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守護精編
3(ローレンス回想)
しおりを挟む――それは祈祷祭が終わって、静かな夜だった。
川のせせらぎだけが、聖域内を満たしていた。
エスティがこの場へ来たのは気づいていた。
でも、私は彼女に会うのが気まずかったし、振られたショックと力の消耗が激しかったから少し姿を消していた。
しばらく経って、そろそろ帰っただろうと姿を現した時、私は後悔の念に襲われることとなる。
彼女がその場で倒れていたのだ。
誰の助けもなく、ただ一人そこで気を失っていて、今にも死にそうな、真っ青な顔をしていた。
『エスティ!!』
ああ、どうして私はすぐに姿を現さなかったんだろう……!
いや、私の後悔なんてどうでもいいから、とにかく早く彼女を聖水に。
私は彼女を抱きかかえ、慌てて聖域にあるため池にエスティレーナを浸けた。
聖域を流れる水は体を浄化し、傷を癒して体力を回復させる力がある。
特にここの聖域は他の聖域と比べてはるかにその効果が高い。
それは自然の形で、しかも外界に触れない状態を保っているからだと思っている。
ひんやりと冷たい水が、彼女の体を癒してゆく。
ほわほわと光が水の中を泳ぎ、彼女を包んだ。
私は徐々に血色が良くなっていく彼女を眺めていた。
とても美しい顔だった。
目が覚め、帰ってしまったら、もう二度と彼女とは会えないのだろう。
たまに来てくれたとしても、彼女にとって私はただの東の守護精だ。
今もそれは変わらない。
もう、それでもいいか、としばらく彼女を見つめていたら、ぴくりと睫毛が震えた。
『……ん』
『エスティ……? 目が覚めたかい? 気分は? 大丈夫かい?』
彼女はしばらくぼんやりと宙を眺めていた。
そして、無表情のまま、ぼそりと呟いた。
『私、もうすぐ死ぬの』
『え?』
はっきりと聞こえたけれど、彼女から発せられた言葉は理解しがたい言葉だった。
『今……何て言ったんだい』
ゆっくりと水面から上がって、エスティレーナは私の真正面にきた。
水で濡れている髪の毛から、ぽたぽたと水滴が地面にたれた。
一瞬泣いているのかと思ったけれど、彼女は泣いてはいなかった。
『私、祈祷師だって、この前言ったのは覚えてるわよね?』
『覚えてるよ』
『光脈を無理やり開通してもらったの。その影響がすこしずつ体に出はじめてる。光の力を使う時に、命を削ってる感覚がすごくわかる。ゴホゴホ……だから……』
彼女の声が震えた。
『もうすぐ死ぬの』
私は彼女を思いっきり抱きしめた。
彼女の体は細く、華奢だった。
抱きしめたところで何の慰めにもならない。
言葉も何もかけてあげられなかった。ただただ、彼女を抱きしめるだけで。
でも、彼女の苦しみが、少しでも和らいだらいい、そう思いながら。
ただただ、抱きしめた。
『死にたくない…』
『うん』
『死にたくないよ……』
『うん』
彼女は絞るようにして言葉を発している。
体全身から悲鳴を上げているようで、私はそれを受け止めるだけ。
でも少しだけ、彼女に私の想いを声に乗せる。
『私も君には死んでほしくない。君にはずっと笑っていてほしい』
叶わぬ恋の末に、私が願う事。
それは、君に笑っていてほしい、ということ。
『この世界を照らしているのは君みたいな人なんだと、君と出会って初めて気づいた』
ふと顔を上げた彼女の瞳からはぽろぽろと涙が溢れていた。
彼女の涙を親指でぬぐってやる。
私の親指から手のひらにこぼれ落ちた。
人が死にたくないと望むのは、この先の未来に希望を抱いているから。
そしてまだ心残りがあるから。
でも、未来があると確実に約束されているわけではない。
一秒先に今が続いているかどうかなんて、誰もわからないのだ。
それでも、人間は未来を望む生き物だから。
永遠とほぼ等しい私たちにはない感覚だ。
人間は精霊よりも命が短い。
その中で一生懸命走り続けることがどれほどしんどいことか。
ここにいるだけの私には計り知れないこと。
だから、君が幸せになる手助けをしたい。
『ねえ、少しだけ君におまじないをかけてあげようか』
『?』
『目を瞑つむって』
首をひねって、ゆっくりと目を閉じた彼女。
私は、薄く開いている彼女の唇に、自身の唇を押し当てた。
『……ん』
柔らかい唇から、甘い吐息がこぼれる。
めまいがしそうなほどの刺激に、私は喜びを感じながらも自制心を働かせる。
私は、ふう、と息吹を吹きこんだ。
彼女の体の中から光の力が全身に巡っていくのを感じながら、私はゆっくりと体を離した。
これで少しは命が延びればいいけど、とふと見た彼女の顔が真っ赤だった。
『あ、口付けって人同士はしないのかな。精霊同士はたまにするんだよ、自分の命を相手に少しあげるときに。でも別に口付けじゃなくてもよかったんだけど……。まあ、でもそれが人に効果があるのかはわからないけど、やらないよりかは少しは命が延びるのではないのかと思って……』
ついやってしまったことに対して、慌ててしどろもどろに説明する私に、『ずるいわ……』と不貞腐れるように彼女が呟いた。
『え?』
『そんなの、ずるい……驚いて涙も止まったわ!』
『いや、だって――ん』
すると急に襟首を掴まれて、ぐいっと顔を寄せられる。
今度は彼女から口付けしてきた。
驚きと喜びで体のバランスを崩して二人とも、池に落ちた。
水は冷たかった。
でも火照った体にはちょうど良くて、二人を包むように水が流れる。
甘い痺れが体全身を駆け巡り、もっともっと、と彼女を求めたくなる。
けれど息ができるように、一度水面から顔を出した。
彼女の体が自分から離れないように抱きしめたままで。
水に濡れた彼女の服が、ぺたりと肌に張り付いて、なまめかしい。
ゆっくりと肩から鎖骨にかけて口付けを落とす。
『ん……ねえ……』
『何だい?』
私は顔を上げて彼女を見つめる。
彼女も、じっとこちらを覗き込んでいた。
『死にたくないのは、それはあなたと一緒に生きたいからよ』
『へ?』
『初めてここに来たのは、聖域の力で自分の寿命が少しでも延びないかと思ったから。あなたのこと、初めはすごくうっとうしいと思ったわ』
『うっとうしかったんだ……』
『ええ。でも、話をするにつれて、凄くあなたに惹かれてるのがわかったの。わかったけど、人間は精霊よりも寿命が短い。それに私はもうじき死ぬ。だから誰も愛さない方がいいと思ってたの。残される方が長く生きるしつらいだろうから……』
だから振ったのだと、エスティレーナは申し訳なさそうにうつむく。
『でも、ふと思ったのよ。もうすぐ死ぬから、自分の思うように生きたいって。少しでもあなたと共に生きたいって』
顔を上げた彼女の瞳には輝きが宿っていた。
そして熱を帯びている。
『愛しているの、あなたのこと』
『エスティ……』
『私、あなたとの子どもがほしい。そしたら私が死んでも子どもたちがいる』
『子ども……?』
『人間は愛する人と子をなすの』
『え、でもどうやって?』
『そこはまた一緒に考えましょ。……とりあえず家出しなきゃ』
『え? ちょっと待って』
『だって、あなたは外へ出られないし、私がここに来れば聖域の力で少しは長生きできるかもだし。王都にいるよりもはるかに自由だわ! 未来が輝いて見えるわ!』
そう言って私にぎゅっと抱きついてきた。
先ほどまで死にたくないと泣いていた彼女とは大違いだ。
でも、それでこそ彼女で、本当に愛おしいと思う。
『でも、そんなことをしたらウィンテール様とは一生会えないよ?』
『……』
彼女はそのことだけを特に気にしていた。
ひどく悲しい表情を浮かべていたけれど、それでも、彼女はここへ来ることを選んだ。
そして聖域の上に聖域と繋がる形で家を建て生活していたのだ。
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