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八章
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翌日、朝比奈は川野議員の叔父から教えてもらった、養護施設『希望の里』を訪れることにした。所在地は名古屋市の一番東にある守山区と陶器の産地で有名な瀬戸市に挟まれている尾張旭市である。一旦姉の事務所に寄って、姉の車を借りて予め手土産としてケーキを依頼していた、高校時代に朝比奈がアルバイトをしていた喫茶店『ぽっかぽか』の広い駐車場に着いていた。
「こんにちは」
ドアを開けると、久しぶりに訪れた店に漂うほのかなコーヒーの香りに思い出が蘇ってきた。
「おおっ、優作か、頼まれていたシフォンケーキ用意してあるよ。ひょっとして、彼女へのプレゼントなのか。結婚式の招待状が来るのを首を長くして待っているんだけどな。まぁ、その前に家族を養える仕事先を見付けるのが先だよな」
『ぽっかぽか』のマスターは、朝比奈と糸川美紀が何度か来店していて、付き合っていることを知っている。子供の頃から東京に単身赴任の父親とは同級生で、子供の頃から家族ぐるみでの付き合いであり、マスターにとっては息子も同然で就職や結婚などいつも心配していた。
「マスター、会った早々厳しいね。そのケーキは、今から伺う尾張旭の施設への手土産に依頼したもの何だよ」
マスターの前のカウンター席に腰を下ろした。
「優作が関心がありそうな尾張旭市の施設か。まさか、母校の旭野高校じゃないよな」
席に座った朝比奈に豆を引いてドリップ方式でコーヒーを点て始めた。。
「そうじゃないよ。顔の広いマスターだから知っているかもしれないけれど『希望の里』という児童養護施設なんだ」
マスターの入れてくれた『ピーベリー』の香りを楽しんでから口へと運んだ。
「ああっ『希望の里』なら良く知っているよ。施設内の子供や職員さんの誕生日会や各種のイベントの時にはケーキを注文してくれるお客さんだよ。施設長は佐藤慶一さんと言って、尾張旭に住んでいて同じ中学校の先輩後輩の仲だった様だ。中央教育大学を卒業してて、一度は中学の教員を目指していたけれど、大学時代に海外ボランティア活動で貧困で勉強が受けられない実情を目の当たりにして、日本に帰ってからも教師ではなく色々な事情で、勉強は当然生活にも困窮している子供を少しでも助けたいという気持ちが強くなり、卒業後からはそういった施設で働くことを決意したそうだ」
コーヒーを出し終えると、マスターも朝比奈の前に腰を下ろした。
「その施設長は卒業から直ぐに『希望の里』に就職されたのですか」
「いや、就職後は名古屋の西区にある、規模の大きな『すこやか荘』に入社して6年程勤めてからから、地元にある『希望の里』に移って5年前から施設長として働いている様だ」
「先日マスコミで大々的に報道された、民自党の川野県会議員がその『希望の里』で育ったようでしたが、マスターはそのことは知っていましたか」
顔の広いマスターの情報に期待して問い掛けた。
「ああっ、施設に来た時は、確か今村か今西だったと記憶しているけれど、奥さんが不妊症だったのかな、川野夫婦の間には子供ができなかったので、中学校での成績も良く活発で周りの友達のリーダー的存在でもあり、当時の施設長や既に働いていた現在の佐藤施設長の勧めもあり、面談の結果太郎君を養子として迎え入れて川野家の跡取りとしたんだよ。まぁ、裕福な家庭に家族として過ごすことになったのだが、律儀な人間でこの近くに住むことになったこともあり、高校時代はお前と同じようにこの店でアルバイトをしていたこともあるんだ。太郎君の大学が名古屋に決まったことを機会に、今の守山区へ移ったのだけれど今でも家は残っているそうだ。本当にいい子でね、どんな事情があったのか解らないけれど、警察やマスコミが報じた様に恋愛絡みの無理心中だったなんて考えられないよ」
アルバイト当時の川野のことを思い出して頭を捻った。
「あの、川野さんはどうして『希望の里』に来ることになったのですか。本当のご両親や親戚はどうだったのでしょう」
『ぽっかぽか』でという同じ店でバイトの先輩だったことに少し親近感を感じていた。
「そこまで詳しくは知らないけれど、本人に聞いた話では元々母子家庭で母親が病気で亡くなったそうで、頼れる親戚はなかった様だ」
「あの、川野太郎さんには父親とか他に家族は居なかったのですか」
「川野君から聞いた話では、子供の頃から父親は居なかった様だ。母親に聞いたことはあったそうだが、いつも話をそらされていて亡くなる前には答えてくれると期待はしていたそうだが、結局川野君に告げることなく亡くなってしまってとても残念がっていたのを今でも覚えているよ」
「本当に一人ぼっちだったのですね」
「家族について尋ねたのは一度きりだし、そのことについて触れて欲しくない感じだったから、詳しくは俺には分からないよ。後は、佐藤施設長に聞いてみてくれ。彼女を殺害して自殺をした人間について尋ねるなんて、お前まさかまた事件に関わったりしてるんじゃないだろうな」
顰めっ面の麗子の顔が頭に浮かんだ。
「あっ、姉さんには内緒にしていてくださいね。今回は雜誌社の記事を書く為に取材をしているだけで、別に深い意味はないんですからね。ケーキとコーヒー代置いときますね」
予め聞いていたケーキの値段にコーヒー代を加えてテーブルに置くと、横に置かれていた2つの箱を手にすると、マスターに背を向けて店を出た。車で10分程南に走って、小高い丘の中腹にある『希望の里』に着いた。
「あの、3時に施設長とお会いする約束をしている朝比奈優作と言います。これ、シフォンケーキです。皆さんで召し上がってください」
朝比奈は玄関を入り1人の女性に声を掛けた。
「ありがとうございます。お部屋まで案内しますので、こちらのスリッパに履き替えてください」
女性は来賓用のスリッパを用意して、履き替えた朝比奈からケーキの箱を受け取ると、施設長室へと案内した。
「失礼します。来館予定の朝比奈さんから差し入れをいただきました」
女性はノックして部屋を開けると、ケーキの箱を施設長に見せた。
「気を使わせて申し訳ありませんでした。どうぞこちらへ」
席を立ちドアに近づいて席へと案内した。
「今日は時間をお取りいただきありがとうございます」
ソファーに腰を下ろすと頭を下げた。
「亡くなった川野太郎君にzついてとのことですが、彼がこの施設にいたのは中学を卒業するまでの4年間程ですが、そんな昔のことが何か問題あるのですか」
雑誌の取材と聞いていたはいたが、無理心中を試みた殺人者だとしても亡くなった後で、過去をあれこれ書き立てて本当に悪者にしてしまうのは感心しなかった。
「すみません、取材とは口実でして、今から伺うことは雑誌などに掲載することはありません。実を言いますと、川野さんが殺害したと公表された大池議員が亡くなったホテルの部屋の隣に宿泊する予定でいまして、大池議員の遺体の発見者の1人なのです。興味本位と取られても仕方ないのですが、事件の真実を確かめたくなったのです」
真剣な表情で答えた。
「真実と言われますが、既に事件は解決したのではないのですか」
朝比奈の話に納得できなかった。
「失礼ですが、佐藤さんは警察やマスコミで報道された時に、川野さんが大野議員を殺害したと本当に思われましたか」
朝比奈は質問を投げ掛け佐藤の表情を伺った。
「あっ、いや、正直信じられませんでしたが、警察の捜査の結果ですし私が知っているのは中学生の頃の川野君ですからね」
困惑した表情で答えた。
「最近お会いしたことはなかったのですか」
「県会議員の選挙での応援で会ったことはありましたが、挨拶をした程度で2人だけで話し込むようなこともなかったですから、現在の彼については何も知らなかったですからね」
施設に居た頃の川野と接していた佐藤としては、事件を知った時には何かの間違いではと思ったが、議員になってからは殆んど付き合いはなかった為に、人間は変わってしまうものなのだと自分を納得させていた。
「僕も生前の川野さんお会いしたことはありませんが、こちらに伺う前にこちらの施設にも関係していて、高校時代にはアルバイトをしていた『ぽっかぽか』のマスターに、川野さんの高校以降の生活を含めて話を聞いた限り、川野さんが殺人を犯す人間だとは思えません。まぁ、それもありますが、実際に殺害現場に居合わせた自分としては、警察の見解とはちょっと違うと思いまして、先ずは川野さんについて知っておく必要があると、色々な人に訪ねているところです」
先程の女性がコーヒーと朝比奈の持ってきたシフォンケーキを切り分けて持ってきた。
「朝比奈さんは今回の事件で警察のやマスコミの報道に疑問を持っているのですか」
「勿論警察の捜査能力は信じています。地道な身辺調査や監視カメラの解析などの科学捜査は、世界にも誇れるものだと思います。今回の捜査も十分な証拠が揃っていて、川野さんを犯人と断定することは妥当なのでしょう。ただ、犯罪者と断定された川野さんはなくなってしまっていて、犯罪に至った動機は勿論のこと弁明する機会も与えられません。事実が警察の発表通りならそれで構わないのですが、もし他に隠された真実があるとすれば、事件に関わった僕が証明しなければならないと思っただけです」
「えっ、朝比奈さんは雑誌社の記者さんなんですよね。目的は警察の不備を指摘し冤罪などと騒ぎ立てるような記事にして雑誌を売ることなんでしょうか」
朝比奈の職業と事件を結び付けて目的を推理した。
「ああっ、僕は大学館に記事を投稿してはいますが、記者ではないので仕事として調べている訳ではありません。それどころか、大学館の編集長からはこれ以上事件に関わらない様にと釘を刺されているほどです。まぁ、しいて言えば、自分の心のもやもやを晴らすためでしょうか」
朝比奈にとっては誤解を解く為の発言ではあったが、佐藤には変な人間に見えてしまっていた。
「そっ、それで、朝比奈さんは川野君の何を調べようというのですか。昔のことを調べることで川野君の殺害の原因や自殺の動機などが分かるのですか。先程も話したのですが、中学生までのことしか知りませんよ」
警戒しながら出来れば答えたくない素振りを見せた。
「若い頃の事情が、事件について関係しているかどうかは何とも言えませんが、何が事実を解き明かすヒントになるのか分かりませんのでよろしくお願いします。先程『ぽっかぽか』のマスターにも聞いたのですが、川野さんが『希望の里』に入館した事情と、本当の両親についてご存知ならば教えていただけないでしょうか」
朝比奈は素直に頭を下げた。
「まぁ、親しくさせていただいているマスターからも、よろしく頼むとの連絡がありましたので、以前の施設長にも電話である程度の話は伺っておきましたので、知っていることはお伝えします。川野君の父親は会社の中間管理職で、家に帰り酒を飲んで酔うとストレスの発散も加わり、奥さんや子供にも手を出していて、今で言うDVを行っていたんですよ。随分我慢をされていた様ですが、子供のことを考えて実家へ帰って母親としばらく暮らしていたのです。しかし、その母親が若年性の認知症や骨盤骨折で寝たきりとなり、その介護と子供の世話で疲労困憊の性もあったのでしょうか、脳内出血を起こして亡くなってしまいました。それで、他に親戚もなかった為に『希望の里』で引き取ることになったのです」
朝比奈の言葉を信じ覚悟を決めて川野のことを話し始めた。
「実の父親は今どうされているのですか」
佐藤の言葉にその情景が次々と浮かんできた。
「川野君を受け入れるに当たって、当然実父のその後について本人から聞いたり、彼を知る人などを当たってある程度調査したのですが、妻を失って荒れた生活の果てに会社を退職して収入源を絶たれた彼は、オレオレ詐欺などに手を染めて懲役刑を受けていたとのことでした。刑期を終えた後は今どこで何をしているのかは勿論、生きているかどうかも分かっていません」
「そうですか、行方不明なんですね。ところで、太郎さんはどういう経緯で川野家に養子に入ることになったのですか」
朝比奈は少し考えてから話題を変えて尋ねた。
「川野家は元々国会議員の一家で、病気で亡くなったお父さんが三代目だった。ただ、夫妻には中々子宝に恵まれなくて、その世襲が途絶えてしまうことが現実となり、最終手段として男子を養子として迎え入れることになったそうです。どうしてうちの施設に白羽の矢がたったかと言うと、元施設長と彼の父親が高校時代からの友人であり、何度か相談された元施設長が学力的に優秀で、人間的にも優れた太郎君を養子にと勧められたそうです」
佐藤はカップを手に取り、少し冷めたコーヒーを口へと運んだ。
「あの、県議会議員となった川野さんに実父が、接触を測ってきたということはなかったのでしょうか」
朝比奈もコーヒーのカップを手にした。
「さぁ、どうでしょう。選挙などで応援はしていましたが、川野君からはその様な話は聞いたことはありませんでした。恐らく、養子になっていることも知らないんじゃないでしょうか」
「それは良かったですね。因みに、その実父の名前は何と言われるのでしょう」
「ちょっとお待ちください」
佐藤は立ち上がると机の引き出しを開け、1冊のノートを取り出して戻って来た。
「えーと、一応本人から聞いて書き留めていたのですが、ああ、有りました田中実さんと言われたそうです」
佐藤はノートを捲っている手を止めて答えた。
「田中実・・・・・・日本で一番多い名前ですね。色々話を伺えて大変参考になりました。真実が分かりましたら報告させていただきます。本日は本当にありがとうございました」
朝比奈はお礼を言って頭を下げると、席を立ち部屋を出て『希望の里』を後にして父と待ち合わせをしている、事件があったホテルへと向かった。予定の時刻よりも早く着いたので、スタッフなどに当時の状況を尋ねて時間を潰していると、ロビーで父親の姿を見つけて足早に近づいて行った。
「忙しいのに時間を作ってもらってすみませんでした」
朝比奈は珍しく素直に頭を下げると喫茶ルームへと案内した。
「今日は偶然会議があって来られたから良かったけれど、本当にいつも世話を掛けてくれるよな」
そう言いながらも久しぶりに息子に会えるのを喜んではいた。
「電話で簡単には話したけど、このホテルで起きた事件についてもう一度詳しく説明するから疑問点があれば指摘してください」
父親はコーヒーを朝比奈はブレンドティーを注文し、運ばれてくるまでに事件の概要を話し終えた。
「優作は、これだけの状況証拠が揃っているにもかかわらず、警察の発表に納得していないということなんだな」
それぞれの飲み物が運ばれ、ウエイトレスが席から離れると父親が話し始めた。
「先ずは、川野議員の自宅のエアコンの設定温度とパソコンのキーボードの指紋について疑問が残っていますが、ホテル近くの防犯ビデオに川野議員と思われる人物が映し出され、その人物が乗ったタクシーの運転手が川野議員であり、自宅まで送り届けたことを証言していることから、その証拠は重要視されていませんでした」
朝比奈はティーカップを手にして紅茶の香りを楽しんだ。
「だけど、大池議員を殺害したのは川野議員で間違いないだろう。違っているとすれば、川野議員が自殺ではなく殺害の可能性があるということだよな。つまり、大池議員殺害に関しては共犯者がいて、実行犯である川野議員を自宅で殺害したってことだな」
朝比奈が持つ疑惑を想像して答えた。
「その可能性は否定しませんが、キーボートの細工は良いとしてエアコンの設定温度をどうして低くする必要があったのか説明が付きません。大池議員を殺害した犯人は革の手袋をしていた為に、ドアノブなどにも指紋は残されていませんでした。僕は、大池議員を殺害したのも川野議員ではなかったのではないかと思っています」
カップを皿へと戻し真剣な目で父親を見た。
「ちょっと待てよ。川野議員が大池議員を殺害した人物と同じ格好をしてタクシーに乗り込み、自宅で他の人物によって殺害されたと思っているのか」
朝比奈の意外な推理に驚いていた。
「計画的な殺人であれば有り得なくはないと思います。共謀者が大池議員を殺害した後で、川野議員を自殺に見せ掛けて殺害した。つまり、初めから2人を殺害するのが目的であったとすれば辻褄は一応合いますが、それにしても、川野議員が態々自分が疑われる様な行動を取ったのか、それと何度も言いますがエアコンの設定温度の説明が付かないし、もしそうだったのならば川野議員が大池議員殺害になぜ協力したのかと言うことです。話によれば、川野議員と大池議員は恋人同士だった様です。まぁ、恋愛の縺れなどということについては、僕には縁遠いことなのでよく分からないのですが、12月12日のダズンローズデーに12本の紅い薔薇を贈ろうとしていたくらいです。殺害のリスクを犯すほど憎んでいたとは考えられないのです」
どう考えなおしても納得が出来なかった。
「それで、お前を納得させる為に私を利用しようと言う訳だな。しかし、本当にお前が考えている様に今回の事件には他に動機が有り、県会議員での新鮮の会の繰り上げ当選が絡んでいるというのは少し大袈裟ではないのか。そうなると、事件は政治絡みになってくることになり、犯人は政治家である可能性が出てくるんだぞ」
本当に朝比奈の言うように愛知県議会内の新鮮の会の安定多数の議員数の確保から、万博の誘致に関係することが殺害の動機であるとすれば、愛知県内だけではなく国としての 一大事件に発展することになり一瞬体が震えた。
「政治家は特権階級であり、殺人を犯さないなんて思っているんじゃないですよね。反対に、県民や国民のことを考えず、自分の為だけに生きている人間こそ、不利益な事態に及ぶと通常では考えられない行動を取るものです」
性善説を否定する訳ではないが、政治家が脱税行為をしているのは国民は認知しているし、パワハラにセクハラなどの犯罪を起こしているのも現実である。
「まぁ、お前が納得するまで調べればいいさ。ただ、麗子や大神君に迷惑を掛けない様に頼むぞ。それで、頼まれていた吉原県知事の調査についてなんだが、名古屋高校から東京大学の法学部へと進み、卒業後に司法試験に合格して東海中央法律事務所に就職したのだが、4年程勤めた後に独立して個人事務所を立ち上げて、倒産した大手金融会社セラミスの顧問弁護士をしていたことで有名になった。その後、新鮮の会の創立者である本橋鉄男に憧れて新鮮の会に入党し、県会議員を2期8年勤め上げて6年前に県知事に当選して現在に至っている」
そう話しながら、ポケットから資料を取り出して朝比奈に差し出した。
「原点回帰、政治家になろうとした頃の初心を忘れずに、市民、県民、国民の為に尽くす本来の政治家を目指すことをキャッチフレーズに、勢力を拡大して愛知県を中心に中部圏の県を含む市町村では殆んど新鮮の会が占めている状態になっていますよね。親父にも話したのだけれど、新鮮の会は色々な問題を起こして一時の勢いが落ちていて、巻き返しを図る為に愛知県での万博の誘致を企てたのですよ。ただ、先回の県議会選挙での過半数を得ることができず、誘致については暗雲が漂っていたのでしょう。その先回性の手段として、それぞれ次点であった新鮮の会の議員の繰り上げ当選を狙ったのが今回の事件の動機ではないかと考えて、直接吉原知事に取材を兼ねて話を聞く機会があったのですが、万博の誘致に対してはとても意欲的であり、どうも誘致場所は知多半島に新鮮の会が建設を企てたゴミ廃棄物処理場の人工島を計画している様なのです。恐らく、万博の目的にインフラ整備を行い期間終了後は、それを活用して巨大なデパートや興行施設を中心にした都市計画を作ろうとしているようなのですよ」
会談の内容と吉原の表情を思い出しながら答えた。
「その話は内閣は勿論、国会内でも話題になっているよ。だけど、愛知県議会やこの地区の経済界だけで開催することはできない。どうしても国の協力無くては成し得ない事業だからな」
「しかし、新鮮の会は野党であり、与党民自党には相容れない関係だと思うのですが、政府としては万博誘致に対して容認しているのでしょうか。成功すれば新鮮の会の成果となり、今までの不祥事を払拭し勢力を増すことになるのではないですか」
なぜ敵に塩を送る様な行動をとるのか分からないでいた。
「確かに民自党内では当然誘致に反対すべきとの意見が多数を占めていたのだが『雀の千声鶴の一声』の如くある人物の影響で、政府としても協力する体制を取る様なのだ」
政府党内のある人物の顔が頭に浮かんだ。
「その人物は誰なんですか」
朝比奈はそんなことができるのは民事党総裁であり、日本国の政治会でのトップである内閣総理大臣ではないかとは思ったが父親の言葉を待った。
「これは民自党内でも古株である友人からの情報なんだが、内閣官房長官の林田修が首相に、この際『新鮮の会』に貸しを作っておけば、いずれ倍になって帰ってくるのではないかと意見して、なんとか国として誘致を認めることになったそうだ。新鮮の会が万博を誘致すると事あるごとに政治に利用しているが、国の後ろ盾がなければ決してできることではないんだ」
「えっ、林田官房長官でしたか。民自党の重鎮であり影の総理大臣と呼ばれていて、岸部総理大臣も逆らええない存在だそうですね。何か『新鮮の会』と裏で繋がっている可能性がありますね。その貸しと言う言葉が気になるのですが、何か思い当たることがあるのですか」
意味深な言葉が気になっていた。
「お前も知っているだろうが、民自党はパーティー券などの収入などを記載しなかった事件。いわゆる裏金問題で野党から追求されて、国民からの支持も急激に落ちてきて、来年3月の民自党の総裁選には岸部首相が再選されないばかりか、総裁選にも立候補しない可能性が高くなっているそうだ。新しく選ばれた総裁は、誰であってもこれ以上の不祥事が出てくる前に、そして野党の候補者選出の時間を与えない為にも、速攻で解散すると考えられる。ただ、それでも国民の裏金問題に対する不信感は拭えられないだろうから、今の議席数を減らすことは間違いないだろう。ただ、どれくらいの議席数を失うのかは、専門家でも全く予想できない程裏金問題は大きな負債になっている。国民は1円の記載間違いを許されずに脱税容疑が掛けられるのに対し、数百万から数億の記載漏れがあったのに、会計責任者や秘書に罪や責任を押し付けて、説明を一切しない態度は国民の理解を得ることはできないよな。それが党の役職の議員も含めてほぼ全員が関係していたとなれば、多くの議員が落選する可能性が高く、過半数の233議席を民主党単独で獲得できない可能性があるとすれば、何処かの党との連立をしなければならなくなる」
民自党の友人や政治評論家に聞いた話を噛み砕いて話した。
「貸しというのは、その連立相手に『新鮮の会』を見込んでいるということですか」
意外な展開に流石に驚いていた。
「最悪の場合を考えてのことだろうな」
幹事長程の古株となれば、先の先を呼んで手を打つものだと感心していた。
「流石官房長官で影の総理大臣と呼ばれることはありますね。でも、県議会選挙やこの前の取材では、今度の万博の半年間での入場者を2000万人以上で前回の愛知万博よりも多い設定を立てている様なのですよ。インターネットが普及した現在、大阪万博の月の石の様にその場所に行かなければ得られないことは少なくなった。今はスマホがあれば、3次元的にも映し出すことはできますからね。その時代で、東京ディズニーランドやユニバーサルジャパンの2倍、3倍もの入場者を見込めるとは素人が考えても思えません。費用が予想以上に膨らめば膨大な税金が投入されることになり、そんなことになれば何処の、誰が責任を取るのでしょう。そんなことは分かっていると思うのですが、政治家は何の為に愚行を行うのでしょう」
今までの政治姿勢にたいして残念そうに肩を落とした。
「確かにそんな政治家ばかりが目立つけれど、中には人々の為に尽くそうとしている政治家も居るぞ。それこそ、今回の事件で亡くなった川野議員と大池議員は、その万博の誘致に反対していて県議会では吉原知事と討論する機会が多かった様だ。話によると、林田幹事長に呼ばれて誘致に協力する様に意見されていたが、国民や県民の貴重な税金を無駄にしないようと戦っていたそうだ」
顔の広い父親は色々な人から情報を得ていて、県議会のことも詳しく把握していた。
「林田幹事長と吉原県知事の率いる新鮮の会に取っては、川野議員と大池議員はやはり邪魔な存在だった訳ですね。煙たい存在の2人が居なくなることで繰り上げ当選で議員数が確保でき、誘致を受け入れることができれば民自党は新鮮の会に恩を売ることができて、総選挙で今度は民自党が過半数を確保できなかった場合は、新鮮の会が連立して与党として安定的多数を確保する。どちらにも2人を殺害する動機は有る訳ですね」
軽く頷き勝手に納得していた。
「水を差すようで悪いが、事件があった日の殺害時刻には2人共にアリバイがある。つまり、直接犯行を行った犯人ではないことは証明されている。まぁ、殺人教唆は考えられるが、それを証明するには実行犯を逮捕して自供を得なければならないから、何の手掛かりが無い現状ではどうしようもないだろ」
事件に対しての朝比奈の推理は興味があり、動機としてはあり得るとは思ったが、あくまでもテレビドラマの世界の中の物語でしかなく、実際にそんなことがあるとは素直に受け入れられなかった。
「確かにそうですね。でも、実際に愛知県警に政治的な圧力が掛かっているみたいですから、満更有り得ない話ではないかと僕は思っているんですけどね。親父の話を聞いて益々やる気が出てきましたよ」
朝比奈の鋭気に満ちた顔とは反対に、父親は心配そうな表情に変わっていった。
「それから、別件で頼まれていた『田中実』についてなのだが、16年前に詐欺容疑で6年の実刑を受けて、10年前に刑務所を出所している。その後は警察にはお世話になってはいないが、ただ捕まっていないだけなのかもしれないな。出所後の住所は住民票で確認できるが、今そこに住んでいるのかどうかは確認されていない」
父親は折りたたんであった住民票と戸籍謄本のコピーを、背広の内ポケットから取り出して朝比奈に差し出した。
「亡くなったのは息子の太郎さんだったのですが、もう1人息子さんが居たようですね」
戸籍謄本を見ながら尋ねた。
「家族について調べて欲しいと聞いてきたから、離婚事の状況などについて地頭相談所など当時の関係者にも色々尋ねておいたよ。離婚の理由はお前も知っていると思うが、父親によるDVだったそうだ。母親は息子の太郎を連れて実家に戻った後、1度も会うことなく別居状態で、しばらくしてDV理由として離婚が成立はしたが、その時は父親の行方は分からず、もう1人の息子を引き取ることはできなかったそうで、恐らく仕方なく父親に付いて行ったのだろうとのことだ」
一応手帳を取り出して確認しながら説明した。
「親子共現在の所在は分からないのですね」
最後に書き込められている住所を示して尋ねた。
「ああ、調べてもらったが、そこのアパートには住んでいないとのことだ。地下に潜んで新しい詐欺組織を作り被害者から大金を巻き上げているんだろうとのことだ。ただ、お前の政治絡みの要素があるとのことを電話で聞いて、ちょっと気になって念の為に調べて見たんだが、田中の最初の住所の校区が林田幹事長と同じで生年月日からすると、小学校中学校は同じで同級生だった可能性が高いんだ。高校は違ったかもしれないが、あの頃の同級生は強い絆で繋がっている場合があるから、田中と林田幹事長は今も繋がっていることも考えられる」
その示された住所を見ながら答えた。
「想像したくはないのですが、その為に田中が摘発されなかったってこともあるかもしれませんね。その代わりに、手足になって闇の部分をになっていたりしてね」
よく描かれるサスペンスドラマの終焉の部分を思い描いていた。
「こんにちは」
ドアを開けると、久しぶりに訪れた店に漂うほのかなコーヒーの香りに思い出が蘇ってきた。
「おおっ、優作か、頼まれていたシフォンケーキ用意してあるよ。ひょっとして、彼女へのプレゼントなのか。結婚式の招待状が来るのを首を長くして待っているんだけどな。まぁ、その前に家族を養える仕事先を見付けるのが先だよな」
『ぽっかぽか』のマスターは、朝比奈と糸川美紀が何度か来店していて、付き合っていることを知っている。子供の頃から東京に単身赴任の父親とは同級生で、子供の頃から家族ぐるみでの付き合いであり、マスターにとっては息子も同然で就職や結婚などいつも心配していた。
「マスター、会った早々厳しいね。そのケーキは、今から伺う尾張旭の施設への手土産に依頼したもの何だよ」
マスターの前のカウンター席に腰を下ろした。
「優作が関心がありそうな尾張旭市の施設か。まさか、母校の旭野高校じゃないよな」
席に座った朝比奈に豆を引いてドリップ方式でコーヒーを点て始めた。。
「そうじゃないよ。顔の広いマスターだから知っているかもしれないけれど『希望の里』という児童養護施設なんだ」
マスターの入れてくれた『ピーベリー』の香りを楽しんでから口へと運んだ。
「ああっ『希望の里』なら良く知っているよ。施設内の子供や職員さんの誕生日会や各種のイベントの時にはケーキを注文してくれるお客さんだよ。施設長は佐藤慶一さんと言って、尾張旭に住んでいて同じ中学校の先輩後輩の仲だった様だ。中央教育大学を卒業してて、一度は中学の教員を目指していたけれど、大学時代に海外ボランティア活動で貧困で勉強が受けられない実情を目の当たりにして、日本に帰ってからも教師ではなく色々な事情で、勉強は当然生活にも困窮している子供を少しでも助けたいという気持ちが強くなり、卒業後からはそういった施設で働くことを決意したそうだ」
コーヒーを出し終えると、マスターも朝比奈の前に腰を下ろした。
「その施設長は卒業から直ぐに『希望の里』に就職されたのですか」
「いや、就職後は名古屋の西区にある、規模の大きな『すこやか荘』に入社して6年程勤めてからから、地元にある『希望の里』に移って5年前から施設長として働いている様だ」
「先日マスコミで大々的に報道された、民自党の川野県会議員がその『希望の里』で育ったようでしたが、マスターはそのことは知っていましたか」
顔の広いマスターの情報に期待して問い掛けた。
「ああっ、施設に来た時は、確か今村か今西だったと記憶しているけれど、奥さんが不妊症だったのかな、川野夫婦の間には子供ができなかったので、中学校での成績も良く活発で周りの友達のリーダー的存在でもあり、当時の施設長や既に働いていた現在の佐藤施設長の勧めもあり、面談の結果太郎君を養子として迎え入れて川野家の跡取りとしたんだよ。まぁ、裕福な家庭に家族として過ごすことになったのだが、律儀な人間でこの近くに住むことになったこともあり、高校時代はお前と同じようにこの店でアルバイトをしていたこともあるんだ。太郎君の大学が名古屋に決まったことを機会に、今の守山区へ移ったのだけれど今でも家は残っているそうだ。本当にいい子でね、どんな事情があったのか解らないけれど、警察やマスコミが報じた様に恋愛絡みの無理心中だったなんて考えられないよ」
アルバイト当時の川野のことを思い出して頭を捻った。
「あの、川野さんはどうして『希望の里』に来ることになったのですか。本当のご両親や親戚はどうだったのでしょう」
『ぽっかぽか』でという同じ店でバイトの先輩だったことに少し親近感を感じていた。
「そこまで詳しくは知らないけれど、本人に聞いた話では元々母子家庭で母親が病気で亡くなったそうで、頼れる親戚はなかった様だ」
「あの、川野太郎さんには父親とか他に家族は居なかったのですか」
「川野君から聞いた話では、子供の頃から父親は居なかった様だ。母親に聞いたことはあったそうだが、いつも話をそらされていて亡くなる前には答えてくれると期待はしていたそうだが、結局川野君に告げることなく亡くなってしまってとても残念がっていたのを今でも覚えているよ」
「本当に一人ぼっちだったのですね」
「家族について尋ねたのは一度きりだし、そのことについて触れて欲しくない感じだったから、詳しくは俺には分からないよ。後は、佐藤施設長に聞いてみてくれ。彼女を殺害して自殺をした人間について尋ねるなんて、お前まさかまた事件に関わったりしてるんじゃないだろうな」
顰めっ面の麗子の顔が頭に浮かんだ。
「あっ、姉さんには内緒にしていてくださいね。今回は雜誌社の記事を書く為に取材をしているだけで、別に深い意味はないんですからね。ケーキとコーヒー代置いときますね」
予め聞いていたケーキの値段にコーヒー代を加えてテーブルに置くと、横に置かれていた2つの箱を手にすると、マスターに背を向けて店を出た。車で10分程南に走って、小高い丘の中腹にある『希望の里』に着いた。
「あの、3時に施設長とお会いする約束をしている朝比奈優作と言います。これ、シフォンケーキです。皆さんで召し上がってください」
朝比奈は玄関を入り1人の女性に声を掛けた。
「ありがとうございます。お部屋まで案内しますので、こちらのスリッパに履き替えてください」
女性は来賓用のスリッパを用意して、履き替えた朝比奈からケーキの箱を受け取ると、施設長室へと案内した。
「失礼します。来館予定の朝比奈さんから差し入れをいただきました」
女性はノックして部屋を開けると、ケーキの箱を施設長に見せた。
「気を使わせて申し訳ありませんでした。どうぞこちらへ」
席を立ちドアに近づいて席へと案内した。
「今日は時間をお取りいただきありがとうございます」
ソファーに腰を下ろすと頭を下げた。
「亡くなった川野太郎君にzついてとのことですが、彼がこの施設にいたのは中学を卒業するまでの4年間程ですが、そんな昔のことが何か問題あるのですか」
雑誌の取材と聞いていたはいたが、無理心中を試みた殺人者だとしても亡くなった後で、過去をあれこれ書き立てて本当に悪者にしてしまうのは感心しなかった。
「すみません、取材とは口実でして、今から伺うことは雑誌などに掲載することはありません。実を言いますと、川野さんが殺害したと公表された大池議員が亡くなったホテルの部屋の隣に宿泊する予定でいまして、大池議員の遺体の発見者の1人なのです。興味本位と取られても仕方ないのですが、事件の真実を確かめたくなったのです」
真剣な表情で答えた。
「真実と言われますが、既に事件は解決したのではないのですか」
朝比奈の話に納得できなかった。
「失礼ですが、佐藤さんは警察やマスコミで報道された時に、川野さんが大野議員を殺害したと本当に思われましたか」
朝比奈は質問を投げ掛け佐藤の表情を伺った。
「あっ、いや、正直信じられませんでしたが、警察の捜査の結果ですし私が知っているのは中学生の頃の川野君ですからね」
困惑した表情で答えた。
「最近お会いしたことはなかったのですか」
「県会議員の選挙での応援で会ったことはありましたが、挨拶をした程度で2人だけで話し込むようなこともなかったですから、現在の彼については何も知らなかったですからね」
施設に居た頃の川野と接していた佐藤としては、事件を知った時には何かの間違いではと思ったが、議員になってからは殆んど付き合いはなかった為に、人間は変わってしまうものなのだと自分を納得させていた。
「僕も生前の川野さんお会いしたことはありませんが、こちらに伺う前にこちらの施設にも関係していて、高校時代にはアルバイトをしていた『ぽっかぽか』のマスターに、川野さんの高校以降の生活を含めて話を聞いた限り、川野さんが殺人を犯す人間だとは思えません。まぁ、それもありますが、実際に殺害現場に居合わせた自分としては、警察の見解とはちょっと違うと思いまして、先ずは川野さんについて知っておく必要があると、色々な人に訪ねているところです」
先程の女性がコーヒーと朝比奈の持ってきたシフォンケーキを切り分けて持ってきた。
「朝比奈さんは今回の事件で警察のやマスコミの報道に疑問を持っているのですか」
「勿論警察の捜査能力は信じています。地道な身辺調査や監視カメラの解析などの科学捜査は、世界にも誇れるものだと思います。今回の捜査も十分な証拠が揃っていて、川野さんを犯人と断定することは妥当なのでしょう。ただ、犯罪者と断定された川野さんはなくなってしまっていて、犯罪に至った動機は勿論のこと弁明する機会も与えられません。事実が警察の発表通りならそれで構わないのですが、もし他に隠された真実があるとすれば、事件に関わった僕が証明しなければならないと思っただけです」
「えっ、朝比奈さんは雑誌社の記者さんなんですよね。目的は警察の不備を指摘し冤罪などと騒ぎ立てるような記事にして雑誌を売ることなんでしょうか」
朝比奈の職業と事件を結び付けて目的を推理した。
「ああっ、僕は大学館に記事を投稿してはいますが、記者ではないので仕事として調べている訳ではありません。それどころか、大学館の編集長からはこれ以上事件に関わらない様にと釘を刺されているほどです。まぁ、しいて言えば、自分の心のもやもやを晴らすためでしょうか」
朝比奈にとっては誤解を解く為の発言ではあったが、佐藤には変な人間に見えてしまっていた。
「そっ、それで、朝比奈さんは川野君の何を調べようというのですか。昔のことを調べることで川野君の殺害の原因や自殺の動機などが分かるのですか。先程も話したのですが、中学生までのことしか知りませんよ」
警戒しながら出来れば答えたくない素振りを見せた。
「若い頃の事情が、事件について関係しているかどうかは何とも言えませんが、何が事実を解き明かすヒントになるのか分かりませんのでよろしくお願いします。先程『ぽっかぽか』のマスターにも聞いたのですが、川野さんが『希望の里』に入館した事情と、本当の両親についてご存知ならば教えていただけないでしょうか」
朝比奈は素直に頭を下げた。
「まぁ、親しくさせていただいているマスターからも、よろしく頼むとの連絡がありましたので、以前の施設長にも電話である程度の話は伺っておきましたので、知っていることはお伝えします。川野君の父親は会社の中間管理職で、家に帰り酒を飲んで酔うとストレスの発散も加わり、奥さんや子供にも手を出していて、今で言うDVを行っていたんですよ。随分我慢をされていた様ですが、子供のことを考えて実家へ帰って母親としばらく暮らしていたのです。しかし、その母親が若年性の認知症や骨盤骨折で寝たきりとなり、その介護と子供の世話で疲労困憊の性もあったのでしょうか、脳内出血を起こして亡くなってしまいました。それで、他に親戚もなかった為に『希望の里』で引き取ることになったのです」
朝比奈の言葉を信じ覚悟を決めて川野のことを話し始めた。
「実の父親は今どうされているのですか」
佐藤の言葉にその情景が次々と浮かんできた。
「川野君を受け入れるに当たって、当然実父のその後について本人から聞いたり、彼を知る人などを当たってある程度調査したのですが、妻を失って荒れた生活の果てに会社を退職して収入源を絶たれた彼は、オレオレ詐欺などに手を染めて懲役刑を受けていたとのことでした。刑期を終えた後は今どこで何をしているのかは勿論、生きているかどうかも分かっていません」
「そうですか、行方不明なんですね。ところで、太郎さんはどういう経緯で川野家に養子に入ることになったのですか」
朝比奈は少し考えてから話題を変えて尋ねた。
「川野家は元々国会議員の一家で、病気で亡くなったお父さんが三代目だった。ただ、夫妻には中々子宝に恵まれなくて、その世襲が途絶えてしまうことが現実となり、最終手段として男子を養子として迎え入れることになったそうです。どうしてうちの施設に白羽の矢がたったかと言うと、元施設長と彼の父親が高校時代からの友人であり、何度か相談された元施設長が学力的に優秀で、人間的にも優れた太郎君を養子にと勧められたそうです」
佐藤はカップを手に取り、少し冷めたコーヒーを口へと運んだ。
「あの、県議会議員となった川野さんに実父が、接触を測ってきたということはなかったのでしょうか」
朝比奈もコーヒーのカップを手にした。
「さぁ、どうでしょう。選挙などで応援はしていましたが、川野君からはその様な話は聞いたことはありませんでした。恐らく、養子になっていることも知らないんじゃないでしょうか」
「それは良かったですね。因みに、その実父の名前は何と言われるのでしょう」
「ちょっとお待ちください」
佐藤は立ち上がると机の引き出しを開け、1冊のノートを取り出して戻って来た。
「えーと、一応本人から聞いて書き留めていたのですが、ああ、有りました田中実さんと言われたそうです」
佐藤はノートを捲っている手を止めて答えた。
「田中実・・・・・・日本で一番多い名前ですね。色々話を伺えて大変参考になりました。真実が分かりましたら報告させていただきます。本日は本当にありがとうございました」
朝比奈はお礼を言って頭を下げると、席を立ち部屋を出て『希望の里』を後にして父と待ち合わせをしている、事件があったホテルへと向かった。予定の時刻よりも早く着いたので、スタッフなどに当時の状況を尋ねて時間を潰していると、ロビーで父親の姿を見つけて足早に近づいて行った。
「忙しいのに時間を作ってもらってすみませんでした」
朝比奈は珍しく素直に頭を下げると喫茶ルームへと案内した。
「今日は偶然会議があって来られたから良かったけれど、本当にいつも世話を掛けてくれるよな」
そう言いながらも久しぶりに息子に会えるのを喜んではいた。
「電話で簡単には話したけど、このホテルで起きた事件についてもう一度詳しく説明するから疑問点があれば指摘してください」
父親はコーヒーを朝比奈はブレンドティーを注文し、運ばれてくるまでに事件の概要を話し終えた。
「優作は、これだけの状況証拠が揃っているにもかかわらず、警察の発表に納得していないということなんだな」
それぞれの飲み物が運ばれ、ウエイトレスが席から離れると父親が話し始めた。
「先ずは、川野議員の自宅のエアコンの設定温度とパソコンのキーボードの指紋について疑問が残っていますが、ホテル近くの防犯ビデオに川野議員と思われる人物が映し出され、その人物が乗ったタクシーの運転手が川野議員であり、自宅まで送り届けたことを証言していることから、その証拠は重要視されていませんでした」
朝比奈はティーカップを手にして紅茶の香りを楽しんだ。
「だけど、大池議員を殺害したのは川野議員で間違いないだろう。違っているとすれば、川野議員が自殺ではなく殺害の可能性があるということだよな。つまり、大池議員殺害に関しては共犯者がいて、実行犯である川野議員を自宅で殺害したってことだな」
朝比奈が持つ疑惑を想像して答えた。
「その可能性は否定しませんが、キーボートの細工は良いとしてエアコンの設定温度をどうして低くする必要があったのか説明が付きません。大池議員を殺害した犯人は革の手袋をしていた為に、ドアノブなどにも指紋は残されていませんでした。僕は、大池議員を殺害したのも川野議員ではなかったのではないかと思っています」
カップを皿へと戻し真剣な目で父親を見た。
「ちょっと待てよ。川野議員が大池議員を殺害した人物と同じ格好をしてタクシーに乗り込み、自宅で他の人物によって殺害されたと思っているのか」
朝比奈の意外な推理に驚いていた。
「計画的な殺人であれば有り得なくはないと思います。共謀者が大池議員を殺害した後で、川野議員を自殺に見せ掛けて殺害した。つまり、初めから2人を殺害するのが目的であったとすれば辻褄は一応合いますが、それにしても、川野議員が態々自分が疑われる様な行動を取ったのか、それと何度も言いますがエアコンの設定温度の説明が付かないし、もしそうだったのならば川野議員が大池議員殺害になぜ協力したのかと言うことです。話によれば、川野議員と大池議員は恋人同士だった様です。まぁ、恋愛の縺れなどということについては、僕には縁遠いことなのでよく分からないのですが、12月12日のダズンローズデーに12本の紅い薔薇を贈ろうとしていたくらいです。殺害のリスクを犯すほど憎んでいたとは考えられないのです」
どう考えなおしても納得が出来なかった。
「それで、お前を納得させる為に私を利用しようと言う訳だな。しかし、本当にお前が考えている様に今回の事件には他に動機が有り、県会議員での新鮮の会の繰り上げ当選が絡んでいるというのは少し大袈裟ではないのか。そうなると、事件は政治絡みになってくることになり、犯人は政治家である可能性が出てくるんだぞ」
本当に朝比奈の言うように愛知県議会内の新鮮の会の安定多数の議員数の確保から、万博の誘致に関係することが殺害の動機であるとすれば、愛知県内だけではなく国としての 一大事件に発展することになり一瞬体が震えた。
「政治家は特権階級であり、殺人を犯さないなんて思っているんじゃないですよね。反対に、県民や国民のことを考えず、自分の為だけに生きている人間こそ、不利益な事態に及ぶと通常では考えられない行動を取るものです」
性善説を否定する訳ではないが、政治家が脱税行為をしているのは国民は認知しているし、パワハラにセクハラなどの犯罪を起こしているのも現実である。
「まぁ、お前が納得するまで調べればいいさ。ただ、麗子や大神君に迷惑を掛けない様に頼むぞ。それで、頼まれていた吉原県知事の調査についてなんだが、名古屋高校から東京大学の法学部へと進み、卒業後に司法試験に合格して東海中央法律事務所に就職したのだが、4年程勤めた後に独立して個人事務所を立ち上げて、倒産した大手金融会社セラミスの顧問弁護士をしていたことで有名になった。その後、新鮮の会の創立者である本橋鉄男に憧れて新鮮の会に入党し、県会議員を2期8年勤め上げて6年前に県知事に当選して現在に至っている」
そう話しながら、ポケットから資料を取り出して朝比奈に差し出した。
「原点回帰、政治家になろうとした頃の初心を忘れずに、市民、県民、国民の為に尽くす本来の政治家を目指すことをキャッチフレーズに、勢力を拡大して愛知県を中心に中部圏の県を含む市町村では殆んど新鮮の会が占めている状態になっていますよね。親父にも話したのだけれど、新鮮の会は色々な問題を起こして一時の勢いが落ちていて、巻き返しを図る為に愛知県での万博の誘致を企てたのですよ。ただ、先回の県議会選挙での過半数を得ることができず、誘致については暗雲が漂っていたのでしょう。その先回性の手段として、それぞれ次点であった新鮮の会の議員の繰り上げ当選を狙ったのが今回の事件の動機ではないかと考えて、直接吉原知事に取材を兼ねて話を聞く機会があったのですが、万博の誘致に対してはとても意欲的であり、どうも誘致場所は知多半島に新鮮の会が建設を企てたゴミ廃棄物処理場の人工島を計画している様なのです。恐らく、万博の目的にインフラ整備を行い期間終了後は、それを活用して巨大なデパートや興行施設を中心にした都市計画を作ろうとしているようなのですよ」
会談の内容と吉原の表情を思い出しながら答えた。
「その話は内閣は勿論、国会内でも話題になっているよ。だけど、愛知県議会やこの地区の経済界だけで開催することはできない。どうしても国の協力無くては成し得ない事業だからな」
「しかし、新鮮の会は野党であり、与党民自党には相容れない関係だと思うのですが、政府としては万博誘致に対して容認しているのでしょうか。成功すれば新鮮の会の成果となり、今までの不祥事を払拭し勢力を増すことになるのではないですか」
なぜ敵に塩を送る様な行動をとるのか分からないでいた。
「確かに民自党内では当然誘致に反対すべきとの意見が多数を占めていたのだが『雀の千声鶴の一声』の如くある人物の影響で、政府としても協力する体制を取る様なのだ」
政府党内のある人物の顔が頭に浮かんだ。
「その人物は誰なんですか」
朝比奈はそんなことができるのは民事党総裁であり、日本国の政治会でのトップである内閣総理大臣ではないかとは思ったが父親の言葉を待った。
「これは民自党内でも古株である友人からの情報なんだが、内閣官房長官の林田修が首相に、この際『新鮮の会』に貸しを作っておけば、いずれ倍になって帰ってくるのではないかと意見して、なんとか国として誘致を認めることになったそうだ。新鮮の会が万博を誘致すると事あるごとに政治に利用しているが、国の後ろ盾がなければ決してできることではないんだ」
「えっ、林田官房長官でしたか。民自党の重鎮であり影の総理大臣と呼ばれていて、岸部総理大臣も逆らええない存在だそうですね。何か『新鮮の会』と裏で繋がっている可能性がありますね。その貸しと言う言葉が気になるのですが、何か思い当たることがあるのですか」
意味深な言葉が気になっていた。
「お前も知っているだろうが、民自党はパーティー券などの収入などを記載しなかった事件。いわゆる裏金問題で野党から追求されて、国民からの支持も急激に落ちてきて、来年3月の民自党の総裁選には岸部首相が再選されないばかりか、総裁選にも立候補しない可能性が高くなっているそうだ。新しく選ばれた総裁は、誰であってもこれ以上の不祥事が出てくる前に、そして野党の候補者選出の時間を与えない為にも、速攻で解散すると考えられる。ただ、それでも国民の裏金問題に対する不信感は拭えられないだろうから、今の議席数を減らすことは間違いないだろう。ただ、どれくらいの議席数を失うのかは、専門家でも全く予想できない程裏金問題は大きな負債になっている。国民は1円の記載間違いを許されずに脱税容疑が掛けられるのに対し、数百万から数億の記載漏れがあったのに、会計責任者や秘書に罪や責任を押し付けて、説明を一切しない態度は国民の理解を得ることはできないよな。それが党の役職の議員も含めてほぼ全員が関係していたとなれば、多くの議員が落選する可能性が高く、過半数の233議席を民主党単独で獲得できない可能性があるとすれば、何処かの党との連立をしなければならなくなる」
民自党の友人や政治評論家に聞いた話を噛み砕いて話した。
「貸しというのは、その連立相手に『新鮮の会』を見込んでいるということですか」
意外な展開に流石に驚いていた。
「最悪の場合を考えてのことだろうな」
幹事長程の古株となれば、先の先を呼んで手を打つものだと感心していた。
「流石官房長官で影の総理大臣と呼ばれることはありますね。でも、県議会選挙やこの前の取材では、今度の万博の半年間での入場者を2000万人以上で前回の愛知万博よりも多い設定を立てている様なのですよ。インターネットが普及した現在、大阪万博の月の石の様にその場所に行かなければ得られないことは少なくなった。今はスマホがあれば、3次元的にも映し出すことはできますからね。その時代で、東京ディズニーランドやユニバーサルジャパンの2倍、3倍もの入場者を見込めるとは素人が考えても思えません。費用が予想以上に膨らめば膨大な税金が投入されることになり、そんなことになれば何処の、誰が責任を取るのでしょう。そんなことは分かっていると思うのですが、政治家は何の為に愚行を行うのでしょう」
今までの政治姿勢にたいして残念そうに肩を落とした。
「確かにそんな政治家ばかりが目立つけれど、中には人々の為に尽くそうとしている政治家も居るぞ。それこそ、今回の事件で亡くなった川野議員と大池議員は、その万博の誘致に反対していて県議会では吉原知事と討論する機会が多かった様だ。話によると、林田幹事長に呼ばれて誘致に協力する様に意見されていたが、国民や県民の貴重な税金を無駄にしないようと戦っていたそうだ」
顔の広い父親は色々な人から情報を得ていて、県議会のことも詳しく把握していた。
「林田幹事長と吉原県知事の率いる新鮮の会に取っては、川野議員と大池議員はやはり邪魔な存在だった訳ですね。煙たい存在の2人が居なくなることで繰り上げ当選で議員数が確保でき、誘致を受け入れることができれば民自党は新鮮の会に恩を売ることができて、総選挙で今度は民自党が過半数を確保できなかった場合は、新鮮の会が連立して与党として安定的多数を確保する。どちらにも2人を殺害する動機は有る訳ですね」
軽く頷き勝手に納得していた。
「水を差すようで悪いが、事件があった日の殺害時刻には2人共にアリバイがある。つまり、直接犯行を行った犯人ではないことは証明されている。まぁ、殺人教唆は考えられるが、それを証明するには実行犯を逮捕して自供を得なければならないから、何の手掛かりが無い現状ではどうしようもないだろ」
事件に対しての朝比奈の推理は興味があり、動機としてはあり得るとは思ったが、あくまでもテレビドラマの世界の中の物語でしかなく、実際にそんなことがあるとは素直に受け入れられなかった。
「確かにそうですね。でも、実際に愛知県警に政治的な圧力が掛かっているみたいですから、満更有り得ない話ではないかと僕は思っているんですけどね。親父の話を聞いて益々やる気が出てきましたよ」
朝比奈の鋭気に満ちた顔とは反対に、父親は心配そうな表情に変わっていった。
「それから、別件で頼まれていた『田中実』についてなのだが、16年前に詐欺容疑で6年の実刑を受けて、10年前に刑務所を出所している。その後は警察にはお世話になってはいないが、ただ捕まっていないだけなのかもしれないな。出所後の住所は住民票で確認できるが、今そこに住んでいるのかどうかは確認されていない」
父親は折りたたんであった住民票と戸籍謄本のコピーを、背広の内ポケットから取り出して朝比奈に差し出した。
「亡くなったのは息子の太郎さんだったのですが、もう1人息子さんが居たようですね」
戸籍謄本を見ながら尋ねた。
「家族について調べて欲しいと聞いてきたから、離婚事の状況などについて地頭相談所など当時の関係者にも色々尋ねておいたよ。離婚の理由はお前も知っていると思うが、父親によるDVだったそうだ。母親は息子の太郎を連れて実家に戻った後、1度も会うことなく別居状態で、しばらくしてDV理由として離婚が成立はしたが、その時は父親の行方は分からず、もう1人の息子を引き取ることはできなかったそうで、恐らく仕方なく父親に付いて行ったのだろうとのことだ」
一応手帳を取り出して確認しながら説明した。
「親子共現在の所在は分からないのですね」
最後に書き込められている住所を示して尋ねた。
「ああ、調べてもらったが、そこのアパートには住んでいないとのことだ。地下に潜んで新しい詐欺組織を作り被害者から大金を巻き上げているんだろうとのことだ。ただ、お前の政治絡みの要素があるとのことを電話で聞いて、ちょっと気になって念の為に調べて見たんだが、田中の最初の住所の校区が林田幹事長と同じで生年月日からすると、小学校中学校は同じで同級生だった可能性が高いんだ。高校は違ったかもしれないが、あの頃の同級生は強い絆で繋がっている場合があるから、田中と林田幹事長は今も繋がっていることも考えられる」
その示された住所を見ながら答えた。
「想像したくはないのですが、その為に田中が摘発されなかったってこともあるかもしれませんね。その代わりに、手足になって闇の部分をになっていたりしてね」
よく描かれるサスペンスドラマの終焉の部分を思い描いていた。
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