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甘美 5

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「じゃあ車学校に置いてきますよ」
「それ明日の朝不便じゃん」
「何とかしますって」
「また後日にしよう?」
「……その約束、忘れないでくださいよ」
一瞬むくれかけた九条くんは、目を細めた。

「……澄麗。ちょっと」
碧がマグカップを手に給湯室に視線を向けた。机の引き出しからインスタントの紅茶ラテを取り出し、給湯室に向かった。

「今の、だよ?」
「何が?」
「稲垣先生が入れない雰囲気。2人の世界」
愛用のマグカップ──どこかの美術館で売っていそうなアートな感じの物だ──にダージリンのティーパックを入れ、お湯を注ぐ碧は声を潜めて私に告げた。
「えっと…そう、かな?」
「稲垣先生ちらちら見てたけど。気付かなかった?」
「……視線は、感じたけど」
「でも話に入ってこられなかったのは、そういうこと。……ねぇ、前より距離近いよね」
「碧さん…。ほんとよく見てるね」
追及する碧を前に私は、苦笑いしかできない。
「視界に入るんだからしょうがないでしょ」
碧の席のある六年生の机──島と呼ばれている──は、私達五年生の島の真向かいにある。私も碧も、自席で仕事をしていると、お互いの顔が見える配置だ。

「うん、距離が近いっていう自覚はあるよ」
「近いときに澄麗、顔びっくりしてるしね」
目を見開く私を見る碧はにやりと笑った。
「で、九条先生は表情変えず、と…」
「正直…どう思ってんだか、わかんない。パーソナルスペースがすっごい狭いのか…」
「じゃないでしょ。何すっとぼけてんの」
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