれませんもの。父には父の都合があったはずですから」
「しかし……」
「母が言っていました。父は毎月仕送りをしてくれていたと……私と母を気にかけてくれていた証拠です。そのことを後で聞いて……私は嬉しかった」
クリン公爵の目に不覚にも涙が浮かぶ。
公爵の心の中で葛藤が起きていた。
父親と名乗りたい……でも、できなかった。
今日、ヤンセン伯爵の執事に会うまでルーズのことさえ忘れていたのに……そんな薄情な自分が今さら父と名乗り出るなんてできないと……それに……。
会場の隅でじっと公爵を見つめる妻シェリーがいたから……できなかった。
「ではもうこの辺でダンスは終わりにしませんか?」
「あ、ああ、そうだな」
カンフルは公爵から離れると軽くお辞儀をしてヤンセン伯爵の元へ歩いて行った。
公爵はそんなカンフルの背中を見つめ寂しそうに呟いた。
(時を戻せるものなら、あの時に戻ってやり直したいが……きっと私はまた同じ道を進むのだろうな……)
カンフルはヤンセン伯爵と合流する直前に立ち止まりクリン公爵を振り返る。
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「お父さん……」と。
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