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序章

9(ウィルソン・ハンナ視点)

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 ウィルソンの剣先が、シスターに向かって伸びる。

 鋭く刺突するも、シスターは軽やかな身のこなしでひらりと避けた。

 大振りになるウィルソンの攻撃など、避けるのはいとも簡単だ、そういうように、シスターはまるで踊っているかのように次から次へ攻撃を避けてゆく。

『ウィルソン、落ち着いて。攻撃が全く当たってないわ。むしろ空ぶっている』

「落ち着いてるよ! それでも、攻撃が当たらないんだ! どうすれば……!」

『大丈夫よ。すばしっこいシスターを追いかけるんじゃなくて、ウィルソンは攻撃を待てばいいの』

「わかった……」

 ウィルソンは剣を構えてシスターの攻撃を待つ。

 するとシスターが足に爆発的に力を込めて、一気に間合いに入り込んできた。

 きた……!

 上体を逸らし手刀を回避すると同時に、そのまま膝蹴りをシスターの腹へ打ち込む。

「ぐはっ」

 勢いの付いたシスターの体は壁に激突し、壁が円環状にひび割れた。

 ウィルソンはすかさず倒れているシスターに肉薄して剣を突き立てる。

「う……」

「浄化されて、眠りにつくんだ……」

 刺した部位から清らかな水が溢れだし、シスターの姿を呑み込んでゆく。

 こちらを見たシスターは、苦しんでいなかった。

 ただ、小さく微笑むだけ。

「ありが、とう」

「?」

 徐々に彼女の姿が水泡となって、弾けて消えゆく――。


 ✯✯✯


 温かい水に呑まれて、体が消える。

 でも、とても、幸せな気分だった。

 何もかもが解放されるような気分ね。

 ずっと心の中にあったわだかまりがゆっくりと溶けてゆくようだ。

 そこで、私は思いだす。

 シスターの姿をしていた私――ハンナは何十年も前、テリーと恋仲だった。

 当時、私は妊娠していた。

 でも、そのことをテリーは知らなかった。

 二つ隣の町にいた私は、そこでスカルに襲撃された。

 その時に私は、生死を彷徨う程の重傷を負ってしまった。

 奇跡的に助かった。

 けれど、お腹の中にいた赤ちゃんが亡くなってしまっていた。

 私は絶望を味わった。

 彼と、幸せな家庭を想像していたのに。

 彼と、これからも一緒に生きてゆけると思っていたのに。

 どうして、どうして、このタイミングなの。

 赤ちゃんを喜んでくれると思っていた。

 なのに、私のせいで、お腹の赤ちゃんを――彼の子を、殺してしまった。

 合わせる顔がなく、私はこの世界を呪った。

 不甲斐ない自分を呪った。

 気づけば、自分までもがスカルになってしまった。

 そして、長い間、あてもなくふらふらと彷徨った。

 人の血を吸い、生きながらえて来た。

 でも、ある時。

 幸せそうな家族を見た。

 その時、私は、もう一度彼に会いたいと、そう願った。

 もう一度、一緒に生きたいと。

 全てを隠し、シスターとして、彼の前に現れたけれど、彼は私だとは気づかない。

 当たり前だ。

 彼はもう、しわくちゃのおじいさんになってしまっていたから。

 でも、それでもよかった。

 シスターとして彼のそばに寄り添えることが、自分にとってはとても幸せな時間だった。

 いつかは気づかれるかもしれない、そう思いながらハラハラしていたけれど。

 彼は気づく素振りもなく。

 でも、心のどこかで彼を欺いている自分がいることに、苦しくなった。

 本当の私はスカル。

 吸血鬼型となり、人の血を吸わなければ生きていけない体。

 そして、私は人に恐怖を与えることしかできない。

 彼を、怯えさせることしかできないのだ、と。

 そんなとき、グラヴァンに言われたのだ。

『探している人物がいるんだよね。協力してくれれば、テリーをスカルにしてあげるから、永遠に一緒に生きて行けばいいんじゃないか』と。

 その提案に、私は乗ってしまった。

 けれど、私は知ってしまった。

 グラヴァンという男はスカルよりも格上の人物。

 私たちスカルの事なんて、ただの駒にしか思っていないということを。

 でも、不思議。

 後悔は、していない。

 もう、あなたにバレてしまったから。

 遅かれ早かれ、あなたと一緒にはいられなくなるのだから。

 いい潮時だと、思っていた。

 ただ、後悔があるとすれば、彼に何も言えなかったこと。

 愛していると、言いたかった――。

 誰よりもそばにいたのに、誰よりもあなたのことを想っているのに。

 それだけが言えなかった。

 消えてゆく視界。

 こぼれる涙。それも泡となって消えてゆく。

「私が死んだとは知らず、永遠に思い続けてくれていたあなた」

 何もかも、消えてゆく。

 音も、体も、心も、記憶も。

「私はあなたを愛しています――」


 ✯✯✯


 剣から精霊の姿に戻ったリプニーチェは、シスターの消えた場所を眺めていたウィルソンのそばに寄り添った。

「彼女は、もしかして自分を倒してくれる人を探していたのかもしれないわね」

「うん……。そうだったのかもしれないね。だから、俺を生かしていたのかも」

 そうでなければ、辻褄が合わないだろう。

 それに、シスターからはあまりにも殺意がなさすぎた。

 本当にこれでよかったのだろうか、と何か腑に落ちない気もしたが、はっと我に返る。

「こうしちゃいられない! 早くサラちゃんのところへ行かないと……!」

 ウィルソンは家から飛び出して、サラのもとへ駆けて行った。
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