インチキで破廉恥で、途方もなく純情。

亜衣藍

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 だが、しかし――……。

 そのアルファは、奏の元婚約者の名前だ。

 奏は長い間、その婚約者の事が諦め切れなかったのか、何度もその名を呼んでいた。

 そうだ、オメガのヒート状態に入るたびに、何度も繰り返し呼んでいたのだ。



――――いつも、いつも……何度も。



 栄太の腕の中で極みに達しながらも、その可憐な唇から洩れる名前は、いつも『正嘉さま・・・・・』だった。

 ヒート状態に入ったオメガは全身から芳しい香りを放ち、身体が蕩けるように柔らかくなるので抱き心地は最高だが、通常時の冷静な思考までもが大きく後退してしまう欠点がある。

 本能と欲望に忠実になった彼等は、普段は決して口にしないであろう秘め事も、躊躇うことなく口に出し言葉を発してしまう。

 奏もその例に漏れることなく、己の願望を絶えず訴えていた。

『ああっ! 正嘉さま、正嘉さま、もっと深く入って来て――――もっと愛して……』

 陶然としながら強請ねだる甘い言葉は、全部、ここにはいない夢の相手に捧げる睦言ばかり。

 現実世界で奏を抱いている、栄太の名を呼んでくれたことなど、無い。

 そう、この5年間……その長い期間、一度も名を呼んではくれなかったのだ。

 奏はその事を知らないようだが、言われた方はたまったものではない。

 その事に、栄太がどれだけ傷付き――――そして、激しく嫉妬した事か。
 
 だから、発情期ではない身体を開くのはとても根気が必要だったが、あえて栄太は、思いを受け入れてもらえた後に時を待たず、ヒートではない通常時の奏を抱く事にしたのだ。

 決して焦らず、傷付けないように。

 栄太とのセックスが、気持ちのいいものだと感じてもらえるように。

 奏を愛し、抱いているのは『正嘉さま』ではなく、ここにいる自分なんだと、奏の身体と頭の隅々にまで染み渡るように――――栄太は、時間を掛けて奏の身体に教え込んだ。

 そうして、ようやく栄太は安心したのだ。

 これで、次の発情期に入って行う性交時にも、もう奏は正嘉の事など思い出しもしないし、名前も呼ばないだろうと。


 もう二度と、正嘉の名前など口にしないだろうと――――栄太は、奏の項に噛みつき己の存在を刻み込んだことで、その確かな手応えを感じた。

 事実、仕事の合間を縫って駆け付けた2日前……奏の口からは『正嘉さま』の名前は一度も出なかった。

 多分、七海先輩とかいうオメガか、ヒート故だろう。奏の様子は少し変だったが、奏の方から激しく栄太を求められたのは――――戸惑いもあったが、正直言って嬉しかった。

 これで、ようやく本物の番に成れた。

 オメガとベータでは『仮の番』だとアルファは馬鹿にするが、そんなのはもう関係ない。

 奏の心は、確かに自分に向いている。正嘉ではない、この自分に!

――――やっと、そう安堵したばかりだったのに。

(なんで――またここでヤツの名を聞かなければならないんだっ)

 青柳正嘉は、間違いなく栄太の恋敵だ。

 そいつが、今、栄太の前に姿を現そうとしている。

 決して会いたくなかったヤツが!

「社長! 」

「――」

「いったい、どうしたんです? 今のこのチャンスを逃すと、開発事業が前駅で本決まりになってしまうんですよ! そうなったらもう、馬淵コーポレーションで開発を見越して進めてた大型物件が全部負債に回ってしまう。そうなっては、もう……」

「――――分かってる! 」

 吉川の言葉に、栄太は激しい口調で答えた。

 この窮状を打開する為には、青柳正嘉に頭を下げて、開発地域の土地売買の件で首を縦に振ってもらわなければならない。

 そうしなければ、馬淵コーポレーションは多額の負債を背負う事になるのは必定だ。

 すでに、銀行から多額の金を借り入れて、大型マンションの建設をしているのだから。

 自己売買を中心に行うデベロッパー。

 それに失敗して、かつてこの国ではバブルが弾けた。

 そのハイリスク・ハイリターンを重々承知で、それでも事業を軌道に乗せて、会社をここまで大きくした。

 馬淵家の、意地の悪いアルファの義理の兄弟達を見返してやれたと思っていたのに……。


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